厳公素
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唐代の官人。容管経略使留後であったが、元和十五年(820)八月に黄洞蛮と神歩で戦い、撃破した。長慶元年(821)十二月に容州刺史・容管経略使となる。後に殿中少監となったが、宝暦元年(826)十一月には再度、容管経略使となる。宝暦二年(827)二月には上奏して、容州普寧県などの七県を広・昭・桂・賀の四州の例にならって北選するよう願い出、受理された。邕州刺史の
李元宗が現状を愁訴しようと監察御史の
杜周士に申状したが、これを奪ったため
李元宗が反乱を起こした。
本紀・列伝・史料
『新唐書』
巻八 本紀第八 元和十五年八月乙酉条
『新唐書』
巻二百二十二下 列伝第一百四十七下 南蛮下
『旧唐書』巻十六 本紀第十六 長慶元年十二月丙寅条
『旧唐書』巻十七上 本紀第十七上 宝暦元年十一月癸未条・宝暦二年二月辛丑条
『全唐文』巻七百一十二 桂州挙前容管経略使厳公素自代状
最終更新:2022年11月28日 03:06