薛能
817-880
唐末の官人・藩鎮・詩人。咸通十一年(870)給事中から京兆尹となり、同十二年(871)には外監護となった。忠武軍節度使となるも、広明元年(880)徐州軍を許州城中に泊めたに端を発して部将の
周岌が叛いたため逃亡したが、追跡されて家族ごと皆殺しにされた。
列伝・史料
『新唐書』
巻二百二十五下 列伝第一百五十下 逆臣下 黄巣
『旧唐書』巻十九上 本紀第十九上 懿宗 咸通十一年十月条、咸通十二年春正月戊申是先条
『資治通鑑』巻二百五十三 唐紀六十九 広明元年九月条
外部リンク
最終更新:2023年05月26日 23:46