「ストレスから来る過労ですね。しばらくは安静に。それから出来るだけ心身に負担を掛けないように」
「はぁ……」
シンは気の無い返事をすると、去っていく医師の背から視線をベッドで眠る旧知の女性に眼を向ける。
メイリン・ホーク、いや、現在はメイリン・ザラとなった嘗ての同僚にシンはまんじりとした想いを抱きながら視線を落とす。
正直、先程の医師の言葉は彼女のダンナに言ってくれというのがシンの本音であった。
正義の為の脱走に手を貸した事が切っ掛けで結ばれた世紀のシンデレラ婚。
オーブではそう褒めそやされている夫婦の片割れにシンは無機質な、硝子のような視線を向ける。
彼女に呼び出されて、家を訪ねてみると彼女が倒れていた時には流石にシンは困った。
何と言えば良いのかわからないが困ったとしか言えなかった。
血相を変えて駆け寄るには余りにも色々あり過ぎ、かといって鬱陶しいと切り捨てるには情が湧いている。
だから困った。
まるで間男のように、ダンナのいない間に二人で会う事は珍しい事ではないが、その時に倒れられているというのがネックだ。
「はぁ~~勘弁してくれよ」
偽り無きシンの本音であった。
もたれかかるように座ると、ギシッとパイプ椅子が軋んだ音を立てる。
黒いコートが皺になるか、とも思ったがどうせ貰いもんだからいいやとシンの中の物ぐさな声が判断する。
暫らくそうやってメイリンの憔悴した寝顔を見るともなしに見ていたシンの耳に慌しい足音が響いてくる。
病院内では走るなって言われなかったのかと、シンは口元をうんざりとした「へ」の字に歪める。
乱暴にドアを開ける音と共に荒い息が病室に満ちる。
「シン!!メイリンは?」
「今鎮静剤打ってもらって眠ったところですよ。後、病院内は静かにしなきゃ」
「うぐッ…」
じろりとねめつけるように見つめるシンの紅の視線に射抜かれるようにメイリン・ザラの夫、アスラン・ザラが唸る。
これがシンデレラのお相手かと、シンは溜息を吐く。
アスランはメイリンの寝顔が事の他安らかである事にホッと安堵の息を漏らす。
そんなアスランをシンは冷め切った表情でちろりと横目に眺める。
根は悪人では決して無いのだ、この男は。
シンは誰に言うともなく、ふとそんな弁護をする自分が可笑しくなった。
アスランはシンに視線を向けると、深々と頭を下げた。
「ありがとう。お前が見つけて連絡してくれなかったらって思うとゾッとするよ」
しばし眼を瞬かせた後、シンはいかにも性格の悪い笑みを浮かべる。
「アンタさぁ、少しはメイリンが浮気してるんじゃないかとか思わないわけ?」
きょとんとしたアスランの顔を見ながらシンは我ながら馬鹿な事を聞いていると感じた。
別にこの夫婦がどうなろうと知ったことではない筈なのに、わざわざ自分から火種を投げ込もうとしている。
しかし、アスランはシンを信用しきった顔で薄ら笑いを浮かべる。
その困ったような表情にシンは苛立ちを覚える。
「シンはルナマリアと付き合ってるんだろう?ならそんな事はしないはずだろ」
一瞬シンは本気でアスランの頭が大丈夫なのかと心配になった。
自分の妻が倒れた時に傍に男がいれば少しは勘繰っても良い筈だ。
そう思いかけてシンははたと致命的な点に気付いた。
それはあくまでも『一番に愛情が向いていれば』という条件付だ。
そして、シンは知っている。
アスランの一番が誰なのか。
それが原因でメイリンはこうして倒れているのだ。
「メイリンが倒れたのは……やっぱり俺が不甲斐無いせいだろうな……」
「でしょうね」
慰める気が全く無いシンの言葉はストレートにアスランの心を抉る。
シンから見れば、彼も、彼の仲間達も周囲に肯定され過ぎている。
否、甘やかされ過ぎていると言っても良い。
最も、そのおかげでシンは彼の飼い主にいたく気に入られている。
桃色の髪に鼻を埋め、ほっそりとした指に自身の指を絡め、その白い首筋に鬱血の痕を刻む資格を得ている。
彼女の、シンの飼い主の唯一の否定者として、それ故に彼女を限りなく『ただの女』として扱う点を気に入られ。
「自覚があるならアスハと関係持つのは止めたらどうですか」
「カガリとはそんな関係じゃない」
「もう」と付け加えなかったのはアスランのなけなしの意地だろうか。
ふとシンはそんな事を思った。
関係に罅を入れたのがアスランならば、きっぱりと終焉させたのはカガリである。
その事に対するアスランなりの男としての沽券でもあるのだろうか。
シンはいっそそう問いたくなった。
「カガリは大切な人だ……けれどその関係は恋人なんかじゃない」
「そりゃご立派」
大切な人というのが大問題なんだろうがと、シンはそっと思った。
けれども大切な人を大切じゃなくなれというのも無茶な事だと心得ているが故にシンは口を閉ざす。
正直な処馬鹿馬鹿しいという気持ちが無いわけではなかった。
まるでおままごとだ。
この人達の関係は肉欲の匂いがしない。
それは綺麗な関係であるかのようだが、それ故に作り物めいている。
そう、まるでおままごとの延長線を見せられているようで、その関係はシンに言い知れぬ吐き気を与える。
そんな詮無き事をシンが思っているのも知らずにアスランがシンに答えを求めるような瞳を向ける。
「なぁ、シン……俺はメイリンの為に何がしてやれるだろう」
「そんな事………ずっと傍に居てやればいいんじゃないですか」
寸でのところで「死ねばいいんじゃないですか?」と言いそうになるのをシンは堪えた。
それを言ってしまえば全てが終わる。
取り付く島も無い、流石にそれは忍びない。
と、シンの中に残るなけなしのアスランへの友情とも呼べぬ感情が、辛うじてその言葉を飲み込ませ、代わりに白々しい言葉を吐き出させた。
アスランはシンを繋ぎとめておきたいのか、何か言葉を探すような仕草をする。
それがシンには堪らなく煩わしかった。
ホランドに教わり、最近ようやく味がわかるようになってきた煙草が恋しくなった。
『彼女』がいた頃は吸おうとも思わなかった。
甘い物が大好きで、煙草が大嫌いだった彼女がいた頃は。
しかし、もうそんな事を考える必要も無い。
「シンにはいないのか?妻とは違う」
「大切な人ですか?それを独身の俺に聞きますか?」
「ルナマリアとは結婚しないのか?」
「くっ付いたり別れたりの繰り返しですよ。アイツとは」
気が合う。
相性も良い。
ただ、切っ掛けが良くなかった。
そして、タイミングが悪かった。
ルナマリアがシンに惹かれた時には、既に彼の心は完全に『彼女』に奪われていた。
それからは今はもういない『彼女』の幻影に傷付いては別れ、またくっ付く。
その繰り返しだった。
「それに今は飼い主の面倒も見ないといけませんし」
「え…?」
シンはそれ以上答えなかった。
窓の外に目を向けると雨が降り始めていた。
最終更新:2009年09月12日 23:51