銭元瓘 せんげんかん
887-941
呉越第二代の王(在位932-941)。字は明宝。諡号は文穆王。廟号は世宗。初名は伝瓘。
銭鏐の七男。
田頵への人質へと派遣され、たびたび殺害されそうになったが危機を脱した。帰還後、父が没すると襲封し、後梁に呉王に、後唐に呉越王に封ぜられた。杭州の大火で宮殿が焼失した際に避難したものの、火災が多発的に起こったため、発狂して死んだという。『旧五代史』に伝が、『新五代史』に世家が立てられた。
世家・列伝
『旧五代史』卷一百三十三 世襲列伝第二 銭鏐 子元瓘
『新五代史』巻六十七 呉越世家第七 銭鏐 子元瓘
外部リンク
最終更新:2026年07月20日 01:50