何よりも「障害者」本人の「
教育を受ける権利(
学習権)」の行使、実践的には「親の
教育権」に着目し、行政に
よる一方的な就学先学校の指定に対して「保護者の学校選択権」を認めさせていこうとする運動が「実現する会」
の支柱である。憲法、
教育基本法の理念に基づく「
養護学校の義務制度化」には肯定するものの、「行政による就学
先の指定は障害者差別・選別の路線である」と厳しく批判する立場をとる。すなわち「実現する会」の主張のポイ
ントは、
文部科学省・
教育委員会による「機械的・官僚的」な就学先の指定を批判し、この行政権限に対して特殊
教育諸学校・
特殊学級・普通学級のいずれかを保護者が自由に選択することを「権利」として主張する点にある。
このことを「実現する会」は次のように主張する(大西問題を契機として障害者の教育権を実現する会編,1978)。
障害児教育については、一人ひとりの子どもに合ったところが、とくに選ばれなければならないのであるが、現実
問題としてそれぞれの子に絶対的に合ったところを選ぶことは、誰にも出来るものではない。そこで、就学すべき
学校・学級の選択ということの必要性が出てくる。その選択にあたっては専門家の意見を聞くことや運動のなかでの討論・経験の交流を判断の材料にすることもあるが、しかし最後の判断は、保護者(本来的には本人)によって
なされる以外にない。その理由はいたって簡単で、保護者こそが端的に子どもの法定代理人であり、日常的にも子
どもに接し、地域・家庭の事情も総合的に配慮しうる立場にあるからである。このようなところから「子どもの学
習=発達権」を保障するための「権利」として「保護者の学校選択権」の主張が提起され、対行政闘争の「法律上
の武器」とされるに至った。このことは、次の篠原睦治の主張からも理解される。「
学校教育法施行令第22 条の2」
の規定は「障害児は養護学校へ」という方向を打ち出し、「強制就学」を規定したもので、保護者の意見を無視した
法律であると考える。就学先は強制されるものではなく、親の意向を尊重してなされるものであるという考えもあ
る(篠原,1976)。この考え方は取りも直さず、親の学校選択権の主張である。
最終更新:2013年03月04日 09:58