大村益次郎(おおむら ますじろう) 

1824~69(文政8年~明治2年)

江戸時代の後期の幕府にて活躍、長州藩士。
別名:村田亮庵、村田蔵六


[医学から蘭学へ]

長州の村医の子として生まれた大村益次郎は、医学を修めるために
梅田幽才斎・広瀬淡窓に実地・漢文の手ほどきを受ける。

大阪にある緒方洪庵の適塾で学ぶ。





兵部大輔としてフランス式軍制を採用、近代軍制の創始者。
武士の廃止・国民皆兵の信念をもっていた。
新しく徴兵制をしき、全国民の中から、身体の丈夫な、精神の強い、知識の優れたものを採用し、外国にひけをとらない日本国軍隊の建設を目指した。

そして、徴兵制を進めるが欧米政策に反対する攘夷派士族に斬られ、その傷が原因で死んだ。



最終更新:2007年05月04日 17:10