左春坊
長安、皇城内に位置した官衙。
横街の南、街東第一の西の区画に位置し、西に
家令寺が、北に
横街が、南は第二横街を挟んで詹事府東に左春坊が位置した。この区画は東宮関連の官衙が集中して置かれている。隋の内允で、武徳三年(621)中舎人に改められて門下坊に属した。貞観年間(623-649)初頭に中允となり、貞観十八年(644)司議郎を設置した。永徽三年(652)皇太子の名を避けて中允を内允に改めたが、皇太子が廃されると戻った。龍朔二年(662)門下坊を 左春坊に、左庶子を左中護に、中允を左賛善大夫に改め、司議郎を左右に分割し、左右諭徳それぞれ一人を置いた。咸亨元年(670)すべてもとに戻し、司議郎は左右に分けなかったが、後に諭徳は廃されて司議郎が再び分けられた。景雲二年(711)門下坊を改めて左春坊とし、再び諭徳を置き、庶子は侍中に、中允は門下侍郎に、司議郎は給事中に、賛善大夫は諌議大夫に、諭徳は散騎常侍に比した。右坊は、庶子は中書令に、中舎人は中書侍郎に、太子監国は庶子で尚書令に比した。官員は左庶子二人、中允二人、司議郎二人、左諭徳一人、左賛善大夫五人で、他に令史六人、書令史十二人、伝令四人、掌儀二人、賛者三人、亭長三人、掌固十人が属した。洛陽にも同様の施設があり、洛陽皇城の東朝堂の南側、第三横街の北側の西端に位置した。
志
参考文献
徐松 撰、愛宕元 訳注『唐両京城坊攷 長安と洛陽(東洋文庫577)』(平凡社、1994年)
最終更新:2026年02月18日 23:33