李弼

李弼  りひつ

494-557
西魏・北周の将軍・大臣・宰相(在任557)。八柱国の一人。遼東・襄平(遼寧省朝陽県)の人。528(永安元)年、爾朱天光の別将として戦功をたて征虜将軍・石門県伯となった。のち侯莫陳悦に属し大都督となったが、宇文泰(のち西魏の宰相・北周の文帝)が陳悦を攻めると、宇文泰に属し、陳悦らを討平するのに大功があり、また、北斉の高歓(神武皇帝)と沙苑で戦ってこれを破った。556(西魏、恭帝3)年、太傅大司徒となり、北周の孝閔帝が即位すると、太師・趙国公となり、邑万戸に封ぜられ、厚く宰相宇文護に用いられ、北周国政の大事に参与した。曾孫に隋末唐初の群雄李密がいる。『周書』『北史』に伝がある。

列伝

『周書』巻十五 列伝第七 李弼
『北史』巻六十 列伝第四十八 李弼

参考文献

『アジア歴史事典9』(平凡社、1962年4月)

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最終更新:2025年10月23日 12:13
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