周岌
?-884
唐末の武将・藩鎮。忠武軍節度使。もとは許州の将。広明元年(880)忠武軍節度使の
薛能が徐州軍を許州城中に泊めたに端を発して、薛能を襲撃して家族ごと皆殺しにして留後を称した。都統左右司馬に任じられて
黄巣への対処にあたり、
楊復光とともに武功に陣取った。長安が黄巣の手に陥ると黄巣に従い、また離反して唐に帰順した。中和三年(883)徐州節度使の
時溥、汴州の
朱全忠とともに陳州の
趙犫を救援した。翌年十一月、
鹿晏弘によって許州を陥落させられ、殺害された。
列伝・史料
『新唐書』
巻二百二十五下 列伝第一百五十下 逆臣下 黄巣
『旧唐書』巻十九上 本紀第十九上 懿宗 中和四年十一月是月条
『資治通鑑』巻二百五十三 唐紀六十九 広明元年九月条
外部リンク
最終更新:2023年05月27日 01:15