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第02回 2009年09月28日 > 1.「見る=観る」ことと哲学

目次


行為としての哲学とは?

シラバスでは「「哲学する」ということについて考察する」と書いたのですが、まじめにこれをやったら三年間くらい授業やらないと終わらない話なんですよね。だから、ここでは後につながるように、科学を問題にすることによって哲学がどのように変わるか、をベースにして考えます。だから、今日の内容を先に言ってしまうと、「哲学する」ということを行為としてどう考えなければいけないか? と思う気になれるか。そのときの行為という言葉をどのようなニュアンスで受け取るか、ということがテーマになります。
 まず、哲学において行為・実践をすると言うときには、実践哲学や倫理学が最初に思い浮かぶことでしょう。でもそれは、考えたい対象が実践なんですよね。「哲学すること」自体が実践であるわけではない。「哲学すること」自体が実践であるとはなにか?
ギリシャ で哲学が始まったときに、最初にベーシックな形態としてあったのは、「観想:テオリア」という考え方です。英語theory(法則,理論)はこれに由来しています。なぜ「観想」があったのかというといろいろ議論があります。ちなみに、ギリシャのポリスというと自由な共同社会で、市民が参加して云々ということが言われていますが、それは大きな奴隷制と収奪のうえで成り立った社会システムのエリートとしての市民たちのあいだの合意形成の話です。飯を食うにも困らない、一日ヒマにしていて、退職して年金をもらってのんびりしているおじさんたちが、朝日カルチャーセンターや大学の聴講生として哲学をして楽しんでいると、そんな側面がギリシャには少なからずあったと言われています。
 そこで考える必要があるのは、「私たちがギリシャだと思っているのは、ギリシャなのか?」。私たちがふつうに考えるのはソクラテス、プラトン、アリストテレスですよね。さて、この三人がどの年代に生きていたかをご存じですか?

哲学者たちの年表

 ここで「こうしたら面白くなるよ」というアドバイスです。哲学者たちの名前の原語表記と生年月日を自分で書いてみると、大変面白い。私たちが哲学を勉強するときに、何世紀のだれそれの思想はこうですよ、と覚えるわけですが、そのときには哲学という視角から見た流れのなかで位置づけているわけですよ。でも、現実には哲学者というのはみんな人間なんだから、いろんな学問、いろんな文化のただなかで生きているわけです。じつはそれらを同時代に並べてみると、ドイツ観念論から来た人、イギリス経験論で来た人、実存主義の人……の生きていた年号は、非常に錯綜しているんですよ。しかもお互いにお互いの著作を読んでいたということがあったかもしれない。
 例えば、カントの次にはフィヒテが来て、ヘーゲルが来てそれからぱッとフッサールに飛んでハイデッガーへ……という流れのなかで、マルクスがどこに来るか、モンテスキューがどこの位置に入るか、というお互いの影響関係というのは著作を通してではなかなかわからないのですよ。でも、前回お話したように、「私たちがそう思わされてしまう時代の気分」というのがあります。いまどういうふうに思いたくなるのか、ものの考え方のベースとなるものが私たちにも彼らにも染みついているわけです。その「染み付き」が哲学者たちの違った学派のあいだでどのような思いつきとして現れたか? それを想像するためのまず最初の手がかりは、哲学者たちの年表を作ってみる。それが大変なら、それぞれの生年月日・没年月日を調べてみる。そしてExcelなどでソートして並べてみると大変発見があります。
その年表に加えて、芸術関係を調べると大変面白いです。例えば、モーツァルトとカントがどういう時代関係にあったか、ぱッと思いつきますか? カントが『純粋理性批判』B版を書いていたころは、モーツァルトの晩年で、彼が三大交響曲(交響曲第39番、第40番、第41番)を書いていた頃なんですよ 。


「運命」を観ずることとしての哲学

さて、私たちは哲学の思想内容の源流としてのギリシャに非常に着目します。それは先ほどあげた三人、ソクラテス(前469-前399)、プラトン(前427-前347)、アリストテレス(前384-前322)です。ラファエロが『アテネの学堂』で描いているとおり、この三人はほぼ同時代の人なんです。ここで問題です。ユークリッド幾何学で有名なユークリッドは、この三人より前でしょうか、後でしょうか? アルキメデスはこの三人より前でしょうか後でしょうか? ピタゴラスはこの三人より前でしょうか後でしょうか?
 正解はユークリッド(前365?-275?)とアルキメデス(前287-前212)がこの三人よりもあとで、ピタゴラス(前582-前496)が前です。全然歴史が違うんですよ。
ソクラテス、プラトン、アリストテレスの三人というのは、ほぼギリシャ最後期、アテネがギリシャに対して支配権をもった時代です。しかも、ソクラテスは戦争に従事して兵士になった人ですから。ギリシャがポリスの形態をとりながら、ローマの原型となるような帝国主義に目覚めつつあった時代のころの人たちです。
さらにこの三人以前にはソフィストたちがいます。歴史的に有名なのは、イオニアのタレス。内容的に有名なのは、パルメニデス(前500?-没年不明)と、ヘラクレイトス(前540?-前480?)。この二人は非常に重要です。パルメニデスはある意味で真理の原型となるような「一者」や「不滅」を唱えました。ヘラクレイトスは「万物は流転する」(Παντα ρει., Panta rhei.)」を唱えたのですが、謎の人、と呼ばれています。あいつの言っていることはまったくわからんということで。
 しかし、これだってギリシャの一部に過ぎないんですよ。ギリシャ文明は非常に長いです。ミケーネ文明 なんてこれより千年くらい前ですから。それでギリシャ思想を語るというのは、日本でいえば、西田幾多郎とか田辺元の思想を持ってきて、紫式部や清少納言とかの平安時代とまとめて、「日本はねえ」と述べるようなものなんですよ。
 ところで、ソフィストたちからフィロソフィスト(哲学者)たちまでのあいだ、基礎とされていたのは何だったのでしょうか。
 幾つもあるのでしょうが、一つは「運命:テロス」です。これは「目的」とも訳されます。
 ギリシャにおいて「運命」は典型的にギリシャ悲劇によって表現されます。そして、ギリシャ悲劇の最盛期、三大悲劇詩人 のころが、さきほどのソクラテス・プラトン・アリストテレスとほぼ同じです。哲学者にはだれも賞金を出しませんでしたが、悲劇詩人には莫大な賞金と名誉が与えられました。『アンティゴネー』や、心理学科の人にとってはおなじみの『オイディプス王』がソフォクレスによって書かれ、上演されたのもこのころです。このように「運命」ということが――これはじつは次の「世界観」の授業にも関係するのですが――「運命」が一番のベースである彼らの発想においては、「運命」をどのように知ることができるか、というのが最大の問題だったのです。
例えばオイディプス王は自分の親を知らずに羊飼いに育てられ、父親を殺し、母親を妻としてしまい、それがもとでテーバイから追放されて死ぬ。これが運命だ、と。でも彼はひとつも悪いことをしていないですよね。責められるべきものを持っていない。しかしそれが決定論しての「運命」であり、しかもそれは私たちにはわからない。
 そういうときに、「観想」とは「運命」を観ずることだったのではないか? 「運命」は変えられない。モイラの女神がもう紡いでしまったから。でも、「運命」を見ることによって心の平安を得られるかもしれない。これはストア派やエピクロスなんですよ。哲学をするというときの一番のベースはギリシャにおいて「運命に対して、私たちは何ができるか? もしくは、何ができないのか?」ということに対するひとつの了解のもとで始まった可能性があります。
 これは間違いかもしれないですよ、私はギリシャの専門家ではないですから。でも真理とはなんなのか? 大雑把に言ってしまえば、「明らかにする:アレテイア」ことです。世界は明らかなんですよ、運命が進展していけば。しかしそれをそれとして自分が生きるには、 前もって運命を明らかにして、運命にたじろがないようにするための、それが観想だという可能性があります。つまり、非常に消極的な意味での行為、行為をあきらめた行為としての哲学があったと考えることができます。


「見る=観る」ことだけが哲学として残った

 私たちは真理という言葉をギリシャから継承した。でも、ギリシャの運命論はぜんぜん継承していないんですよ。
 前回お見せした新田義弘さんの『哲学の歴史』の第二章で、ヘブライの思想を扱っています。キリスト教とギリシャ哲学が融合したことによって、キリスト教における終末思想、そして世界の外に立つ神、そして世界の外に立つ私たちというものが作られたと彼は指摘しています 。それは僕は正しいと思う。世界の外に立つわれわれという発想はギリシャにはありません、運命というのは世界のなかの出来事ですから。世界のそとに運命はありません。世界の外は、超越神という仕方でしか関われない。まったく構造が変わってしまう。
 にも関わらず、真理という概念はを私たちはずっと保持してきた。そこで内容が転換している可能性があるにもかかわらず。では、そのときに「真理」というものがなんだったか。「真理」というものに対して現在私たちのところまで来ている哲学の段階ではどういうふるまいができるか。
 「観想」=「運命」を観ずることが、基本的には真理の認識というようになるわけですよね。「真理」にはいろいろ訳があって英語だったら「truth」ですし、ドイツ語なら「Wahrheit」、ラテン語なら「veritas」。でも、真理というものに対する関わりであるということが、ギリシャとの接合から来た哲学の成立においてずっと一貫していたわけですね。そうすると、真理である以上、どうやったって私たちの勝手にはならない。だから真理は「見る=観る」ものだと。「見る」というタイプの行為をベースにした形で哲学の議論はずーっと続いているわけですよ。


なにが見えているのか? ――能動知性について

 ところが問題がある。ここにチョークがありますね。ほんとうにあるんでしょうか? たしかにチョークは見えています。でも、このチョークはもしかしたら三次元のホログラフかもしれない。
「なにが見えているのか?」と問うたときに真理を保証するということが、「見る」というベースのなかでどのように可能になるのか、ということが当然問題になります。だからデカルトが出た、ということを言いたくなるけれども、そんなに単純じゃない。デカルトが来るまでの千年間、そんなにバカばかりいたわけじゃないですから。その千年間のあいだ、真理を見る=観るということ、その見る=観るという機能を何に背負わせるかという問題がずっとあったわけです。
だから「見る」という語は、非常に強く知性的(interectus)なものと結びついています。知性は「見る」ことがモデルとなるわけです。フッサール(Edmund Husserl,1859-1938)の現象学でも「見る」ということがベースになっています。「見る」といったときにどれくらいの手段があるのか、何によって「見る」のか? 何によって見るかはいくつも方法はありますよね。「目で見る」。これは一般的な意味ですね。あと「心で見る」。日本では心眼という言葉があります。そして、「知性で見る」。そのときに「知性というものは何であるか」というものが問題になってくるわけです。知性ってなんでしょう? まさか知能テストで算出されるIQの数値じゃないし、脳トレのスコアが知性でもないよね。
 「知性で見る」と言ったときに、中世ヨーロッパにおいては一番広い意味での人間の精神活動は、以下の三つに分けられます。「感覚」、「理性」「知性(能動知性)」です。

感覚

理性

知性(能動知性)

 なぜかヨーロッパは「3」が好きなんだよね。三圃式農業をやっていたせいかもしれないけれど。面白いことに、カントの分類も3と4がベースなんですよね。音楽に関しても、ヨーロッパの音楽のベースは3拍子なんですよ、ワルツなどの舞曲などは特に。
 この三つが、キリスト教中世体系では基本となります。つまり、「感覚」は「知性」に対比されるものではなく、人間の知性の一部だとみなされているわけです。
 ちなみに、インド仏教系になると、むしろ感覚をベースにして拡大していきます。大乗仏教の唯識派は4世紀、無着(アサンガ)と世親(ヴァスバンドゥ)によって大成されました。そこではこのようになっています。

五識―眼(げん)・耳(に)・鼻(び)・舌(ぜつ)・身(しん)

意識

マナ識

アーラヤ識

 般若心経で「色即是空、空即是色」といったときの「色」に関わる「五識」、これは通常の五感と呼ばれているものとほぼ同義です。そして潜在的な統一体として自らを自覚する、という意味での「意識」。種族的なレベルにおける無意識などを含んだ「マナ識」。そして世界の根本となっている「アーラヤ識」。この「アーラヤ識」にライプニッツのモナド論を重ね合わせて解釈している人もいます。仏教の側ではこの「識」ということばからわかるように、「感覚」のほうの拡大に近い形をとるんですね。ところが西洋のほうは、「知性(能動知性)」のほうの拡大という形をとる。なぜかといえば、「知性(能動知性)」は神様に関係があるからです。
 「感覚」は通常の意味での感覚です。「理性」というのは理論・推理能力のレベルです。そして「知性(能動知性)」とは――ここで言うことは文脈に即した一面的なものなので、ちゃんと中世哲学の人に聞かなければならないのですが――世界の本質、ギリシャなら「運命」、中世ヨーロッパだったら「神が世界を設計した理念」を直接に知ることなんです。いきなり知る、直覚的に知ることなんです。能動知性には、途中で推理が入っていない。これは中世ヨーロッパでもっとも議論された、そして近代においてもっとも批判された内容なんです。
 能動知性に関してはアウグスティヌスもトマス・アクィナスも著作を残していますが、非常に精緻に書き、かつ現代的なものに影響がある著作が、ニコラウス・クザーヌス(Nicolaus Cusanus、1401-1464)の『知ある無知』(De docta ignorantia,1440年)です。神の知性は常に私たちを追いこしている、という形をベースにしています。クザーヌスが画期的だったのは、無限性の概念を取りこんだということです。無限性の概念は中世ヨーロッパでは非常に嫌われました。神においては一挙にとらえられるにもかかわらず、私たちがたどりつけない無限、それを肯定的な形で言うことが大変難しかったわけです。信仰の立場から言えば、神様に対して人間は従うべきだから、社会的-規範的なものとはギャップがあったほうがいい。そうではなくて、「知性」の立場からそういうギャップはないほうがいい、ということでクザーヌスは頑張ったわけです。
最終更新:2011年06月02日 10:23
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