第01回 2009年09月21日 > 前編

●自己紹介

 まず自己紹介からはじめます。私は塩谷賢といいます。もともと数学をやっていたのですが、いまを去ること四半世紀前にいろいろ個人的な問題等々ありまして、大学院にいくときに私の師匠となるはずだった先生がやめてしまったんです。それからいま話題になっている厚生労働省に勤めまして、また大学院にはいりなおしました。そのときは、科学哲学という名前のところに入ったのですが、科学哲学をまったくやっておりませんで、ずるずるとここまで来ていると。それと、あっちこっちの学会に顔を出したり口を出しているのですが、論文は出さない、証拠が残るようなことを言わない、まともな形で哲学教育を受けたことがない。じつを言うと、私がここで授業をやることがそもそも矛盾しているのではないだろうかと。(笑) そろそろお前もいい年だから何か仕事を手伝ってくれということで、こちらの安藤さんに紹介されてついつい去年引き受けてしまい、ちょっと後悔している今日この頃です。
 だからはじめに言い訳をしておきますと、通常の意味での哲学の講義を、私はできません。というのも、誰かと話をして、その人が言ったことについてはいろいろしゃべれるんですよ。その場でお互いに考えながら話をして、それは納得できる、それはちょっとよくわからない、それじゃあまた議論しようね、ということはよくやっているんですが、講義は「正しいこと」を話さなければいけませんよね。しかし、「正しい」ということを、私はよくわかっていないんですよ。数学においては証明をすることで、ああこれは大丈夫だとわかるんですけれど、哲学って昔の人の言ったことでしょ? だから本当のところ、昔の人が何を言ったのか、そこはわからないわけです。講じる先生によって、みんな言うこと違うから。しかもね、なんで僕が一生懸命ここでいろいろ考えているのに、なんで昔のおっさんの話を一生かけて、毎日毎日辞書を引いてさ、ああでもないこうでもないって調べなきゃいけないのか。ばかばかしいでしょ、そんなの確かめられないもの。なんで俺がそんなことしなくちゃいけないんだ。……という気持ちがありましてね、ちゃんとした勉強をしていないんですよ。
ということなので、四年生の方には申し訳ないのですが、科学哲学に関して通常の意味での「正しい」知識、便覧的知識、および調査の積み重ねで得られるような知識は、残念ですが、ここでお話しすることができません。もっと立派な先生はいらっしゃいますから、そちらの講義を聴いてください。それに科学哲学の講義はたいていルーズでもぐり放題です。たとえば慶應大学の西脇与作さんとか首都大の岡本賢吾さんとかそちらのほうに行かれたほうがいいかもしれません。
 じゃあ、私がここでなにをやるかというと、「なぜいまあなたは哲学ということをするの?」という問いかけを――やってみせるというのはおこがましいな――というのも僕も「哲学とは何か」ということをわかっていないからなのです。僕がそうだと思っていることを一緒に「こうかなあ?」と皆さんの顔を見ながら話しをするつもりでやってみたいと思います。前もっての資料を用意するべきなのですが、そういうその場その場で湧いてくる話題をしゃべるので、持ってきていません。僕がコンテナに知識をつめて皆さんのところにもってくるということはしません。皆さんの顔を見て、目を見て、こういうことに関心がありそうだな、というのを察してしゃべります。意外とこれが正確なんですよ。

●「logos」≠「学」

 「哲学」という名前なのですが、ご存知のとおり、英語の「philosophy」を西周(1829-1897)が訳したものです。「学」とつく分野はほかになにがあるでしょうか。たとえば、「現象学phenomenology」がありますね。
 「logos」は「legein」という動詞から派生した語で、もともとの意味は「語る」です 。古くからある学問には、「logos」がつくものとつかないものがあります。「logos」がつかないのは、たとえば「経済学economy」です。エコノミーは、もともと「家政学 oikos」のことです。家政学っていっても、家庭科でやるような料理の作り方とかではありせん。ギリシャの場合は家族が大きいから、いわゆる豪族や大名家のようなものなのです。ひとつの社会単位の運動として家政学が出てきたんです。「物理学physics」、これは「ピュシスphysis」。アリストテレス(前384-前322)には『自然学』という著作がありますね。そして、これから向き合うことになる「科学science」、これにも「logos」はついていません。
 「哲学」も「経済学」も「科学」も、もともと「logos」という言葉を使ってはいないんですよ。でも、日本では「学」という語をつけたがるのね。学という偉そうな気がするでしょ。高校生よりも大学生、生徒よりも学生のほうが偉そうですよね。「学」という字がつくことで、僕たちはどのようなイメージを持つことになるのでしょうか? 考えたことがありますか?
 「学ぶ」はもともと「まねぶ」、真似をするという意味なのですが、「logy」は話し言葉という意味です。だから、もう使っている言葉が違うのです。「哲学」というと偉そうでしょう。「ドイツ観念論のシェリングにおける誰それの影響について」とかね。それに哲学というと西欧哲学が思い浮かぶでしょう。それからインド哲学、中国哲学が続けて思い浮かびます。でも、ラテンアメリカの哲学、カリブ海の哲学なんてぴんと来ませんよね。なぜでしょう?

●哲学的だと思われている問いかけについて

 ヨーロッパ半島という狭いところ、日本の人口はいま一億三千万くらいでしょうが、EUの総人口は五億ぐらいです。その程度のところから発信された文化をああでもないこうでもないと議論しているのです。この状況を、へんだなあ、と思ったことはありませんか?
 私の友人、というには向こうのほうが少し偉いかもしれませんが、中島義道さんという人がいます。彼はこのあいだ電気通信大学を定年で辞めまして、お金をもらいながら哲学塾をやっているんです。哲学をやりたい町のおじさんおばさんや若い人たちを集めてね。彼らは哲学の学位論文を仕上げるために中島さんの塾に通っているわけではなくて、「私はなぜここに存在しているのか」、「世界の意味というのはあるのか」ということを考えるために通っています。落語で「浮世根問」というのがありますよね、熊さんとはっつぁんがご隠居のところにやってきて、世界の果てはどうなっていますかね、と聞くと、そこまでいくと落っこちるところですという。(笑) 古代から中世初期、2世紀から8世紀ごろまでの教父時代では、時間の問題に関してアウグスティヌス(Aurelius Augustinus, 354 - 430)がいろいろ複雑なことを考えています。そのとき、「神様は時間をつくるということをやったけれど、神様が時間をつくる前はどんなだったんですか?」という質問する人がいたそうですが、その質問に対して彼はこう答えたそうです。そういうことを聞く人のために神は地獄を作った、と。(笑) あと、東京国立近代美術展で「ゴーギャン展」をやっていましたが、ゴーギャンの遺書代わりともされる絵の題名は『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』(1897)でしたね。
 哲学的だといわれている問いかけは、べつにギリシャに特権的にあった問いかけではありません。それはいつどこで始まったというのではなくて、誰でもが問いうることなんです。学校で教わって、雑誌で読んで、「哲学というものは西欧由来のものである」ということを学ばされてしまったのでしょう。自分がいまここにいて、なぜここにいなければならないのか、ここにいていいのか、ということに対して、「単位を取るためにここにいるんだ」という答えもありではあるけれど、そんな答えじゃ満足しないよね。
 では、どんなふうに問うことになるのでしょうか。

●「時代の問い」

『哲学の歴史』のなかで、東北大の新田義弘(1929 - )さんが序文にこういうことを書いています。
 なによりも哲学の問いというのは、ひとりひとりの人間の内発的な問いであるとともに、時代が共有する課題、すなわち時代をしてその時代たらしめている時代の問いでもある。そういう問いのなかではじめて、時代は隠されたすがたは問うものに対しておのれを見せ始めるのである。
 カッコいい。たしかにそうだと納得する部分もある。けれどね、時代の課題ってなんだ? 時代の問いって? ある時代のただなかにいるみんなが問うのか? 違うよね。でもそうかもしれない。正解かもしれない、わからない。つまり、まともに思えることはある、けれどまともに思えることでも、本気になって考えようとすると自分が腹の底から納得できるかしかなくなってくる。
 皆さんは長いこと勉強してきて、はい問題です、と出されてそれを解く、ということをずっとやってきているわけだけれど、「答えを出すということが学ぶことだ」ということをずっと刷り込まれてきているわけでもあるんだよね。これは本当に怖い話なんですよ。僕がこんな言い方をできるようになったのは、ここ十年くらいのことです。普通に大学をちゃんとあがってくると、受験勉強なんてくだらないよね、と頭ではわかった気になっている。けれど、自分がどのように問題に対して態度をとるか、その行動と思考パターンを省みると、子供のころから刷り込まれている思考パターンというのは、知らず知らずに僕を構成し、命令し、導いているんですよ。
 分析哲学の野本和幸さんが都立大学に赴任してきたときにゼミに遊びにいったのですが、大学院修士一年の学生を対称にしたガイダンスで、彼がこんなことを言っていました。
「修士論文を書くということは学問の手習い・訓練というふうに考えるでしょう。最初なんだからオリジナルは誰も期待していない。だから、そういうものだと思うでしょう。でも、そのときに書いた修士論文は、これからのあなたの考えを縛るよ」と。そのとき修士の人たちはみんなぽかんとしていたのですが、周りにいたスタッフたち一同が、「うーん」と深く頷いたんですね。
 自分が語ってしまったこと、ふるまったことは知らず知らずのうちに自分を形成していきます。デカルトは、哲学は自発性だと言いました。たしかにある角度から見ればそうです。でも、書いてしまったこと、話してしまったこと、考えてしまったことはどんどんあなたを作っていきます。
 では、あなたを作っていくものとはなにか。
『哲学の起源』 でオルテガ・イ・ガセット(José Ortega Munilla 1856 - 1922)はこういうことを書いています。世代というものはただの人間の集合ではない。今言ったことを全部含めた生活様式、話す様式、理解する様式、そういったものをすべて含めて考える。しかもその世代はギリシャ時代、中世、現代というようなそんな単位じゃない。三十年で世代は違う。親と子で違う。親が物事を理解する様式を、子供は理解することができない。同じ時代というのは違う世代が人間として集まっていることではなく、生活様式がある意味で争い、ある意味で共存することである、と。なかなか含蓄の深いことを言っています。
 ほかにもオルテガは「哲学とはなにか」 という論考を残しています。これは1933年に彼がマドリッドの映画館で講じたものです。オルテガはマドリッド大学の先生だったのですが、フランコ政権と兼ね合いが悪くなって大学で授業ができなくなり、一般の人を集めて十一回の講義をした。これはそのときの草稿です。
 彼は時代というものを重要視していたし、彼自身が時代に縛られていることを自覚していた。スペインという国はご存知のとおり大航海時代には世界を制覇し、世界の銀の数十パーセントを輸入した。しかしやがて疲弊してきて、ナポレオンが攻めてきたときにはゲリラ戦で凌いだけれど、ヨーロッパの文化中心から離れて、経済もだめになり、民衆はみんな食うや食わずの生活を送らざるを得なくなった。「神様はスペインにすべてを与えてくれた、ただひとつ、まともな政治を与えてくれなかった」。スペインの民衆は十九世紀の終わりまで、ロシアの農奴に近いような悲惨な生活を送っていたわけです。それでもイスラム教がいたころには文化的には最先端を走っていたわけです。過去の栄光を知っている。なのになぜいま、俺たちはこうなんだ? フランスから来た王様が逃げ出してしまう、軍は暗躍する、政治の混乱は終わる気配を見せない。俺たちはどうやって生きていけばいいんだ? そういう問いかけが常にオルテガのなかにもあるわけです。これが、さっき新田さんが書いていた「個々人の問いであると同時に時代の問いでもある」問いかけです。
 では、いまここ日本にいる僕たちはどうしましょうか。
最終更新:2011年05月28日 10:54
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