田頵 でんいん
858-903
唐末の武将。字は徳臣。廬州合肥県の人。
楊行密・
陶雅・
劉威・
台濛と同郷。楊行密と兄弟の契りを結んだ。楊行密が廬州を根拠地として自立すると、楊行密のために計略をたて、
趙鍠・
杜稜を倒した。楊行密の軍では
安仁義と並び称され、
孫儒との戦いでは当初敗れ、孫儒に反間を誘われたが、それを知った楊行密の待遇はかえって厚くなり、ついに孫儒を捕らえた。功によって寧国軍節度使となった。天復二年(902)攻撃していた
馮弘鐸が楊行密に直接降ると、田頵は池州・歙州を属州にするよう求めたが却下された。さらに
銭鏐の部将の
徐綰が田頵に降って配下となると、銭鏐の根拠地杭州を包囲したが、窮した銭鏐が楊行密との縁戚関係になることを申し出て、これによって両者が同盟関係となった。このため田頵は安仁義と共に楊行密に叛いて
朱全忠につき、昇州を占領。
李神福と交戦したが敗れ、主力の精兵二万を残置して自ら小部隊で蕉湖に行ったから、
台濛の追撃を受けて敗北、乱戦の中戦死した。『新唐書』『旧五代史』に伝がある。
列伝
外部リンク
最終更新:2026年07月21日 09:30