蕭鈞
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唐代の政治家。梁の明帝の孫で、蕭珣の子。博学で才望があった。貞観年間(628-649)に累進して中書舎人となり、
房玄齢・
魏徴に重んじられた。永徽二年(651)に諫議大夫・
弘文館学士となる。左武候引駕の盧文操が左蔵庫の物を盗んだ際に、高宗が死罪にしようとしたのを諫めたため、高宗に「真の諫議である」と評された。また太常楽工の宋四通らが宮人のために伝信物を通じた際も、高宗は死刑を望んだが、事後法であるのを諫めて遠処配流とした。太子率更令となり、崇賢館学士を兼ねた。顕慶年間(656-661)に卒した。著作に『韻旨』二十巻、『蕭鈞集』三十巻がある。『旧唐書』に伝がある。
史料
『旧唐書』巻六十三 列伝第十三 蕭鈞伝
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最終更新:2022年12月19日 00:10