田承嗣 でんしょうし
705-779
唐の初代魏博節度使。魏博が河北三鎮の1つとして自立する体制の基礎をつくった。平州(河北省昌黎県)の人で代々盧竜軍の将校であり、安史の乱の末、反乱から唐にくだり、763(広徳1)年、魏博徳滄瀛五州都防禦使、まもなく節度使に任ぜられ、翌年天雄軍の軍額をえた。彼は領内の官吏をみずから任命し、税収を独占して 中央に送らず、10万の壮丁を徴発し、うち1万を選んで有名な牙中軍をつくった。また唐朝の宰相の地位を求め、唐室や河北諸鎮と通婚するいっぽう、775(大暦10)年には相衛、翌年には宋節度使の内乱に介入して積極的に領土をひろめた。779(大暦14)年死ぬまでに領土の世襲を期して、河南北諸鎮と同盟をむすんだと思われる。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
参考文献
『アジア歴史事典6』(平凡社,1960年)
外部リンク
最終更新:2024年05月03日 19:59