魏玄同 ぎげんどう
617-689
初唐の宰相(在任682-689)。定州鼓城(河北省晋県)の人。字は和初。進士出身。司列大夫のとき、
上官儀の事件に連座して嶺南に流され、674年ようやく許され帰還、のち累進して、681年ごろ吏部侍郎に任ぜられた。684年黄門侍郎同中書門下三品より尚書左丞となり、ついで685年鸞台侍郎、686年銀青光禄大夫検校納言を加えられ、鉅鹿男に封ぜられた。689年
周興のざん言により,自邸で死を賜わった。彼が吏部侍郎のさいに行なった選挙改革の上奏は名高く、門閥の弊害を改め、激増する京師への入流者を制限するなど、官僚体制の整備を意図している。なお
裴炎との終生かわらなかった交友は、当時耐久朋とうたわれたという。子に魏愔・魏懍・
魏恬がいる。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
参考文献
『アジア歴史事典』2(平凡社,1959)
外部リンク
最終更新:2026年01月24日 01:50