1
<節分>
シン 「さて、今日の予定はっと。あれ? 小鳥さん、この『節分』ってなんですか?」
小鳥 「なんですかって……ひょっとして知らないの?」
シン 「はい。なんかのイベントですか?」
小鳥 「う~ん、だいたいは合ってるけど。こっちの行事でね、鬼に豆をぶつけて厄を払ったり、その豆を年の数
だけ食べて健康になるように願掛けするのよ」
シン 「へぇ、それをやるんですか?」
小鳥 「社長たっての希望なのよ。縁も担げるしみんなの結束も固くなるから、ってね」
シン 「はは……あの人らしいですね」
小鳥 「シン君も楽しんだらいいんじゃないかしら。初めて体験する行事だし」
シン 「そうですね、楽しみにしてます」
――そして当日。
シン 「……いやまぁ、この展開は十分に読めてはいたんだけどな」
P 「そうボヤかない。似合ってるよ、その赤鬼のお面」
シン 「プロデューサーも思ってた以上にピッタリですよ、その青鬼のお面」
シ・P 『…………はぁ』
シン (しかしこのお面、見ていると何故かレイの声が聞こえてきそうだ)
亜美 「むむむ、二人揃ってため息吐いてる兄ちゃんズはっけーん!」
真美 「おんみょう豆を食らえー!」
シン 「うおっ、まぶしっ……くない! ってお前らそんなに豆投げるなぁっ!」
伊織 「いいじゃない。アンタたちは鬼なんだからおとなしく払われちゃいなさい! にひひっ」
シン 「だからって顔を集中して狙いことないだろ! って何してるんだやよい!?」
やよい「う~、お豆がもったいないですよぉ」
シン 「だからって落ちてるのを丁寧に拭くのは……」
真 「隙あり! てりゃー!」
シン 「あだっ!? くっ……やられっぱなしは性に合わない! 鬼にも反撃する権利をっ!」
律子 「駄目に決まってるでしょ。もう少しだけ我慢我慢」
シン 「そんな殺生なっ! というかなんで俺だけこんなに!? プロデューサーはどこに……」
春香 「いきますよプロデューサーさん。鬼はー外、福はー内!」
美希 「美希もやるのー!」
P 「あはは……」
シン 「ってなんだその和やか空間!? ずるいですよプロデューサ……」
春香 「…………」(←背後から立ち昇る「邪 魔 ヲ ス ル ナ」というオーラ)
シン 「なんでもないです、サー!」
律子 (美希はなんで平気なのかしら……?)
シン 「えぇい! こうなったらとことん最後までやってやるっ! どこからでもかかってこいっ!」
――1時間後
シン 「……あ~、やっと終わった」
小鳥 「お疲れ様。あとは年の数だけ豆を拾って食べるだけね」
シン 「これだけは普通に楽しめそうだ。あ、小鳥さんの分も拾いますよ。いくつですか?」
全員 『えっ!?』
シン 「え?」
P 「あ~、シン君。今すぐ逃げた方が……」
シン 「え? え?」
小鳥 「うふふふふ……シン君? 女の子には聞いたらいけないことがあるのよ……?」
シン 「え……えぇっ!?」
――初めての節分で鬼をやったけど、最後の最後で本物の鬼と出遭いました(シン・アスカの業務報告書より)
2
――やった。
月に向かって拳を掲げる。すでに毎日通うようになった事務所の屋上に寝転がりながら、シンは誇らしさで胸を
満たしていた。
秋スペは三日後の生放送、すでに本番に向けての準備はあらかた済ませ――合格を前提に事前に進めてい
たのだから侮れないプロデューサーだである――、残る三日は無理のない程度に反復練習をするだけとなって
いた。あとはただ、本番での自分の役目を果たすだけである。
「……ん?」
ポケットの中で微細な振動する携帯を引っ張り出す。点滅するランプがメールの着信を伝えていた。
「こんな時間に誰が……え、千早?」
意外な名前を目にして思わず驚きの声を上げ、メールを開く。どうやら自分とプロデューサーに宛てたものらし
かった。
件名:千早です
夜分遅くにすいません。
今日のオーディション、どうだったでしょうか?
私としては今までに培ってきたものをすべてとまでは言いませんが発揮できたと思います。
それは一緒に踊り、歌った美希も同じだと感じました。
もちろんそれは私が感じただけのことで、まだまだ至らないところもあるかもしれません。
三日後の本番は今日以上の成果を出せるようがんばっていきたいと思ってます。
最後に、今日という日を迎えられたのもずっと私たちを支えてくれたプロデューサーとマネージャーのおかげで
す。もちろん他のみんなにも感謝していますが、とりあえずは秋スペのオーディション合格という結果を得られた
ことに感謝しています。
本当にありがとうございました。三日後の本番もよろしくお願いします。
……千早らしい、真面目な文だった
「しかしなんかこう、身体がむず痒くなってくるな……」
正直なところ、千早が言うほどに大したことをしたという実感がないので妙な居心地の悪さを感じてしまった。けっ
して悪い気はしないのだが、過大評価をされているような感覚に戸惑ってしまっている。
――まぁ、いいか。
最初はどうなることかと思った今回の件だったが、いざ蓋を開けてみれば紆余曲折はあったもののここまで辿り
着けたのだ。
あとは本番を残すのみ、オーディションの様子を思い出しても当日は最高の結果を出せるだろうということに
何の疑いもなかった。
「って、さすがにそれは楽観しすぎか。とにかく自分の仕事だけはこなさなきゃな」
すっかり千早と美希を信じきっている自分がいることに苦笑し、軽く頬を叩いて気合を入れる。
さてどう返すかな、とメール画面の返信ボタンを押してから考え始めた。
メールを送信してからしばらくして、ほとんど同じタイミングで二つのメールが返ってきました。
プロデューサーと、マネージャー。どちらも今回の合格をもう一度祝いながら三日後に備えて体調に気をつけ
るようにという内容でした。
「……本当に、合格したのよね」
気持ちに余裕ができてメールを見てから、今さらのように確かな実感を得られました。もちろんこれで気を抜くよ
うなことはないけれど、それでも今日だけはこの結果を素直に喜びたいという欲求に従うことにしました。
「あら、もう一通……?」
再び鳴った着信音に携帯を開くと、意外な人からのメールが着ていました。
件名:一緒にガンバロ→
千早さん、お疲れ様。ミキだよ→
今日はすっごくキンチョーしたね! 始まるまで心臓がドキドキしっぱなしでもうミキ駄目かと思ったよ。
でも千早さんがあのとき手を握ってくれたおかげでいつもどおり踊ることができたよ。
これっていいパートナ→になれたってことなのかな? もしそうならとってもいいカンジだと思うな。
3日後はとうとう本番だね! まだちょっとだけ不安だけど、千早さんと一緒ならミキいーっぱいガンバれるよ。
ミキ少し前までずっとラクしようとしてなまけたりサボってばっかりだったけど、もうそんなこと考えていられないも
んね。ハニーやマネージャー、他のみんなから応援されっぱなしだし。ゼッタイに成功させなくちゃみんなに
合わせる顔がなくなっちゃうから。
でもそれよりも、千早さんの歌をミキが台無しにしちゃうのはゼッタイにイヤだから。
なんかヘンな話になっちゃったね、せっかく合格したのにゴメンなさい。
とにかく一緒にガンバロ→ね!
「美希……」
本当に美希は変わった。今までは目も当てられないくらいにやる気がなくて、それでもやるべきことはしっかり
やっていて、最近では歌もずいぶん上達していた。
私の方こそ、美希の足を引っ張らないようにしなくてはいけないのに……
私は「ありがとう、お互いにがんばりましょう」と短い文を返しました。
ベッドの上で仰向けになって、三日後の来るべき日に想いを馳せる。
――成功させる。マネージャーやプロデューサー、美希……みんなのためにも。
大丈夫、私たちの実力ならできる。
今はまだようやく二人で一人前だけれど、私の歌と美希のダンスが実力通りに発揮できたなら必ず。
そんなことを考えながら、ゆっくりと目を閉じました。
――『秋の大感謝祭スペシャル』当日。
情けないことにその場の空気に頭から呑まれていた。
大気の震動が身体に伝わる、
充満した熱気に目眩すら覚える、
そして何より、会場に渦巻く感情の波に心が震えていた。
「……これが、トップアイドルの世界」
ステージの脇から少し様子を覗いただけでこの様だ。あの人波の中に入れば、そしてこのステージの上に立て
ば、いったいどれほどのものになるのか。
「こりゃなかなか厳しい順番だね、人気グループの前後に挟まれるとは」
「なんかマズイんですか?」
背後で愚痴るプロデューサーに問いかけるが、う~んとしばらく呻いた後、
「いや、好きにやらせてみよう」
どこか意地の悪そうな笑顔で返事が返ってきた。
「せっかくの大舞台だ、気を使う必要もないだろう。存分に新曲を披露させてもらおうじゃないか」
自信たっぷりにそう言い放つプロデューサーに内心舌を巻きつつ、しかしその自信に共感していた。どうもこの
プロデューサーに良くも悪くも毒されてきているらしい。
「ハニー! 様子はどう?」
突然、プロデューサーとの間に美希が割り込んできた。衣装は今回のイベントに合わせて用意された新しいも
のなのだが、すでに着こなしているようだった。すでにメイクまで済ませているらしい。
「まぁ特に問題はないよ。出番は次の次だけど大丈夫か?」
「とーぜん! いつもよりぐっすり眠ったからもう絶好調ってカンジかな」
「……眠れたのか、俺はあまり寝付けなかったってのに」
図太い神経を持った――そしてまだ自分を押しのけてプロデューサーにくっついている――アイドルを半目で
睨みつつ、ふとあることに気付いた。
「あれ、千早は?」
「ん? 千早さんならまだ控え室だよ。準備はもう済んでるけど、もう少しだけ集中したいんだって」
あぁ、と納得した。千早なら確かにステージに上がる直前までコンディションを整えるだろう。
「……あまり緊張してないといいけどね。シン君、少し様子を見に行ってくれないか?」
「俺がですか?」
「大丈夫、準備はもう済んでるらしいからいつものアクシデントは起きないよ」
「まぁそれは……って何言ってるんですか!?」
何故か二人からニヤニヤという視線を向けられた。
――なんかムカつく。
「行ってきます!」
床を踏み鳴らしながらステージから離れる。あまりの扱いに憤りを感じつつ、
……いやまぁ、確かに着替えに出くわしてしまうことは多いけどさ。
二人が見えなくなったところで大きく溜息を吐き、肩を落としながら控え室へと足を向けた。
何度目かの深呼吸の後、閉じていた瞼を開ける。
目の前の大きな鏡に映った自分の鏡像を見て、少しだけ顔が赤くなってしまいました。
露出の激しい、だけど動きやすい衣装。歌を歌うためだとはいえ、このような衣装を着ることにはまだ慣れてい
ないです。さっき美希の衣装を見た後ではなおさらに……くっ。
だけど、ふと過去を振り返ってみると以前よりも抵抗は感じません。いずれどんな衣装でもステージに立つ度に
着こなすことができるのかも、と想像したところで少しだけ悪寒を感じました。
――何? どんな衣装でもいいのかい? じゃあこのネコ耳と肉球、シッポのセットはどうだ!?
――ふむ、それもいいかもしれないが……ここはひとつチャイナ服というのはどうだろう?
――む、確かに社長のアイディアも捨てがたいですね。じゃあ今回はチャイナにネコセットだ!
――ならばよし!
「……ありえる。簡単に想像できてしまうのが恐ろしいわ」
何しろ真っ先に高槻さんにブルマを履かせようとしたプロデューサーとスクール水着を着せようとした社長です。
あの二人が揃ってコーディネイトをすることになったら、考えるだけで恐ろしいことに……
「って、いけないいけない。また集中し直さないと」
また深呼吸を繰り替えして気を落ち着かせます。
気持ちと時間に余裕があるのはいいけど、それで気が抜けてしまっては元も子もありません。
予定通りならあと二組のアイドルの曲とトーク分の時間はあるはず。私には十分すぎるほどの時間です。
「――よし、あとはもう一度頭の中でシュミレーションを……」
そう考えたところで、聞きなれた携帯の着信音が響きました。
「私の? 電源を切ってなかったのかしら」
とにかく鳴ったものは仕方がありません。携帯を開くと、1件のメールが届いていました。
「いったい誰が……」
不思議に思いながらメールを開いて、
――その送り主と内容に、私の意識は白い闇に包まれました。
「な、な、な……あった、765プロダクション」
千早がいる控え室の前に立ち、少しだけ咳払いをしてドアを数回ノックする。
「千早? シンだけど、入ってもいいか?」
しかし返事が返ってこない。集中しすぎて聞こえなかったのかもしれないと今度は少しだけ強くドアを叩いてみ
るが、それでも反応はない。
「千早、いるのか? 入るぞ」
数秒だけ返事を待ち、返ってこないことを確認してゆっくりとドアノブを回す。
鍵はかかっていないようだったが、ついいつものアクシデントを思い出して慎重になってしまう。
「いない……?」
部屋の中を見渡してみても千早の姿は見えない。入れ違いになったか、と考えたところで床に落ちている開い
たままの携帯電話が目に入った。
――これって、確か千早の……
拾い上げてみると、画面にメールが表示されたままだった。
……ざっとその文面を読み上げ、
「千早!」
気付けば控え室を飛び出していた。
――私は、何をしてるんだろう?
空っぽになった頭にそんな言葉が響く。
――わからない、わからない、わからない……
ただ足の進むままに、ここではないどこかへと消えてしまいたい衝動のままに、
抜け殻のまま、私はただただ歩き続けた……
長い廊下を駆け抜けながら事務所支給の携帯を取り出す。
半ばパニック状態の思考から独立したように手は正確に短縮ボタンを押し、
「プロデューサー、聞こえますか!?」
『あぁ聞こえてるけど……何かあったのか? もうじき出番なんだけど』
「千早がいなくなったんです!」
関係者用の通路を抜けて会場の入り口に出る。人はまばらにいるのだが、右を向いても左を向いても千早の
姿は見えなかった。
『……本当か?』
「冗談でこんなこと言えないですよ!」
周囲から奇異の視線を向けられたが気にしている場合ではない。どうするのかを考えているのだろうが、電話
の向こうで黙り込んでしまうプロデューサーにわずかだが苛立ちを感じていた。
『どこに行ったのか分かるかい?』
「分かりません、控え室には携帯だけ落ちてて……今会場の入り口なんですけど全然見当たらなくて」
『ということは会場の外に出たのか、マズイな』
再び沈黙が流れたが、今度は一瞬で終わった。
『すまないシン君、そのまま外を探してくれ。俺はディレクターにかけあってからそっちに向かう』
「分かりました!」
通話を切り上げて再び周囲に視線をめぐらし、手近な人間を捕まえた。
「すいません! えっと……俺より少し背が小さくて、これくらいの髪の女の子を探してるんですけど」
「ハニー? どうかしたの?」
通話が終わるのを見計らって、美希はプロデューサーに声をかける。二人の会話から雰囲気を察したのか、
いつもは明るくあどけない顔に不安の陰が落ちていた。
「千早がいなくなったらしい。今シン君が探してる」
「いなくなったって……そんな! 大丈夫なの!?」
「分からない。俺は美希たちの出番を延ばしてもらうようディレクターに頼んでから千早を探しに行く」
「ミキも行く!」
「駄目だ!」
普段とは打って変わった強い口調に美希はビクリと身体を震わせた。
「このまま美希まで何かあったらそれこそみんな終わってしまうんだ。頼むから待っててくれ」
「それってどういう……」
プロデューサーの言葉の裏にある意味を察して美希はハッと顔色を変えた。
「ミキが、一人で?」
「最悪の場合はね……ごめん、もう行くよ」
「あ……」
離れていく背中に美希は手を伸ばしたが、その指先が触れることはなくプロデューサーは去っていった。
「一人に、なっちゃった」
壁に背を預け、美希は座り込む。目の前ではスタッフが次のステージに使う機材を運んでいる。
「あれ、どうしよ……震え、止まんないよ」
最初は指先から、やがてゆっくりと震えが全身に侵食していく。
一人でステージに立ち、何千人もの観客の前で歌う。最終的にはそれを目指してこの場にいる美希では
あったが、その覚悟を決めるには彼女はあまりにも早すぎた。
「ヤ……イヤ。一人はイヤ、イヤなの……」
寒さに耐えるように自分の肩を抱える美希だったが、誰も彼女を気にかけることはなかった。
――同時刻、765プロダクション事務所。
「おーっ! でっかいステージ!」
「お客さんもたーっくさんいるよ! ねぇねぇはるるん、千早お姉ちゃんとミキミキの出番まだー?」
「えっと、どうだったっけ……律子さん知ってますか?」
「予定だとこの次のはずよ。今ごろステージの脇で待機してるんじゃないかしら」
「それじゃあもうすぐウチの初めての大舞台っていうことですよね! いぇい!」
千早と美希を除くアイドルたちは事務所のテレビの前に勢揃いしていた。本来ならばこうして全員が集まるよう
なことは滅多にないのだが、今回はプロデューサーもシンも二人にかかりっきりになってしまっているので――
代理の担当として律子が立ち回ることも少なくなかったのだが――全員が非番になってしまったのだ。
「うわぁ、すごいです……み、みんな大丈夫かな?」
「なんで雪歩はそんなに緊張してるのよ。ま、確かに目が回りそうな勢いよね、プロデューサーもアイツも今ごろ
ステージの裏を必死に走り回ってるんじゃないかしら? にひひっ」
「もう、よしなよ伊織。千早も美希も、それにプロデューサーもシンもボクたちの代表として出てるんだから」
「わかってるわよ。まったく、千早はともかくどうしてアレがこんな派手なステージに出られるのよ」
「へっへー、伊織は知らないんだよね。まぁ実際に見れば今の美希がどんな風になったかっていうのが分かる
はずだよ、ねぇあずささん」
「え? えぇ、そうねぇ……」
それぞれが多種多様な盛り上がりを見せる中、あずさだけはずっと表情を曇らせていた。
「? 何かあったんですか?」
「何か、というわけでもないのだけど……少し気になることがあって」
何が? と真は聞こうとしたが、その瞬間に周囲が沸いた。
「あっ、終わりました! いよいよ出番ですよ、出番!」
「うっうー! 待ちくたびれましたー!」
「さぁみなさん、せーだいな拍手でおでむかえして……おりょ?」
「あれ? 違う人たちが出てきたよ。ミキミキたちの番じゃないの?」
テレビの中では少女三人と少年一人のグループが新曲を披露していた。テロップに出てきた名前を確認し、
律子は秋スペの予定表をめくる。
「……間違いないわね。あの子達、千早たちの次に出てくるはずのグループよ」
「え? えぇ!? ど、どういうことですか?」
「わからないよ。けど、これってやっぱり何かあったんじゃ」
「ひょっとして、千早ちゃん……」
誰もが会場にいる4人のことを心配する中、突然律子の携帯が鳴り始める。
「こんなときに誰が……って、プロデューサー!?」
『えぇっ!?』
さらなる混乱を向かえ、事務所は驚愕の声に揺れた。
「クソッ、確かにこっちって聞いたのに!」
地道に聞き込みを続けた結果千早らしき少女を見たという情報を得たシンだったのだが、そこで詰まってしまっ
た。すでに会場からは100mほど離れており、さすがにこれ以上離れていることはないと考えたのだが。
わずかに息を乱しながら交差点で信号が変わるのを待つ。いくらか着慣れてきたスーツもすっかり乱れ、ネクタ
イも途中で外してしまっている。
「人が多くなってきたな。これだけいたんじゃ見たって人も……」
いないかもしれない、と考えたところで、シンは見た。
交差点の向かい側、多くの人に紛れながらもはっきりとその存在が分かる少女の姿を。
――おまえは、
驚くほどに白い肌、透き通るようなロング の金髪に吸い込まれそうな深い翠の瞳、どこか幼さを残した顔立ち。
いつか出逢った少女、もういなくなってしまったと思っていた少女。
本体が散った月へと還り、だからこそ月に向かい語りかけていたはずの相手。
……信号が赤から青へと変わる。歩みを止めていた人々が流れていくはん。その中でただ二人だけ、流れの
中に留まっていた。
何故? どうして? シンの中で疑問が溢れかえっていくが、その決着を待たずに少女は動いた。
右手を掲げ、その指先を何処かへと向けて。
「公園……?」
少女が指し示す方へと目を向けると公園の入り口が見えた。再び少女の方を見るが、すでにその姿はなかった。
「あそこに行け、ってことか?」
問いかけても答えは自分の中にしかない。すでに八方塞がりの状況、プロデューサーから連絡から
すでにかなりの時間が経過している。これ以上延ばせば美希を一人であのステージに立たせなければならない。
そして、
――行くしかないかっ!
左手に千早の携帯を握り締め、シンは公園へと向かって駆け出した。
――空、
気付けば空を仰いでいました。
とても深い蒼、ともすれば飛び込んでしまいたくなるような透き通るような蒼。
その光景にしばらく見とれていたせいか、ようやく私の心はいつもの状態に戻って、そして激しい後悔が次々
に湧き上がってきました。
「……私は、」
何をしているのだろう? そんなことは分かっているはずなのにそれでも自分に問いかけてしまう。
すでに私たちに当てられた時間は過ぎています。美希は? プロデューサーは? マネージャーは?
一人であの舞台に立ったのかもしれない。もしかしたら延ばしてくれているのかもしれない。もう事務所へ
戻っているのかもしれない。
どれにせよ、私のせいで迷惑をかけてしまったのは確かです。
――どうして、こんなことになってしまったの?
とっくの昔に諦めていたはずなのに、いずれこうなってしまうことも予想していたはずなのに、
何よりも大切なはずの歌まで考えられなくなるほどになってしまったの……?
何もなくなってしまった。
約束も、歌も、わずかに残っていたかもしれない繋がりも、
ようやく手に入れたかと思った新しい居場所もすべて。
私は、本当に独りになってしまった。
もう一度空を見上げる。翼を失ってしまった私には、あまりにも遠い場所。
――そこに行けば、せめて近くで歌は歌えるかも。
それもいいかもしれない、少なくとも約束を果たせないまま過ごすよりはずっと。
私は空を仰いだまま歩き出そうとして、
「千早!」
その声に、ゆっくりと視線を降ろしました。
今までずっと探していた相手は、意外なほどに呆気なく見つかった。
公園に入ってからすぐに辺りを見渡せる場所まで移動し、この場所で佇む千早を見つけたのだ。
しかし、
――酷い。
会場を飛び出しておよそ30分、たったそれだけの時間で目に見えて様子が変わっていた。
生気がなく、視線は虚ろ。目尻には溜まった涙がこぼれ落ちそうになっている。
「来てくれたんですか」
まるで他人事のような態度。ついさっきまで静かな活気を湛えていたアイドルと同一人物だとは思えないほどだった。
「携帯だけ残して勝手にいなくなったんだ、」
「……見たんですか?」
何を、ということは分かりきっていた。
開きっぱなしになった携帯に表示されたメール、長い文章の随所に書かれた謝罪と弁解の言葉、
そして……『離婚』という文字。
どう答えていいのか分からず黙り込んでしまい、結局その態度が答えとなってしまった。
「昔は、仲が良かったんです」
目を伏せながら千早は語りだす。誰にというわけでもなく、自分自身にも言い聞かせているような口調だった。
「父も母も、私も『あの子』も、けして裕福ではなかったけどみんな笑っていて……」
何かを思い出したのか千早の口元に小さな笑みが浮かんだ。しかし、今はそれすらも痛々しく感じてしまう。
「それがあの日を境に壊れてしまって、それからずっと……期待なんてしていなかったのに、こうなることは分かっ
ていたじゃずなのに、なんでこんなショック……」
もう、見ていられなかった。このままでは自分で自分を傷つけていくだけになってしまう。
「千早、とにかく戻ろう。美希もプロデューサーも心配してる」
できるだけ優しく言ったつもりだったが、千早は首を横に振った。
「もう戻れません。私は自分で自分の居場所をなくしてしまったんです。今さら顔向けなんて、できるはずが……」
「本当にそう思ってるのか?」
「え?」
ゆっくりと歩み寄り、携帯を差し出す。千早は呆然としながらこちらを見つめていたが、やがておずおずと携帯
を手に取った。
「繋がって……?」
画面の『通話中』の文字を見て戸惑っている千早に、電話に出るよう促す。
「……もしもし?」
『え? あ、ウソッ!? も、もしもし千早ちゃん!?』
「春香?」
……近くにいるとはいえ、声がこっちにまで聞こえてきた。
千早の携帯に電話がかかってきたのは公園に入ってすぐだった。出ていいものか悩んだ末に思い切って出て
みたのだが、
――なんでアンタが出てんのよ、このバカ!
と怒鳴られて二重の意味で驚かされた。
それからずっと携帯は繋いだまま、千早の元へと向かったのだった。
『えっと、その、あぁもう何を言ったらいいんだろ私……』
「お、落ち着いて春香」
『う、うん。分かった。すーはー、すーはー、ってあぁ伊織っ!?』
『なに呑気に深呼吸してるのよ!? こんなときまで抜けてるんじゃないわよ!』
今度は伊織の声が聞こえてきた。そういえば今日はみんなオフだったかと今さらながら思い出す。
『千早聞こえてる!? 何やってんのよ! 本番直前ですっぽかすなんてアイドルの風上にも置けないわ!』
「伊織……」
『いい? 悔しいけど私は千早の歌は認めてたのよ、この私がよ!? 理由があったにしても許せないわよこんな
こと!』
さすがにこの言い分はどうかとは思ったが、千早を見ると先ほどよりも少し顔色はよくなったようだ。
――毒も強すぎれば薬になるんだっけか? いや何か違う気もするけど。
『む~、いおりんばっかズルイよ~!』
『そーだそーだー!』
『って、近づきすぎよアンタたち!』
『千早お姉ちゃん聞こえてる~?』
『だいじょぶ? 凹んでない? いつものムスっとしてて優しい千早お姉ちゃんに戻ってよ~』
「亜美、真美……」
今度は双子まで乱入してきた。すでに収集がつかないレベルになりつつある予感がしたが、とりあえずまだ
様子を見ることにする。
『いい加減に離れなさ……ひゃあっ!?』
『はわっ!? 携帯が飛んできましたっ!?』
「その声、やよい?」
『あっ、はい! その、千早さん、元気出してください! 私もみんなも千早さんの歌が大好きですから!』
『そうそう! ボクたちが応援してるから!』
『あの、その……が、ガンバです! ファイトです!』
携帯が次々に回されているのか、真に雪歩の声まで聞こえてきた。
『待ちなさいよ! まだ言いたいことがあるんだから!』
『そ、そうですよぉ! 私だってまだ何も言ってな……ひゃあっ!?』
どんがらがっしゃーん! という音に千早が驚いて目を見開いた。どうやらまた春香が転んだらしい。
『はいはい、みんな落ち着きなさい! まったく……千早、私』
「律子……」
『いろいろ言いたいことはあるけど、ひとまず無事で何よりだわ』
少しだけ意外だった。伊織ほどとは言わないが、それでも怒り心頭だと思っていたのに。
『これからどうするのかは分からないけど、ちゃんとこっちに帰ってきなさいよ』
「でも、私は」
『いいから戻ってきなさい! 事務所の仲間にこんなに心配させたんだから、面と向かって文句の一つくらいは
言わせなさいよ』
――仲間。
その言葉を聞いた瞬間、千早の身体がわずかに震えた。
『――もしもし? 千早ちゃん?』
「あずさ、さん……」
戸惑い混じりの声だった。それもそうだろう、自分を除けば千早の事情に触れた唯一の人なのだから。
『もう言いたいことはみんなにほとんど言われてしまったけど、』
そこで一瞬言葉が途切れ、そして告げられる。
『――まだ、歌を歌える?』
千早の顔を見た。
そこには先ほどまであった陰りはなく、目には輝きが戻り、
「はい……!」
力強く、彼女は頷いた。
『……うん、もう大丈夫みたいね。それじゃあみんな、最後に千早ちゃんに言いたいことはあるかしら?』
『はいっ! はいっ! はーいっ!』
『ちょっと! 春香は下がってなさいよ!』
『亜美たちもまだ話したーい!』
――おいおい。
『あらあら、大変ねぇ。それじゃあみんなで言いましょうか。せーの、』
不意のかけ声で、受話器の向こうで皆それぞれ言いたいことを口々に叫んだ。
様々な言葉がないまぜになっていたが、どれも意味は同じだった。
千早、がんばって。
直接ではないが確かに聞こえた。
――千早の、仲間たちの声が。
「……ありがとう、みんな」
そう言って彼女は通話を終え、抱きしめるように携帯を胸に抱えた。
数秒だけ待って、千早に声をかける。
「千早、行けるか?」
俯いていた顔が上がる。目尻に少し涙が浮かんだ、しかし決意に満ちた瞳を持って。
「はい!」
力強い返事に頷きを返し、すぐに自分の携帯をプロデューサーへと繋いだ。
「千早! シン君!」
タクシーを捕まえ、特急でライブ会場まで戻ると入り口でプロデューサーが叫んでいた。
「プロデューサー、時間は!?」
「ギリギリだ、あと10分しかない!」
10分、つまりこのままステージに立たなければ間に合わないということになる。
徒歩であの公園まで歩き通した千早の衣装は多少ではあるが汚れがつき、メイクも涙で崩れかかっている。
どう考えても時間が足りない、しかし千早は自信に満ちた声で言い放った。
「大丈夫です。私には、何よりも誇れるものがありますから」
プロデューサーは驚いた顔で千早を見つめたが、すぐに表情を引き締めた。
「よし、とにかく急ごう。美希が待ってる。俺はディレクターに報告してくるから、あとのことは頼むよシン君」
「分かりました!」
駆け出した千早の背中を追いかけようとして立ち止まり、もう一度プロデューサーの方を向く。
「プロデューサー、さっきはありがとうございました」
事務所のみんなからの電話、それはプロデューサーの指示だったのだ。
一人よりもみんながいい、そんなことを言ったらしい。
「たいしたことはしてないさ、みんなに比べればね。急ごう!」
「はい!」
こうして、それぞれが成すべきことを行うために走り出していた。
関係者用の通路を抜けてステージ脇に辿り着きました。
だけど、美希の姿が見えません。
辺りを見渡して、見つけました。機材の陰に隠れるようにうずくまった姿勢で。
「美希……?」
声をかけると、ハッと顔が上がりました。呆然とした顔でこちらを見つめて、緊張が切れたように表情が崩れました。
「千早さんっ!」
そのままこちらに抱きついてきて、ついには泣き出してしまいました。
「寂しかった、寂しかったの……!」
どうしていいのか分からなかったけれど、これが私が犯してしまった罪だということを身をもって思い知ったので
す。彼女のことを見捨てかけた、私に対する罪の重み。
「……ごめんなさい」
そう言うしかない私に、美希はそのまま首を横に振ります。
「謝らなくていいの! 安心しただけだから」
一番迷惑をかけてしまった美希ですら、私のことを許してくれました。
……さらに申し訳なさが大きくなってしまったけど、心の中で美希に、そしてみんなに対して感謝しました。
私には、かけがえのない仲間がいる。そして支えてくれる人たちがいる。
もう、一人じゃない。
そのことがとても嬉しかった。だから私は、歌でその償いをしたい。
――いえ、償いではありません。私は、かけがえのない人たちのための翼になりたい。
「千早! 美希!……って、どうした!? またなんかあったのか!?」
化粧道具一式を抱え込んだマネージャーが――メイクをしなおすということではなく、崩れたメイクを落とす
ためでしょう――こちらを見てうろたえていました。
「いえ、大丈夫ですから。ほら美希」
「うん……」
やんわりと美希を離して涙を拭う。美希のメイクもすでに崩れていて、どうやら二人揃ってほとんどノーメイクで
行かなければならなくなったようです。
とりあえずメイクを落として、ファンデーションだけはなんとか間に合わせることができました。
予定なら、あと3分で私たちの出番です。
「美希、打ち合わせもできなかったけど……大丈夫?」
「うん! 大丈夫だよ、千早さんと一緒だもん!」
美希の言葉に私のやる気もさらに上がっていきます。これならば最高の結果を出せるかもしれません。
……そして、私たちの出番がやってきました。
「千早! 美希!」
ステージへと向かう途中で振り向くと、マネージャーが右手の親指を立てていました。
私も、そして美希も頷きでそれに答えて、ステージへと足を踏み出しました。
――さぁ! 次の曲は待ちに待った期待の新人です! 今回初めてのデュオ、そして初めての曲ということで
期待の高さは今回の秋スペ屈指と言えるでしょう!
最終更新:2009年09月11日 04:16