『学問芸術論』とは、フランスの思想家
ルソーが書いたものである。
1750年に文明の生んだ学問や芸術が人間本来の自由に矛盾することを描いた『学問芸術論』が、パリの南東方ブルゴニューの中心都市ディジョンのアカデミーの懸賞論文に当選して一躍名を上げることができた。
『学問芸術論』は、「学問、芸術、技術の進歩は人間を堕落させ不幸にする」というものであった。
『学問芸術論』の第一部より
人間が自らの力によってなんらかの方法で無から旅立ち、自分達を取り巻く闇を理性の光で切り開いて、さらには自分自身を乗り越え、精神の力で神の領域にまで上り詰め、太陽に比すべき巨人のような急速な歩みで広大な地球を走破し、そして何より困難で偉大なことには、自分自身の探求のために自己の内面に立ち戻って、人間の本質、人間の使命、人間の目的を極めていく、そのありさまを見ていくことはまさに壮観であります。そして、この素晴らしい歩みの全てが、つい最近、再び繰り返されたのです。
(省略)
美徳を備えた人間とは、裸一貫で勝負することを好むいわば筋骨たくましい人のことです。そのような人は、つまらない飾りを嫌います。なぜならそのような飾りは力を発揮するときの邪魔になるし、もともとは何らかの欠点を隠すために作られたものが多いからです。
(省略)
もし結果が不明ならば、原因を探求する必要はありません。しかし、今の場合では結果は明白です。それは精神の明らかな堕落です。学問と芸術が進歩して完成の度を高めるとともに、私達の精神は堕落していくのです。この現象は現代だけのものでしょうか。いいえ、無益な好奇心はもとで起こるこの病気は、人間の歴史が始まって以来ずっと存在しています。行動規範つまり道徳のレベルの変化は、学問と芸術の進歩と密接に結びついているのです。この二つは、海の満ち退きは夜を照らす付きの運行と結びついているのと同じくらい密接に結びついていると言えるでしょう。つまり、学問と芸術という光が水平線から昇っていくにしたがって、美徳は地上から消えていくのです。それはいつの時代、どこの国においても見られる現象です。
最終更新:2007年08月09日 16:18