王定 おうてい
580-668
初唐の官人・画人。瑯琊・臨沂(山東省)の人。先祖は南朝の官職についている。王定の卒年は総章二年(668)四月十四日、享年八十九。その官は少府監の中尚署令で朝散大夫を加えられた。『唐六典』二〇に 「中尚署、中尚署令一人。従六位上」とあり、同書二に「従五品下は朝散大夫という」とある。『名画記』が中散大夫・尚方令とするのは誤りである(『唐朝名画録』に、官は中書とするがこれも誤り)。「尤も丹青を擅にし、天下の図様を起し、国家の冠冕を修す。事了りて、朝散大夫を加えらる」と墓誌がかくのは、
太宗治世のはじめの輿服制度の整備に王定が参加したことであり、『名画記』が「貞観の初、名を得たり」というのに相当する。王定は夫人徐氏とともに武周万歳登封元年(696)二月十二日、長安県小厳村北平原に合葬された。当然ながら墓誌には則天文字を用いている。なお作品の「本草訓戒図」は太宗の貞観年間(623-649)に勅命により製作された(『唐書』五九、芸文志に載っている)。壁画は勝光寺(『両京新記』三)、褒義寺にみえる。1956年6月西安市西郊で王定の墓誌銘が発見された。
志
参考文献
長廣敏雄訳注『歴代名画記2』(平凡社東洋文庫,1977年)
外部リンク
最終更新:2026年05月16日 23:37