「
特別な教育的ニーズ」という概念が使用されるようになったのは、1978年にマリー・ウォーノック(Mary Warnock)を議長とする障害児・者の教育調査委員会の報告書が提出された時からである。
この報告を受けて、政府は1981年教育法で、
特殊教育の対象となる子どもを、「障害」のある子どもとして捉えずに、「特別な教育的ニーズ」のある子どもとした。1981年教育法以前の特殊教育の制度は、1944年教育法によるものであり、盲、弱視、聾、難聴、虚弱、糖尿、教育的遅滞、てんかん、不適応、肢体不自由、言語障害の11の障害カテゴリーが使われてきた(1953年に糖尿が虚弱に合併された)。ウォーノック報告では、(1)医学的視点からの障害のカテゴリーは、子どもが必要としている教育と対応していない、(2)障害を子どもの要因としてのみ捉えている、(3)障害のあるなしは、明確に区分されるのもでなく、連続的なものである等の点が批判され、従来の障害カテゴリーの代わりに、「特別な教育的ニーズ」を用いることが提案された。
ウォーノック報告は歴史的にも内容的にも権利条約の基盤となるものである。しかし、ウォーノック報告は新自由主義を開始したマーガレット・サッチャーと深く関わっており、一見、新自由主義とウォーノック報告は全く異質あるいは対立するもののように見えるが、この2つを精査すると、新自由主義まっただ中の就学支援は、まさに「戦略的
就学指導」だったのではないかという見解(落合,2009)もある。
最終更新:2013年03月04日 15:03