自然主義的教育観


自然主義的教育観とは、教育が自然と事物と人間によって行われると考え、この三者が一致するためには人間の手によって操作することは出来ない自然による教育に、事物による教育と人間による教育を合わせればよいという考えのことであり、自然による教育は、生来的な能力や器官の内部発達をいい、それぞれ子どもがもっている本性として重視している。そして「自然による教育」を補完する形で、内部発達の使い方を教える「人間による教育」と、子どもに働きかけたり、影響を受けたりしながら経験として獲得される「事物による教育」が位置づけられた。
また、この考えはルソーが「エミール」で主張している。これは、冒頭の「事物の創り手を出るとき、すべて善い。人間の手の間ではすべては悪くなる」という文からも読み取れる。
このような教育観から導かれる教育方法は、積極的に子どもに働きかけるのではなく、出来る限り子どもの内的な自然に即しつつ、それを伸ばすこと、つまり消極教育なのであると捉えられることもある。
しかし、ルソーの本意であったのは、もともと子どもは身の回りの外界や歓呼ユニ強い感心を持ち、自発的な学習意欲があるのだから、子どもの発達に即して寄り添いながら導いていくということなのである。
最終更新:2007年08月18日 14:35