「シン君、買い物に行くから付き合ってよ」
ニコニコした顔のスバルに誘われたのは休日の朝いきなりだった。
二人で行くというのは普段三人で行動する俺達にとっては珍しい。
けれども、ティアナの奴は今日俺と目が合えば逸らす事を繰り返してくる中それは助かったと言ってしまえる提案だった。
正直、ティアナの顔を何でもないように見続ける事も出来ず、かといって全く意識の外に置くのも出来ない俺は完全な未熟者だ。
俺は二つ返事で了解すると、適当に服を見繕って部屋を後にする。
隊舎の外に出てからスバルの服装を改めて見てから軽く驚いた。
制服を除けばパンツルックが多いスバルがスカートを穿いている事に驚いた。
それはしかし、似合っていないというわけではなく、寧ろその逆であった。
引き締まった健康的な脚線美がミニスカートから伸びている様は目の保養もとい、目の毒である。
道行く人もスバルをチラチラと見て行くが、隣りのスバルはそんな事構わないとばかりに、楽しそうに歩く。
鼻歌でも歌うように、俺とスバルは休日を過ごした。
気兼ねなく付き合える男友達の延長線のようなスバルに、自然と俺は心の中のしこりが解けていくのを感じた。
服を見て、CDを見て、バイクを覗いて、それからゲーセンに行って。
それらを回ってみるだけで、話題にも困らないし、気疲れもしない。
笑い合いながら過ごす休日は普段よりもずっと一日が早く過ぎていく。
休憩がてら立ち寄った公園にはいつも行き付けのクレープ屋がある。
俺はスバルにはベンチに座っていてもらい二人分のクレープを買う事にする。
「ハイよ、チョコバナナクレープと、生キャラメルクレープね」
二つのクレープを受け取ると俺はスバルの腰掛けるベンチへと向かう。
そこで、俺は思わず目を軽く見開いた。
スバルはしゃがみ込んで女の子と話しているのだが、何やら様子がおかしい。
不審に思って駆け寄ってみると、スバルが困ったような視線を向けてくる。
「スバル、どうしたんだよ?」
「シン君。それがね、この子、お母さんとはぐれちゃったみたいなの」
「ママがね、待ってろって言ってからずっと帰ってこないの」
「はぁッ?」
見れば女の子はまだようやく小学校に上がったばかりの年齢。
ヴィヴィオよりももしかしたら幼いかもしれない。
こんな小さな子をほったらかしにしてる母親に対する怒りが声に出ていた。
女の子は、俺の上げた声に驚いたのか、ビクリと肩を震わせる。
俺は自分が予想外に語気が荒くなっている事に気付いた。
「ああ、ゴメン、ゴメン。君に怒ったわけじゃないから」
怒りを覚えたのは女の子の母親に対してだ。
「そうだよ。このお兄ちゃん怖そうだけど、実はそうでもないから」
スバルも慌ててフォローするが、それはフォローになっていない。
っていうか微妙に貶められてないか?
そう言いたいのを堪えて俺は女の子の方に向き直る。
頭に手を置いてやると、またビクリと震える。
それに苦笑を浮かべてしまうが、俺はゆっくりと、嘗てそうしていたようにやんわりと撫でてやる。
掌越しに女の子の強張りが解けていくのがわかって、少しこちらも安心する。
おずおずと見上げてくる女の子の顔に、妹の面影がオーバーラップしてしまう。
その事に未だに過去をズルズルズルズル引き摺っている自分に込み上げる情けなさ、不甲斐無さを噛み殺す。
「じゃあ、お兄ちゃん達とママ探すか?」
「シン君」
女の子は一瞬きょとんとしたようだが、すぐさま笑顔になって頷く。
スバルまでつられて笑顔になる。
それが少しくすぐったかった。
俺とスバルは女の子 ――― カナちゃんというらしいけど、のお母さん探しをする事になった。
結論から言ってしまうと、カナちゃんのお母さんはあっさりと見つかった。
放送するまでもなく、カナちゃんと一緒に言われていた場所に行ってみると両手に紙袋を抱えた若い女の人がキョロキョロとしていた。
カナちゃんに気付くと女の人はツカツカと歩いてきていきなりカナちゃんの丸い頬っぺたを引っ叩いた。
あまりの事に私もシン君も反応がすぐには出来なかった。
カナちゃんは大きな瞳に涙をいっぱいに浮かべてお母さんを見上げる。
真っ赤になった頬っぺたが痛々しい。
カナちゃんのお母さんは眦を吊り上げてカナちゃんを睨み付ける。
思わず私まで一緒になって竦んでしまいそうな瞳だ。
「ここで待ってろって言ったでしょ!!アンタ私に恥かかせたいわけ!!」
「ごめんなさい……」
濃い口紅が塗りたくられた口が私にはその時やけに下品に見えた。
それ以上に、カナちゃんのお母さんの口から出た言葉に、一切カナちゃんを心配していたという言葉が無い事にやり場の無い気持ちになる。
もう一度カナちゃんのお母さんの平手が飛び、カナちゃんのもう片方の方が鮮やかな音を立てる。
叩かれると同時に、滴が宙を舞う。
それがカナちゃんの浮かべていた涙だと気付く前に、更にカナちゃんのお母さんは苛立たしげに手を振り上げる。
もうやめて!!
そう叫ぼうとした時だった。
振り上げた手をシン君が掴んでいたのは。
「アンタいい加減にしろよ」
「はぁ?アンタに関係……」
カナちゃんのお母さんとシン君の瞳がぶつかる。
自分の手を掴んだシン君をねめつける様に睨もうとして、瞳を見開く。
「ひっ………!!」
短く不細工な悲鳴をカナちゃんのお母さんは喉から振り絞っていた。
私も思わず息を呑む。
そこには初めて見るシン君がいた。
紅の瞳には炎ではなく、マグマが閉じ込められているんじゃないのかとさえ私は思った。
色々な感情を詰め込んで煮詰めたような、ひたすらに熱くて鋭い視線だった。
それは戦場を経験したシン君だから浮かべられるような表情で、一般の、それも女の人には恐怖以外の何物でも無いだろう。
私は妙に冷静な気持ちでそう判断していた。
シン君はカナちゃんのお母さんの手を握り締めたまま何も言わない。
沈黙に耐え切れなくなったのか、お母さんが精一杯の力を込めたように睨み返す。
明らかに虚勢なのは見てわかる。
「な、何よ……アンタ……」
「こんな小さな子を一人ぼっちにして、てめぇはパチンコに行っておいて……よく言えたな」
「………ッ!?」
私は確かにカナちゃんのお母さんが息を呑むのがわかった。
そして、私はもう一度手にしていた袋に目をやると、それは煙草やビスケットが詰め込まれた紙袋。
いかにもパチンコの景品というものだった。
バツが悪そうにシン君から視線を逸らすが、その手は相変わらず握られたままだ。
シン君がぎゅうっと力を込めたのがわかった。
「痛い!!イタたた……痛いってば!!」
「この子がぶたれたのに比べれば大した事でもないだろう?」
シン君の声に「怖い」ものがふっと浮かび上がる。
ぞくっと背筋に悪寒が走る。
シン君の瞳に浮かぶ光が怪しくなる。
「痛い痛いよ!!あああ………ッ」
目尻に涙さえ浮かべながら身を捩るけれども、一向に手を離そうとしないシン君。
その手は万力のようで、掴まれている手が徐々に白くなっていく。
「ちょ、シン君!!」
流石に不味いとシン君を止めようとした時、小さな人影がポスッとシン君を叩いた。
それは小さかったけれども、何よりも強くシン君に響いたようで、自然とシン君は掴んでいた手を離した。
「ママを虐めるな!!」
それが全てを終わらせる合図だった。
その瞬間悪者はお母さんではなく、シン君になっていた。
シン君がその時浮かべた表情を、私は一体何と言えば良いのだろうか。
傷付いたような、それでいて安心したような。
カナちゃんはおずおずとお母さんの手に小さな手を添える。
お母さんはビクッと身を震わせ、嬉しさと自身を恥じるように瞳を伏せながらその小さな手を握り返した。
私とシン君は何も言えずに二人が去っていくのを見つめるだけしか出来なかった。
◇
シン君はベンチに俯いて座っていた。
手にはいつも飲んでいる缶コーヒー。
私は何て言って声をかければ良いのかわからず、ただシン君の隣りに座っていた。
シン君はぽつんと呟いた。
「最低だ………」
何も言わないことで、私はシン君の言葉の続きを促す。
「子供の前で……よりにもよってあんな小さな子の前で親をあんな風にするなんて……マジでダセェ………」
「シン君……」
缶コーヒーで顔を冷そうとするように、額を押し付ける。
その肩が微かに震えている事に、私は胸が痛かった。
シン君は悪くないよ、そう言いたいのに、俯いたシン君がそれを拒絶していた。
私の慰めなんか何の意味も持たない事がわかって、唇を噛み締める。
何故だろうか、無性に悔しかった。
だから、無意味とわかっていても、私は何かを言わずにいられなかった。
「シン君はあの子の為に怒ったんでしょう?あのお母さんが許せなくて」
シン君はただ黙って頷く。
「暴力を振るうのはいけないと思うけど、でも………私は人の為に怒れる事って……凄いと思う。大切な事だと思うから…」
「スバル……」
「だから………だから、私はシン君はそのままで良いと思うよ。後悔なんてしないでよ、今日みたいに暴走しちゃったら………その時は私が止めるから」
頬が熱くなって、私はシン君の顔が見られずに一緒になって俯いてしまった。
シン君が顔を上げるのが気配でわかった。
「スバル………ありがとうな…」
その声の響きに、私は思わず顔を上げた。
何て優しい響きなのだろう。
どんな顔をしているのか、それが見たくて、赤いであろう頬を見られる恥かしさを押し殺して私はシン君の方を見た。
そこには夕日のような温かい光を閉じ込めたような瞳で、何処か救われたような、弱々しくて嬉しそうな表情があった。
その弱々しさに、胸がきゅーんと痛む。
そっか………私………
ようやくわかった。
その痛みが何を意味しているのか。
ティアナとキスをしてるシン君を見て胸がどうして痛くなったのか。
どうして、今日シン君と二人で出かけようと思ったのか。
それは確かめたかったから。
この痛みを。
そして、今すとんと理解出来た。
出来てしまった。
ゴメンね……ティア……
心の中で親友に謝る。
「ううん、気にしないで……だって…だって私は……シン君が……好きだから」
でももう否定出来ないよ、ティア。
最終更新:2009年09月12日 07:16