西涼の後主 李歆 りきん
?-419
五胡十六国時代、西涼第2代の王(在位417-420)。武昭王
李暠の第2子。父を継ぎ酒泉で涼公となると、ただちに宿敵北涼を攻撃して(417)、一度は成功したが、たちまちその反撃をこうむり(418)、北涼の
沮渠蒙遜が南涼を攻めた虚をつこうとして、かえって敗死し、西涼はわずか2代で滅んだ(420)。そのあと弟の李恂が敦煌に拠って抵抗したが、まもなく滅ぼされ、一族の中には南朝宋や伊吾(ハミ)などに亡命した者もあった。『晋書』『魏書』に伝がある。
后妃
(不明)
子女
李勖
李紹
李重耳
李弘之
李嵩明
李崇産
李崇庸
李崇佑
年号
嘉興 417-420
宰相
(不明)
列伝
『晋書』巻八十七 列伝第五十七 涼武昭王李暠 子歆
『魏書』巻九十九 列伝第八十七
参考文献
『アジア歴史事典9』(平凡社、1962年4月)
外部リンク
最終更新:2024年09月28日 23:16