アカウンタビリティ
アカウンタビリティ(accountability)
アカウンタビリティ(accountability)は普通名詞で本来「義務・責任」の意味だが、今日では、よく「
説明責任」という意味で使われている。
しかし、新約聖書にある、ペテロの第一の手紙3章15節に「ただ、こころの中でキリストを主とあがめなさい。また、あなたがたの内にある臨みについて説明を求める人には、いつでも弁明のできる用意をしていなさい」という言葉がある。
この「説明」という言葉は、今日のアカウンタビリティに通じてくる言葉である。同じ4章5節には「彼らは、やがて生ける者と死ねる者とをさばくかたに、申し開きをしなくてはならない」という言葉がある。この「申し開き」は、「説明」という言葉と原語ギリシャ語では同一の言葉(「ロゴス」)である。
この言葉が「説明責任」の意味に用いられてくるよく知られた箇所としては「タラントの譬え」(マタイ福音書25章14節以下)のところである。
それは人々に五タラント、二タラント、一タラントを預けるのだが、一タラントという一番少ないお金を受けた者はそれを地に埋めてかくして置いたという。そこにはその違いについての「解釈」があるからだ。与え主は神を表している。神理解にもとづいて、その一タラントを地中にかくしてなくさないようにするという。それに対して説明する責任が問われる。
アカウンタビリティにおいては、たしかに我と汝関係を基礎としているが、そこには、応答する主体だけでなく、その応答の中に委託された事とか物とかに対する責任として、
社会性を帯びてしまう。その主体は、その委託において「エイジェント」となる。つまり、そこには、「我と汝」関係の中に、「我とそれ」関係の「それ」(第三者)の要素が入り込み、そこに「委託関係」が加わる。
以上のことより、アカウンタビリティの意は社会関係の広がりをもつということができ、人間主体は社会的、英語で言えば、agentという性格である。或いは stewardessの性格をもつということもできる。
参考URL
www.pref.hiroshima.jp/soumu/kikou/jouhou/keyword/keyword4.html
www.seig.ac.jp/edu/column_4.htm
りえ
最終更新:2007年04月02日 00:05