洪経綸
?-784
唐代の官人・叛将。建中年間(780-783)初頭に黜陟使となり、洛陽に到って魏州の
田悦の兵七万人が兵糧を費やすのを知って、符を発してその内四万人を帰農させたが、田悦は帰農する兵士たちに「汝らは久しく軍中にある。父母妻子がおり、いまひとたび兵士をやめたら、どうして衣食の資を得ることができようか」と宣言し、自己の財産を分け与えて返したために却って名声を得た。そのため罷免された。興元元年(784)
朱泚が叛いて自立すると、太常少卿に任じられた。李晟が長安を恢復すると市で斬られた。『旧唐書』に伝がある。
列伝
『旧唐書』巻一百二十七 列伝第七十七 洪経綸
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最終更新:2023年05月18日 10:00