誕生日

戦争が終わった。
たった一人の親友を失い、完膚無き敗北から既に二年が経っていた。
新生ザフトの生贄として処刑されるだろうと他人事のように考えていたシンは、しかし、自身の予想に反しその命を永らえさせた。処刑は愚か、赤服さえ奪われる事は無かった。
ザフトは、否クライン派は、シン・アスカをギルバート・デュランダルの憎むべき遺物として見せしめの様に殺す事よりも、唯一フリーダムを倒した優秀なパイロットとして猟犬にする事を選んだ。
使える者は使う、シンの意思など介在する余地の無い決定。
しかし、シンはそれを屈辱と感じなかった。

感じる程にはシンの中にはもはや一種の熱のようなものは無かった。


ただ、好きにすれば良いと、シンは思っていた。



                              ◇



夜風に身を任せると、潮の香りが微かに鼻に付く。
ネクタイを緩め、一つボタンを外すと、隙間からひんやりとした風が入り込み身体の火照りを鎮めてくれる。
海の見える屋敷。絵に描いたようなわかりやすい金持ち趣味の立地条件にシンは馬鹿馬鹿しいと溜息を吐く。
オーブの、それも一部の階級の者ばかりが集う場にいる事が如何に場違いなのでるか、シンは十分に承知している。
ちらりとテラスから中をのぞきこむと、綺麗に着飾ったお偉方の面々が談笑に耽っている。
塗り固めた笑顔。コピペしてきたようなお決まりのお世辞。言葉と視線の節々に隠された腹の探り合い。
こんなにも美味しい料理が並んでいるというのに、よくもまあそれらを蔑ろにして下らない話に興じる事が出来るものだ。

「不機嫌そうな顔だなシン」
「アスハ……代表」

背後に寄り添う気配に気付いていたシンは驚くわけでもなくカガリの方へ振り返る。
一切の敬意も思慕も見られないシンの視線を、気にする風でも無くカガリは受け止めるとシンの隣りに立つ。
淡い青色のドレス姿に、必要最低限のアクセサリーを身に付けたカガリは代表というよりもお姫様という形容が相応しい。
並みの男では見惚れてしまうであろう装いに、シンはけれどもカガリの手にしている皿の方が気になるのか視線を向ける。

「………アンタ………ミートスパゲティはドレスに跳ねるぞ……てか盛り過ぎ」
「うるさいなぁ。さっきまで何も食べていなかったんだ。それに、こんなパーティーでミートソースを出す方が悪い」
「さいですか」

くるくると、意外と言っては失礼だが、行儀良くフォークに巻きつけるとつるんと一口パスタを口にする。

「うん、美味しい」
「いっつもいいもん食ってるでしょ」
「そうでもないさ。色々と苦しいんだ、粗食だよ案外」
「ま、私財を投じてっていうのは、結構これでも感心してるんですよ」
「それはオーブの人間としてか?」
「元です。元」

戦後、カガリがアスハの財産を削り二度に渡る戦乱に巻き込まれた人々の生活の保障にあてた事はシンの記憶に新しい。
寧ろ、それがあったからこそ、この無鉄砲で馬鹿正直な、ともすれば考えなしの小娘が圧倒的な支持率を勝ち得たのだろう。
金ぴかのMSを作るくらいなら最初からそうしろと言いたいのも本音としてあったが、とりあえずはカガリの下心無しのその行動は賞賛出来ると考えている。
カガリへの個人的な好悪は別として。
カガリはシンの『元』という言葉に一瞬寂しげな表情を浮かべる。

「なぁ……もうオーブには戻らないのか?」

息も触れる程の距離に迫りながら、カガリは哀願するような視線をシンに向ける。
終戦から二年、初めて会った頃は同じくらいの高さであった少年をいつしか見上げている事にカガリは微かに戸惑った。
見上げた先の精悍さを増し、幼さを削り落とした顔には苛立ち、というよりもうんざりといった色が滲み出ている。


「止してくれ、今更でしょ?」
「戦い続けたいというならオーブ軍にポストを用意しても構わない」
「だから止めてくださいって」

一歩。
シンはカガリから距離を取る。

「そういう個人裁量で軍の人事を決めるのは感心しませんよ?つか、ウチの議長だけでそういうのは十分です」

脳裏に自分の上官の人畜無害そうな笑顔が浮かぶ。
議長の恋人であり、懐刀である青年。
新生ザフトのトップエースであり、副官であるシンと共に戦場を駆け回っている男。
若い女性士官達やアカデミー上がりの学生気分が抜け切らない少女達が騒いでいるのを思い出す。
青い翼の王子様と、赤い翼の王子様。
勘弁してくれと、心底うんざりと思う。王子様という柄ではない。そもそも、キラ・ヤマトと並び称されるのが堪らなく鬱陶しい。

「やはり………今でもオーブは赦せないか?」

琥珀色の瞳を揺らせるカガリは、いっそ消えてしまいそうな程に儚く映る。訳も無く落ち着かない気持ちを押し殺しながら、シンは視線をカガリから逸らす。
ステラ、ルナマリア、過去自分に縋るような女性の瞳にシンは抗えた試しが無い。気持ちを切り替えるように、シンは深く息を吐く。

「赦すとか赦さないとかそういうのじゃなくて……んん ―――――― 」

空を見上げ頭を掻く。上手く言葉が見つからない時のシンの癖だ。
カガリはシンが何を言うのか、その言葉を聞き漏らすまいと視線を向ける。

「なんつーか……今更帰り辛い…いや違うな、帰るタイミングを失くしたっていうんですかね」
「タイミング?」
「そ、タイミング。俺はオーブに裏切られたって思ってた……てか今でもぶっちゃけ思ってる。だから銃を向けた。だからといってオーブが悪いから銃を向けたって胸を張って言い切るほど今は流石にガキじゃないつもりです」
「なら、いいじゃないか戻ってくれば」
「良かないですよ。でも、それでもやっぱりオーブに銃を向けたっていう事実は事実なんだ」
「それは……」
「戦争だから仕方が無いっていう言葉は嫌いだけど、この二年間戦ってきて、何となくわかったんだ。そういうもんだったんだって」

まるで言外に運命であったと、何か見えざる手によってそ仕向けられたかのように、シンはそう思いさえしている。それがカガリにも感じ取る事が出来た。しかしそれを諦めと、詰る事はカガリには出来ない、出来よう筈が無かった。少なからず己の無力さが其処には絡んでいたのだから。

「で、そう思ってる内に、戻りそびれたっつーか、タイミングを逸したっていうか……」
「何だか……」

小さく溜息を吐くと、カガリはどこか寂しげに笑う。

「何だか家出少年の言葉みたいだな」
「そうかもな……じゃなかった、そうかもしれないです」
「いい、無理してそんな言葉遣いは。でも、シン……」
「なんですか?」
「いつでも戻ってきていいんだぞ?オーブはお前の国なんだ、タイミングなんて ――――― 」
「気にするなって言うなよ?俺もアンタも、立場があるだろ?そんな簡単に行くかよ………そもそも俺の事を目の敵にしてる人だってこの国にはいっぱいるんだからさ」

シンの思いやカガリの想い以前に、ギルバート・デュランダル政権下において、オーブに銃を向けたシンをオーブという国が迎え入れてくれるのか、連合と結託してたセイラン政権下だから仕方が無いと済ませられる問題ではない。シンによって散らされた命の中にはオーブの人間も数多くいるのだ。
誰かを撃てば、その家族に今度は銃を向けられる。オーブが家族の仇であるというならば、シンが家族の仇であるオーブの人間も確実にいる。その事が純然たる事実である以上、シンはオーブの土を我が国として踏む事など出来ないだろうと思う。


「そうか………そうだな」
「てかもしかしてそれを言うために今回俺を護衛に指名したんですか?」
「うーーむ、それもあるが………」
「が?」

先ほどまでの縋りつくような、弱々しいカガリの顔が一変して快活な笑顔に切り替わる。

「折角だから引き抜きしようかなと、私の親衛隊に」
「アスラン泣くぞ?」

生粋のプラントの人間でありながらカガリの為にオーブに移住し、カガリの親衛隊となっているアスラン・ザラを思い浮かべる。
確か二人は恋人関係ではなかっただろうか。

「泣かせておけばいい。未だにどっちつかずなヘタレ男なんか願い下げだ」
「人を当て馬にするなよ……公私混同も甚だしいだろうが」
「はははッ、何だだったら本命馬になるか?」

悪戯っぽく笑うカガリに、不覚にもたじろいでしまった自分の未熟さがシンは無性に憎らしくなる。よりにもよって、普段影で『メスゴリラ』呼ばわりしているカガリに不覚を取った事が何より悔しかった。シンは忌々しげに、自分の中の決まりの悪さを誤魔化すように舌打ちする。


「それに、下種の勘繰りだよ。アスランとはもうどういう関係でもない」


(情誼的な間柄ってやつね)

何とも聞こえこそ良いが、微妙な関係だなと、シンは内心溜息が出るのを覚える。
確かにアスランが嘗ての自分の同僚を選んだ事は風の便りに耳にしている。
風の便りというのは、シンが積極的にアスランの現状を知ろうとしないから。
寧ろ知ってたまるものかという意地すらあった。
シンのアスランに対する意地の張りようは既に足掛け二年、出会ってから三年が経った今でも尚変わることはなかった。
しかし、アスランの幸せには興味の無いシンではあるが、そのお相手の事は別問題である。
聡明であっても意外と間の抜けているアスランには、意外とちゃっかり、しっかりとしている彼女は似合っているというのがシンの所感だ。


「なぁ…シン。もしも……もしもなんだが」
「何だよ」
「もし、私がアスハではなくて…ただのカガリだったら、いや、しかしアスハを否定するというのは私の今までを否定する事であり、それは私ではないのかもしれないのだが」
「何が言いたいんだよアンタは…?」
「と、とにかくだ、もし違った出会い方をしていたら……私達はどうだったのだろうかと思った事はないか?」

しがらみが無かったとしたら、それはあくまでも『もしも』の話だ。IFの話をして何になるというのだろうか、とシンは喉まで出掛かる言葉を飲み込む。こうやってすぐに噛み付くのは悪い癖だと思いつつ自分を抑えられる程度にシンは成長をしていた。脊髄反射的にカガリにつっかかろうとしてしまうのはそれでも直らない。自分にはもしかしたら本能にまでカガリには噛み付かずにいられないように出来ているのだろうか。
しかし、カガリの言葉の意味を噛み砕いてシンは思い浮かべる。
アスハの人間ではないカガリ。
一人の女の子としてのカガリ。

「無理。つか想像が付かないな、アスハじゃないアスハは」
「少しは考え込むとかしないのか!!お前はぁ!!」
「考え込むって、何をさ?」
「だから、もしかしたら、IFの話だが、普通の女の子の私とか………」
「自分で女の子とか言っちゃってるよ、この人……」
「な、馬鹿にするな!!私だってれっきとした女の子だ!!」
「女の子というか……むしろ……」

雌ゴリラだなというセリフを飲み込めた自分をシンは褒めてやりたくなった。
確かに見目麗しい部類に入るのだろうが、正直シンには代表として綺麗事を吐いてるカガリか、男のように火を噴く勢いで捲くし立てるカガリしか知らない。
そこに上官であるキラ・ヤマトから定期的に聞かされる情報の断片を合わせると凄まじく色気の無い姿が出来上がる。

「寧ろなんて言おうとした?」
「……いや、いい」
「気になるだろ!!言えよ」
「つか、キラさんに腕相撲で負けた事が無い癖に女の子とか言うな」
「う、腕相撲が強くたっていいじゃないか!!これでも小さい頃はそれなりに女の子らしいものが好きだったんだ!!」
「へぇ~~~例えば?」
「ま、魔法少女とか」

およそカガリの口から出たとは思えない単語にシンは目を丸くする。
よりにもよって魔法少女かよ、と呟く。

「あ、馬鹿にしたな今!!面白いんだぞ魔法少女!!空を飛んで、メカっぽいステッキで敵を駆逐するんだ。かっこ良かったなぁ…あれ」
「ああ………その物騒な魔法少女なら知ってる。妹が好きだった」
「ほう、そうか。わかってる妹だな!!」
「妹八歳だったぞ?」
「……………いいじゃないか」
「まぁ、いいけど……」

随分と物騒な魔法で武力解決をする魔法少女。マユは喜んで見ている隣で、果たしてこれで良いのだろうかとしきりに首を捻っていた記憶がある。しかし、それをカガリも好きだったとは、とシンは少し意外に感じる。或いは、カガリの言う通り、そういう可能性もあったのかもしれない。
もし、かもしれない、どれも不毛な言葉であるがシンはふとそれを想像する。

「確かに……そういうIFがあっても良かったのかもしれないな」
「ああ、もしかしたら、もしかしたらだぞ?アスランとラクスが結婚していて、私とお前が友人という世界もあったかもしれない」
「へッ、そんな事言い出したらどんな世界だってあったかもしれないって言えちまうな」

わざと、偽悪的に唇を吊り上げるシン。
そんな夢物語を考え出したらきりが無い。何より、自分のいる現実から逃げ出してしまいたくなりそうでシンは微かな恐怖を覚える。
しかし、カガリはそうではないようで、嬉しそうに、楽しそうに笑う。

「いいな、それ。だったら私やお前が魔法使いの世界もあるかもしれないぞ」

魔法少女の事が話題に出たせいであろうか、カガリは夢を見るように瞳を輝かせる。

「うわぁ~~恥かしいーー!!!アスハ代表、魔法使いて、魔法使いて、恥ずかしい」
「う、ううう、煩い!!少しくらいそういう事を考えてみてもいいじゃないか!!」
「そういう事は思っていても口に出すなよ」
「く、折角人がいい話をしようとしていたというか、何と言うか……」


顔を怒りと羞恥で染め上げながらごにょごにょと口籠るカガリ。
シンはそんなカガリを目を細めて見下ろすと、小さく、本当に小さく、カガリにばれないように笑う。それは小さいけれども、酷く優しい笑み。



「まぁ、なれたと思うぜ。俺とアンタなら」



カガリが顔を上げると、すぐさま顔を逸らす。
シンは『何に』とは言わない。けれども、それだけで十分だった。
「うん」

カガリは頷くと、何かを決意するように真っ直ぐにシンを見上げる。
紅と琥珀が絡み合うと同時に、シンはそこに映る真摯な色に息を呑む。
それは一瞬の事で、カガリは取っておきを披露する童女のように微笑む。


「シン」
「ハイ?」




「誕生日おめでとう」


カガリの言葉にシンは暫し言葉を失う
ゆっくりとカガリの言葉が浸透すると共に、シンは小さく噴き出す。
カガリがきょとんと首を傾げるのを横目に、シンは不意に湧き出た可笑しさを抑えきれず忍び笑いを漏らす。
カガリの放ったサプライズは確かにシンにとっては不意打ちであった。何より彼自身、己の誕生日など存在そのものを忘れ去っていたのだから。
頭の隅で、出掛けにカガリの護衛が入ったと話した時のルナマリアの不貞腐れた顔の意味がようやくシンはわかった。
徐々に笑いが収まると、シンは苦笑、と呼ぶには少しだけ嬉しそうに紅の瞳を星空に向ける。



「昔だったら100パー、絶対。欠片も想像出来なかった。アンタと一緒にいる誕生日なんて」


その言葉に、カガリは悪餓鬼のように歯を見せて笑う。


「たまにはいいだろ?」
「ハンッ。自分で言うなっての。…………ま、感謝しておいてやるよ、今日だけは」
「うん、感謝しろ」


シンとカガリはお互いに少しだけ照れ臭そうに笑い合うと空を見上げる。


「なぁ……さっきの続きだけれど」
「何だよ」
「もしかしたら、色んな世界があるかもしれないって、言ったよな」
「また魔法少女か?」
「茶化すな!!でも、もしかしたら色んな世界があって色んなシンがいるのかもな。たった一人ぽっちで震えてるシンもいれば、魔法少女に誕生日を祝ってもらってるシンもいるのかもって……ちょっと思った」
「随分と柄にもない事を…」
「私もそう思う。でも、そう思ったら少し得な気分なんだ」
「得?」
「そういう世界があって、でも、この世界では、私達の世界では今日こうしてシンの誕生日を祝えてるのが私というのが、何だか得した気分なのだ」
「…………」

どうしてこういう事を平気で、臆面も無く言えてしまうのだろうか、この女は。
シンは如何とも名状しがたい感情が込み上げてくるのを、顔を手で抑えて必死に堪える。
カガリはそんなシンの居心地の悪さ、照れ臭さ、恥かしさ等に全く気付く事無く、不思議そうにシンを覗き込む。

「どうしたんだ?シン?」


小憎らしくなるくらいに馬鹿みたいな、考え無しのカガリの顔をにらみながら、辛うじて一言だけ絞り出すのがやっとであった。




「うっさい、バカガリ……」




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最終更新:2009年09月08日 23:20
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