赤井米吉

大正デモクラシーを背景とした革新的な教育実践は、「大正自由教育」として知られている。赤井米吉は、この時期の新教育運動にかかわった、手塚岸衡や西村伊作、北原白秋及川平治、下中弥三郎などの教育実践者の一人である。
パーカーストの「ドルトン・プラン」を日本に紹介し、明星学園の創始者にして研究学校を目指しながら、戦時中には国策に協力して戦後、公職追放された。
また、上であげたこの時代の教育実践者の主張は、自由、体験重視の主張など、今日の改革の方向性と驚くほど似ている。
しかし、その後の新教育運動は、昭和期の軍国主義的な動向の強まりなどもあり、学校経営の恒常的な困難、新しい学校を支持した親たちの社会的性格からの上級学校進学への期待などの背景のため、変質したり、消滅した。

参考URL
www2.wbs.ne.jp/~k123/k_link/sour.htm
www.crn.or.jp/LIBRARY/BOOK/9804_2.HTM

りえ
最終更新:2007年03月25日 16:22