一つ、祈りの言葉を胸の内で呟くと引き鉄を引く。
されど口にする言葉は懺悔の言葉ではなく。
ゆえに言葉を向けるは神ではない。
口角を不細工に歪め、口泡飛ばし命乞いと罵声が交じり合った言葉を聞き流す。
下衆な破裂音と共に、一瞬の間を置いて広がる静寂の中、静寂の隙間を縫うように溜息が一つ。ジャケットの内側で震動する携帯に気付くと、未だ熱を帯びる銃をしまいながら煩わしげに取る。
「はいはい、アンタか。せっかちだなどうにもさぁ。ん?ああ今丁度終わったとこ。そう、ホント今さっき。後で検分でも何でも寄越せよ。俺は帰るからさ」
尚も電話口から響く声を無視して携帯を切る。
興奮を抑えるように、火照った頬をつるりと撫でる。
「うあ…治まらないかも。飲む…しかないかぁ」
鉛色の空を恨めしげに見上げると、緋色の瞳を微かに眇めシンは呻くように呟いた。
◇
魔法という言葉を知ったのは、存外早かった。
当然テレビで。アニメだ。妹が大好きで、ピアノのお稽古で見られない妹に録画をよく頼まれていた。録り忘れると本気で泣き出し、妹と母さんを頂に置くアスカ家のヒエラルキーにおいて父さんと最下層の座を争い続けていた俺は同じく妹のいる友人にDVDを借りたりして、考えてみれば随分馬鹿馬鹿しい事なのだが、子供ながらに奔走していた。
女の子が観るようなアニメを観ているなどとからかわれては一大事だったから自分の観たかったバイクレースや特撮番組、ロボットアニメやバラエティー以上に録画には神経質になっていた。笑ってしまうが、きっとあの当時の俺としては真剣であり必死だったのだろう。
それと、若干恥かしいが、やはり妹の喜ぶ顔が観たいというのもあった。
一緒に観ようと甘えた声で誘ってくる妹が可愛くて、アニメそのものには興味など全くなかったけれど、一つの毛布に包まって、俺が淹れてやったココアを、俺は生意気にもカフェ・オレなんてものを飲みながら毎週欠かさず観ていた。
内容は酷く陳腐なもので、魔法の世界からやってきた女の子が、恋や友情を通して、悪さをする奴らを懲らしめながら成長していくという話だった。
斜に構えるところのあった俺は、毎回毎回改心する悪党達の姿に呆れ、予定調和とも言えるハッピーエンドを鼻で笑っていた。
俺にはそのアニメの中はまるで砂糖菓子で出来ているように思えた。
何処にも苦さも辛さもなく、口当たりが良く、優しく、柔らかく、不健全なまでに健全で、眩しすぎるくらいに明るく、空はどこまでも澄み切って目に痛いくらい青く、背筋が寒くなるくらいに夢や希望に溢れた世界。
きっとその世界は、魔法少女のいる世界は花の香りと砂糖菓子の焼ける匂いに覆われているのだろうと思っていた。ジャケットのラインを僅かに損なう銃の重み。
魔法があっても、空は鉛色になる。
魔法があっても、硝煙の臭いが鼻を突く。
魔法があっても、悪党は変わることなく。
魔法があっても、人は死ぬ。
お菓子の香りと、お花畑。澄み切った空と、耐えない笑顔。
希望と夢を忘れない心を持ち、未来に掛けていく人々。
正義を知り悪を恥じ、罪を悔いて罰を享受する悪党。
そして奪われることのない命。
そんな舞台装置と
登場人物達をが織り成す物語。
それを成り立たせる為に積み上げられるそれらを遥かに上回るだけの礎。
不都合を闇から闇へ。不条理を底の更に底へ。
奪われた命は始めから無かった事に。
けっしてマイナスにはならず、ゼロは始めからゼロであるとして。
『きっと貴方は地獄に堕ちるわ』
そう呟いたのは、嘗て魔法少女等と呼ばれた事のある女。
小学校に上がる前の少女達の生き血を溶かしたワインを流し、剥ぎ取った少女達の皮を加工して高値で売る。雑誌に載ったモデルの少女の血を溶かしたワインには0が8つも付いているのだと、喉を震わせて女は哂った。
首に貼り付くように掘られた蝶のタトゥーが下品に揺らぎ、微かにたわんだ女のだらしない皮膚の上でそれは蝶ではない別の生き物のようにうねっていた。
我ながら薄っぺらな怒りに突き動かされて、思わずナイフで突き刺した穴に人差し指を突っ込むと、女は悲鳴なのか嬌声なのか判別の付かぬ声を上げた。
堕ちてしまえば、二文字抜いて単なる『魔女』となる。たった二文字でエライ違うなと、笑おうとして、上手く笑えなかった。
その女を殺すように上から命が下りたのは、ご趣味の宜しい剥製が二桁目に入る直前の事であった。直属の上司が嫌悪感を隠しきれずに零していた言葉を思い出す。
『下衆共』
その言葉を向けるべき人間がわからず、俺は黙って命令を受理した。
該当者は多過ぎた。女が選ぶ商品の候補は皆『魔法』というものを大層崇高なものにしてしまいたい連中の娘ばかりであり、何故そのタイミングで上が動いたのかは考える気もしなかった。追求する気力がなかったのもそうだが、してもしょうがないと思った。
そんな下衆達が組み上げている世界で、笑顔で暮らしていられる人は確かにいて、その中には、俺自身が決して消して欲しくない笑顔も幾つかあったから。
移民の中でも最も人権が曖昧な異世界の人間である事をいい事に、血の泥の中をのたうつ蛇の役目を与えられた事には不思議と恨みも憤りも、悲しみも湧かなかった。
寧ろ納得と感心を、俺をそこに配置した人間に対して抱いた。
だって俺に出来る事を、俺以上に把握しているのだなぁと思ったから。
◇
種が割れる。
本当はSEEDといい、人類の可能性だと盲目の牧師は ――― ありったけの銃弾で千切れた腸をはみ出させながら ――― 誇らしげに、陶酔するように謳っていた。
俺にはどうでも良かった。俺にとってはドン臭い自分が僅かに要領が良くなるだけの力だ。
これは困った事態をもたらしてくれた。
この力は、MSに乗っていた頃には余り意識しなかったが酷く好戦的な気持ちにしてくれる。
MSを動かすという作業にどれ程のエネルギー、集中力、精神力が費やされていたのかを嫌という程理解した。一人や二人では物足りなくなる。MSの操縦という工程をすっ飛ばしてしまうと、種の齎す渇きにも似た戦闘への衝動に苛まれることになった。
いっそ誰でもいいから、とう誘惑に駆られたのは一度や二度じゃない。
そういう時は酒を飲んでさっさと寝てしまうか、女を抱くかしかない。
無趣味な自分には、それ以外に吐き出す方法がわからなかった。
半分がアルコールで出来ている酒の瓶を二本、顔見知りに貰った干し肉を突っ込んだビニール袋をガサガサと音立てながら、鉄骨の階段を踏み鳴らして上がる。
殺風景且、黒、白、灰色のみで構成された新築の、頑丈で綺麗なだけが取り柄のアパートの一室の前に小さな人影が座り込んでいるのが目に映る。少女の座り込んだそこだけが場違いな華やかさに彩られているようだった。赤と黒のタータンチェックのスカートは本当に学校の制服なのかと尋ねたくなる。
「お前……また来たのか、ヴィヴィオ」
「おかえりなさいシンさん」
左右非対称の色の瞳に、昇りかけた月の光を映しながら少女はふわりと笑った。
遠い昔のように、少女は『シンパパ』とは呼ばなかった。
嘗て少女が口にしていたその呼び名のイントネーションを思い出そうとして、すぐに諦めた。
最終更新:2010年01月24日 02:30