竇滂

竇滂

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唐の政治家。太府少卿。定辺軍節度使となったが、貪欲で苛斂誅求は前任者よりも甚だしかった。咸通十年(869)に南詔が入寇し、翌年(870)正月、竇滂自ら兵を統率して戦った。酋龍は使者十人ほどを遣わして講和を求め、竇滂はこれを信じて、半分も語らないうちに、蛮は桴で岸に殺到し、騒がしく進んだから、竇滂は為すところ知らず、まさに自殺しようとしたが、武寧将の苗全緒がこれを止め、とくに死に物狂いで戦い、蛮は次第に退き、竇滂は遁走し、黎州は陥落した。著作に『雲南別録』一巻がある。

志・列伝・史料

『新唐書』巻五十八 志第四十八 芸文二
『新唐書』巻二百二十二中 列伝第一百四十七中 南蛮中
『資治通鑑』巻二百五十一 懿宗 咸通十年春正月条

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最終更新:2022年11月14日 01:51
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