視界に広がる、一面に広がる花畑。
そんな場所を、僕は一人歩き続ける。銃を手にして。
ここは小さな、だけど暖かい場所だ。
俺は歩を進める。花を踏み荒らし、吹き飛ばそうとする敵からここを守るために。
敵を探して、敵を撃って、また探して、また撃って。ただこの繰り返し。
そうして視線を上げれば、そこにはまるで花の境界で区切られるように荒れ果てた荒野が広がってる。
そこには、俺が撃ってきたたくさんの敵の死体が積み重ねられている。
死体の中には知っている顔もあり、僕は思わず目を逸らしてしまう。
本当は僕だって撃ちたくなんかない。だけど決めたんだ。
俺の力ではこの荒野に花を咲かせることができない。
なら、せめてここに咲いた花を守ろう。
例え俺の手が血で汚れようとも、自分に、その力があるのなら。
だから俺は敵を撃つ。その繰り返し、繰り返し。
そのうち足が重くなってきたけれども、俺は進むのをやめない。
足を引きずりながらも、敵を探し続ける。
そして足はどんどん重くなって、息切れもするようになってくる。
だけどもうすぐ終わる。
たくさんの血が流れてしまったけれど。
たくさんの涙が流れてしまったけれど。
たくさんの人たちが払ってくれた代償が、荒野を癒していく。
迷いはある。悲しみに押し潰されそうになることもある。
だけどそれは全て終わってからだ。
でなければ自分が今まで撃ってきた命が無駄になってしまう。もうすぐの辛抱だ。
もうすぐ、僕が銃を持つ必要はなくなる。
もうすぐ――そう思っていたのに。
突然、大地を照らした光が、僕を貫いた。
何が起こったのか分からない。だけど俺は無我夢中で銃を構え、光に向かって引き金を引く。
何度も何度も。目を凝らし、何も見えないまま、それでも銃を撃ち続ける。
だけど俺は光に打ち砕かれ、地に叩きつけられてしまう。
そこで、ようやく見えた光景に、俺は愕然とした。
俺が銃口を向けていたのは敵ではなく、守ろうと誓ったはずの花だった。
その瞬間、俺の心は折れてしまった。呆然としたまま、僕は目の前に咲いた一輪の花を手に取り、凍り付いた。
僕が触った瞬間、花は手のなかで染まるように黒ずんで枯れてしまった。
周囲を見回してみれば、僕が守っていたはずの花はみんな枯れてしまっていた。
僕が歩いたところに咲いていた花は、みんな枯れてしまっていた。
ようやく理解した。
俺も花を吹き飛ばす敵だったのだと。
――ならば……
俺が積み重ねた死体の山が、雪崩の様に押し寄せてきた。
一斉に、死体たちは怨嗟の念を込めて俺を睨み付ける。
――ならば、自分たちは何の為にお前に撃たれたのだ?
僕は答えられない。ただ呆然と、俺は死体の山を見返す。
死体は糾弾を続ける。
――自分たちは、何の為に犠牲になったのだ?
足は鉛になってしまったように動かない。
俺はもう立てない。
答えてやることもできない。
――ならば、どう償う?
そんなことは決まっている。
俺の力は、敵を撃つための力だ。
俺は銃口を自らの眉間に当て――
そうして僕は死体の山に埋もれる。
暗くてもう何も見えない。
ただただ冷たいその場所で、僕は埋もれ続ける。
ああ。ようやく、自分は望む場所に来ることができた。
あとはこのまま静かに――
第三話『終わりの始まり STAGE3』
「――……ろ。起きろ、小僧」
そんな声に、シン・アスカは即座に目を覚ました。
びくん、と身体が跳ね上がり、飛び起きる。
一瞬、真っ暗な視界にぎくりとするが、すぐに夜中なのだと気づいた。寝ている間に
掻いたらしい大量の寝汗が秋の涼気に冷やされて肌寒い。
また夢でうなされていたのだと自覚したシンはため息を吐くと、再び声が掛かる。
「随分とうなされておったな。嫌な夢でも見たのか?」
傍で老人が膝をついてこちらを見ていた。
厳しい口調に、厳しい顔つき。
そんな頑固そうな顔に走った一筋の傷跡が残る、白髪の老人。
彼の名前はサトー。昨日この地に迷い込んだシンの面倒を見てくれている男だった。
シンは敢えて夢には触れずに答える。
「……いえ。すみません、遅くに起こして」
「構わん。いつもより少々早いが、もう起きる時間だ」
そう言ってサトーは立ち上がると、さっさと寝巻から着替えて戸口へ向かう。
そして引き戸に手を掛けた頃、思い出したようにこちらへと振り向いた。
「おい、いつまで寝ぼけている。貴様もさっさと支度をせんか」
「え?」
「ただ飯を食わせるつもりはないと言ったはずだ。貴様にも手伝ってもらうぞ。
よもや断るまいな?」
「あ、はい……じゃなくて、手伝います」
半ば反射的に出た答えに、老人は頷いた。
「なら少し歩いた場所に川がある。そこで目覚ましに顔を洗いがてら洗濯をやってもらおう。 貴様の服も一緒に洗っておくといい」
「はい、分かりました」
二つ返事で了承し、シンも渡された着物に着替えるとサトーと共に外へ出る。
外はまだ日も昇っておらず、空は薄暗かった。
「洗濯板と桶は離れの小屋にあるからそれを使え。道具は全てそこに置いてある。覚えてけ」
そう言って教えてくれるサトーだったが、シンは彼が口にした別の単語に気を取られた。
「……え、洗濯……板?」
思わず戸惑いが言葉となって口から出た。
無論、シンは洗濯板を知らないわけではない。
昔の時代を元にしたテレビドラマ等で見たことがあるし、かつての友人の一人が
付き合っていた彼女の妹に対しそんなことを言っていた――これは少し違うかもしれないが――ような気もする。
ともかく、シンは洗濯板の存在を知ってはいる。
しかしシンの場合は単にそんなものがあったと頭の片隅に残るくらいで、洗濯と言えばボタン一つで済ませてくれる洗濯機がすぐ身近にあったシンにとって、洗濯板とはまさに寝耳に水であった。
そんなシンに、サトーもすぐに得心したらしい。
「……そうだったな。では畑仕事を手伝ってもらうぞ。その後で洗濯の仕方を教えてやる」
「はい……すみません」
「知らぬことを謝ってどうする。なら貴様には雑草の草抜きをやってもらう。
間違っても作物を抜くんじゃないぞ」
「分かりました」
シンは頷いて、サトーの後に続き畑へと向かった。
そうして始めた草抜きが終わった頃には、昇りだした日の光で白み始めていた。
「終わった……」
はぁー、とシンは息を吐いた。
畑は普段から手入れがされているらしく、実際には雑草はそれほどなかったのだが、畑仕事に慣れないシンには作物と雑草の違いを見分けるには時間が掛かってしまった。
そのときの事を思い出し、頭をさすりながら立ち上がる。誤って何度か作物を抜いて
しまった際に、サトーから容赦ないゲンコツを受けてしまったのだ。
見た目の印象に違わぬ大したスパルタぶりであった。
たんこぶができるほどではないが、脳天はなかなか痛い。
自分が悪いということは承知しているが、後半はほとんどムキになって草抜きを続けていた。
そうして何度目かのゲンコツを受ける頃には、シンはすっかりサトーに対する遠慮はなくなっていた。
端から見ればある意味、二人が打ち解けたように見えたかもしれない。
「さてと……」
手に持った雑草を指定された場所に放り捨てながら、シンはサトーの元へ向かう。
サトーは草抜きをシンに任せた後、畑に水を撒いたり作物についた虫を取ったりとずっと動き回っていた。
それでいてシンにゲンコツする余裕もある辺り感心するしか
ない――ゲンコツされるのは面白くないが。いや、よく考えれば昨日までは彼一人で草抜きもやっていたのだろうからそれくらい当然だろうか。
それはそれですごいことだとは思うが。
ともあれ、シンがサトーの元へ向かうと、老人は畑で屈み込み虫取りを続けていた。
「草抜き終わりました」
伝えると、サトーは屈んだままこちらへと見上げてくる。
「ん……そうか。ご苦労だったな。また作物を抜かなかっただろうな?」
「そう何度も間違えないですよ」
「どうだかな……冗談だ。むくれるな」
「別に、むくれてなんか……」
反射的に否定しようとしたが、シン自身図星であったために否定しきれなかった。
そんなシンをサトーは軽快に笑った。
「分かりやすいな、貴様は」
「……単純で悪かったですね」
「褒めているのだ。悪いと思えば素直に謝れるようだしな」
「…………」
どう言えばいいのか分からず何も言えなくなるシンを尻目に、サトーは立ち上がると軽く背中を反らし、明るくなった空を見上げた。
「そろそろ朝飯にするか。手を洗って待っていろ」
「どこで洗えばいいですか?」
「釜戸の隣に水を貯めた壺があるから汲んで使え。直接手を入れるんじゃないぞ」
「分かってますって」
シンはそう返事をすると一足先に小屋へと入って行った。
朝食は昨晩食べた鍋の残りだった。
一日置いてもやはり相変わらず独特な味付けだ。
この幻想郷ではこれが普通なのだろうか。
話に聞けば“外”との交易も無いらしいので、もしかすると調味料を節約しているのかもしれない。
敢えてサトーの料理の腕については考えない。
ともあれ、朝食を終えたシンは洗濯に行くために洗濯物を掻き集めていた。
そこで昨日まで自分が着ていた、泥で汚れてしまった衣服に手を伸ばした時、視線があるものを捉えた。
上着のポケットから、枯れてしおれた一輪の花が顔を覗かせていた。
その花には見覚えがある。それは昨日、最期にと訪れたあの慰霊碑で拾った、かつて自分が彼女と供えた花だった。
「…………」
花を手に取ってなんとはなしに見つめる。この枯れた花を、シンは自身と重ねて見て
いた。
“ズレ”を感じなくなり精神的に余裕も出てきた現在、以前よりかは悲観的ではなくなったが、その考えは今でも変わらない。
自分は生きる理由を見つけたのではなく、ただ単に死ぬ理由を見失ってしまっただけなのだから。
(……そうだ。ケータイ出しておかないと)
ふと気がつき、上着のポケットに手を伸ばすと、取り出した物を順番に床に置いていく。
妹のピンク色の携帯電話。小さな小瓶に入った、あの娘からもらった思い出の貝殻。
そして――
「? なんだこれ?」
怪訝な顔で、シンは自分の手のひらにある物を見下ろした。
最初に掴んだ時はただのゴミかと思い危うく捨てるところだったが、よく見るとそれは何かの種であるようだった。
(花の種、かな……? でもなんでそんなのが俺のポケットに……)
そこまで考えて、シンはあっと声を上げた。
そうだ思い出した。
これは、彼女と共に慰霊碑に向かう途中、見ず知らずの女の子からもらったものだ。
女の子が一体どんな気まぐれで自分に花の種をくれたのかは分からない。
だが、母親と手を繋いで去っていくあの女の子の嬉しそうな笑顔に、あの時の自分は確かに救われていたのだ。
それだけで、自分は歩いていける。そう思えた。
あの後、『彼ら』が現れるまでは――
「………………」
「遅いぞ。何をしておる」
はっとして、シンは後ろに振り返る。視線の先でサトーが戸口から顔を出していた。
「す、すいません、すぐに行きます」
そうシンが言い終えるより前に、近づいて来たサトーは自分の手に握られている物に気づいたらしい。
何気なく訊ねてくる。
「ん……何を持っている?」
「あ、ええと……」
言葉は見つからず、とりあえず無意識に握っていた手を開いてサトーに見せてみた。
「これは花の種か。貴様が持ってきたのか?」
「はい、まあ……」
それ以外に言うことが思いつかず、シンは何か考えているらしいサトーの返答を待った。
「ふん……まあいいだろう。最近収穫してからまだ使ってない畑がある。そこなら使っても構わんぞ」
「え?」
「種を蒔いてもいいと言ったのだ」
それはまったく予想だにしなかった言葉だった。咄嗟にシンは否定しようとする。
「あ、いや、これはそういうんじゃなくて……」
「ならなんだと言うのだ?」
問われ、いくつか漠然とした理由がシンの脳裏を過る。
だがよくよく考えてみれば、いずれもシンがこの花の種を植える理由にも植えない理由にもならないことに気づいた。
「俺、花とか育てたことないんだけど……」
そうして出てきたのは益体もない言葉だったが、サトーはそんなことかと口を開く。
「なら専門の本を読めば良い。知り合いに教職がいる。やつならば花の育て方の本も持っているだろう。
丁度、今日はやつの元へ配達に行く日だ。その時にでも頼んでみろ」
「いや、でも……」
ふと、脳裏に今朝の夢を思い出す。
自分が触れた途端に生気を失くしたように黒ずみ、枯れ果てていく花たち。
その姿が、シンの胸に重く圧し掛かった。
そんなシンの気持ちを知ってか知らずか、サトーはこちらへ問う。
「まだ何かあるのか?」
「えっと……いいえ」
何か言おうともしたのだが、結局言葉は思いつかず、サトーに急かされる形でこの話
は打ち切られた。
「ならば早く洗濯を終わらせるぞ。予定は詰まっておるのだからな。のんびりする暇など無いぞ」
どういうわけか花を育てる方向で話が決まってしまった。
漠然とした不安を抱えるシンだが、持ち前の不器用さから形にして口から出すこともできず、結局その場に流される
ようにサトーの後についていくしかなかった。
「おお、サトーじいさん。こないだのあれ、あんたの言うとおりだったよ。ありがと
なぁ、助かったわい」
「そうか、それは良かったな」
配達をすると言ったサトーに人里へ連れ出されたのは、洗濯を終えてすぐだった。
そうしてサトーに代わり野菜の詰まった籠を背負ったシンがサトーと共に訪れた、何軒目かの民家。
その玄関の前で話す老人たちの会話を、シンはサトーの後ろで黙って聞いていた。
そこでふと、サトーの肩越しに老人と目が合った。
「そういやぁ、こっちの兄ちゃんは……」
「ん。ああ、こいつは……」
一度ちらりとこちらへ視線を向けたサトーが自分を紹介するより早く、老人は言った。
「あんたのお孫さんかい? どことなくあんたに似てるねえ」
「…………」
「…………」
シンの視線がサトーの後頭へと向くのと同時に、サトーもこちらへと振り向いてきた。
互いの顔を見合わせる形になり、サトーはなんと言うべきか困るような微妙そうな顔をする。多分、今の自分もそんな顔をしているんだろうなとシンは思う。事実、その通りだった。
「うん?」
そんなシンとサトーに、老人は首を傾げる。サトーはどうということはないと首を振り、言う。
「いや……。この小僧は訳あって少しの間置くことになった。その条件として仕事を手伝わせているだけだ。
というより、五十年以上の付き合いの私に血縁はいないことをなぜ忘れるか」
「あれそうだっけ? 五十年以上ともなると物忘れが激しくなるわい」
わっはっはー。そう気楽に笑う老人に、シンは苦笑いするしかなかった。
先程のサトーの否定は、ここに来るまでにすでに二度聞いていたのだ。
次で最後だ。
そう言ったサトーについて行った先に見えたのは、ボールを追って駆け回る子供たちの姿だった。
「……サッカー?」
それはまさしくサッカーだった。ボールを蹴り飛ばして仲間に渡し、足で止めたボール
を蹴りながら離れた位置に立つ少年――おそらくゴールキーパーなのだろう――の元へ
と向かう。
よもや、こんなところでシンにも見慣れたものが見れるとは思わなかった。
シンの呟きに気づいたサトーも同じように子供たちへ視線を向けた。
「どうした?」
「いや……“ここ”にもあるんだなって思って。サッカー」
「ああ」
得心したように頷くと、サトーは続ける。
「貴様のように“外”から人間が迷い込んだ後はな、その人間から教わったものがよく流行るのだ。サッカーも同じだな」
ゴールキーパーへシュートを打とうとした少年だが、駆け付けた別の少年によって阻まれてしまう。
蹴り飛ばされたボールは反対方向へと飛んでいき、さらにボールをキャッチした別の少年がそのまま反対側のキーパーへとシュート。
キーパーはボールを止めようと飛び跳ねるが、ボールは手に擦ることもなくキーパーを通過していった。
そして少年たちは高らかに声を挙げた。
「ゴォォォォル!!」
(まあ明らかにオフサイドだったけど……)
内心でシンはツッコミを入れるが、少年たちも楽しそうだしこれで良いのだろう。
そして少年たちはわいわいと騒ぎながら上着を脱ぐと、敵味方のチームで上着を交換しだした。
「……ユニフォームの交換のつもり、なのか?」
「そのようだな。終わったらちゃんと返しているようだが」
「ならなんでわざわざ交換してんですか……」
「私が知るか」
サトーはもっともな返答をすると会話を打ち切った。
「さあもう良いだろう。いい加減先に行くぞ」
なんだか釈然としない気持ちを抱えたまま、シンは先行するサトーを追って再び歩きだした。
サトーがどこへ向かっているのかはすぐに分かった。
子供たちがサッカーをやっていた場所から目と鼻の先程度の距離しかないその場所に、今までの民家に比べて幾分か大きい建物がある。
そして付近で遊んでいたのは少年たちだけではなかったらしい。サッカー
ボールが飛んでこないくらいの距離を離れたところに、女の子たちが一列に並んで長縄跳びに興じている。
そしてふと、縁側に開け放たれた木戸の向こう側に置かれたいくつもの長机と壁に掛けられた黒板が目に入り、ある予想がシンの脳裏に浮かんだ。
「もしかして……ここって、学校?」
「そうだ。今朝私が話したことを覚えているか? ここで私の知人が教鞭を握っている」
そうシンの疑問に答えると、サトーは戸口の前に立つ。そこで女の子の一人がこちらへと近づいて来た。
少女はサトーに挨拶する。
「あっ、森のおじいちゃん。こんにちわ」
「こんにちわ。先生はいるか?」
「うん、待っててね」
そう言い残し、少女は縁側に上がると奥へと走り去って行った。
だがシンは何よりもこの厳しい老人が初めて見せた柔らかい表情に軽く驚きを隠せないでいた。
「……なんだ」
「あ、いや……子供、好きなんですか?」
「普通だ。なんだ? 私が子供相手にきつく接する人間と見ていたのか?」
「えーと……」
無意識にサトーの顔を確認してしまい、咄嗟に目を逸らしたが誤魔化せていないだろうことはシンも自覚していた。
そんなシンに、サトーは鼻を鳴らすとそっぽ向いてしまった。
「……冗談のつもりだったのだがな」
「あ、いや! そんなつもりじゃあ……」
どことなく哀愁を漂わせてぽつりと呟いたサトーに、シンは慌てて弁明を試みるが、
いい言葉が見つからない。こんな時にアドリブの利かない自分がうらめしい。
と、そこへサトーの後ろの玄関が横に動いた。
「お待たせしてすまない、サトー殿」
そう声が飛んできた玄関から出てきたのは、教師を呼びに屋内へ入って行った先ほどの少女だった。
少女はそのままサトーとシンの脇を擦り抜けると、友達なのだろう、長縄跳びをしていたグループの中に自然と交じっていった。
「別に待ってなどおらん。おい、小僧」
「え?」
少女が長縄跳びに入り跳ねる様をなんとなく目で追っていたシンはサトーに呼ばれて振り向いた。
「何をぼさっとしておるか。さっさと野菜を渡せ」
「あ、はい」
背負っていた籠を降ろし、玄関へと持っていくと相手が用意していた小さな籠へと野菜を移す。
配達はここで最後だとサトーが言っていたので、全部入れればいいのだろうか。
一人で食べるには少し多いようだが。
そこで玄関に立つ女性と初めて目が合った。
女性は先ほどから気にしていたのか、自分へと向けた視線を考えるように揺らしていた。
「君は……ここらでは見かけない顔だな?」
「訳あって昨日から手伝ってもらっている小僧だ。おい」
サトーの紹介に、シンは立ち上がると軽く会釈した。
「シン・アスカです」
「シン殿か。私は上白沢慧音。未熟ながらこの寺子屋で子供たちに勉強を教えている者だ」
ではやはりサトーの言っていた知り合いの教師とは彼女の事だったのか。
サトーの知り合いと聞いたときはてっきり年配の人だと思い込んでいたのだが、実際には随分と若い。
自分の歳とそれほど違わないのではないだろうか。
「ええと、上白沢さん……が名字でいいんですよね?」
「そうだが……もしやアスカの方が名字だったのか?」
シンは頷いて肯定する。
「そうだったのか、それは失礼した」
「いや、シンでいいですよ。歳もそんなに違わないみたいですし」
「そうか、ではお言葉に甘えて。シンも私の事は慧音と呼んでくれ。敬語も必要ないから」
「そっか。分かった…………ッ!?」
言い掛け、シンは素早く後ろへと振り返った。
軍人として鍛えられ、戦いの中で研ぎ澄まされた直感が、シンの背後から迫る“何か”を察知して警鐘を鳴らしたのだ。
だが、気づいた時には遅かった。
(しまっ――!)
“それ”は既に顔前にまで迫っていた。
殺気を消し去った、純粋な悪意がシンへと襲い掛かる。
咄嗟に躱そうと身体が動きかけるが、そんなことをすれば後ろにいる彼女に当たってしまう。その硬直が命取りだった。
もはや躱すことも防ぐこともできない。思考だけが、己が頭を吹き飛ばさんと迫り来る“それ”をゆっくりと観察していた。
そして――
――シンの頭は為す術もなく、あっさりと“それ”に吹き飛ばされてしまった。
視界に帳が落ちて何も見えなくなる。
後ろへと倒れこむシンを誰かが支えてくれると慌てているような声を投げ掛けてくるが、頭の中は真っ白になっていて耳に入らなかった。
そしてようやく最初に聞こえたのは、シンを討ち取った敵の勝利の雄叫びだった。
「ゴォォォォォォルッ!!」
わっ、と沸き上がる子供たち。
一瞬何があったのか分からなかったシンも、足元に転がる見覚えのあるボールに気づきようやく自分に何があったのかを理解できた。
つまり自分は、子供たちに悪戯でボールをぶつけられたらしい。
「こ、こらッ! なんてことをするんだ、お前たち!!」
子供たちを叱り付ける女性の声が耳元に響く。倒れそうになる自分を支えてくれたのは慧音だったのか。
「す、すまない、大丈夫だろうか?」
「あ、うん、大丈夫……ちょっと驚いただけで」
心配する声に冷静さを取り戻しながら、シンは慧音に礼を言って立ち上がる。
当の子供たちは遠くで何やら楽しそうな声を上げている。
「本当にすまない……後で子供たちにちゃんと言い聞かせておくよ」
「これくらいどうってことないからさ。たかが子供の悪戯だろ」
「そう言ってもらえると有り難い……」
シンの言葉に慧音はほっと胸を撫で下ろした。
少し前の自分ならすぐに頭に血を上らせて子供たちを追い掛けていたかもしれないが、
今は流石にそんな大人気ないことはしない。自分も成長したという自負がシンにもあった。
「うわー、あの兄ちゃん、どさくさにまぎれて先生に抱きついてたぜよー」
そう、自分ももう大人なのだ。
子供の戯言に一々ムキになるような大人げないまねはしない。
「やーい、ラッキースケベー」
「ちょっとそこで待ってろよお前らああああっ!!」
シンの、元から低い沸点がマッハでリミットブレイクした。
怒りのままに駆け出したシンに、子供たちは楽しそうな悲鳴を上げてクモの子を散らすように逃げ出す。
例え相手が子供でも、名誉を守るために戦わねばならない時があるのである。
そんな大人気ない建前を胸に、シンはまず一人目の子供を捕まえた。
捕まった子供を救出に来た別の子供たちに背後から突進されるシンを、サトーは意外な思いで見ていた。
(途端に元気になりおったな……)
この里の雰囲気は穏やかだ。
故に里に連れ出すことであの若者が気力を取り戻すことができればと期待していたが、どうやら効果はてきめんだったらしい。
「楽しい人ですね」
と、隣に並んだ慧音は若者をそう評した。
慧音の視線の先には、倒れたところを追撃されて子供たちにのしかられて悲鳴を上げる若者の姿があった。
「サトー殿。もしや彼は“外”の人間なのでは?」
慧音は聡明な娘だ。
恐らく先ほどの若者との会話から里の人間とは違う空気を察したのであろう。
「そうだ。行く当てもないと言うのでな。身の振り方を決めるまでは置いてやることにしたのだ。
前々から人手も欲しかったところでもあったから丁度よい」
そう説明すると、慧音はなぜか含みを持たせて笑う。
「……なぜ笑うか」
「だってサトー殿。以前私が手伝いを雇うよう勧めたら、不要と言って話を蹴ったではないですか」
「…………状況は変わる。それだけの話だ」
「そういうことにしておきましょう」
くすくすとしたり顔で笑う慧音。
半世紀以上も歳の離れた娘に見透かされているような気がして、自然とサトーは自分の顔が渋くなるのを感じる。
サトーはごほんと咳払いすると話題を変える。
「ところでだ。借りたい本があるのだが」
「いいですよ。何の本でしょう?」
「花の育て方についての本だ。
できれば素人でも分かりやすいものがいい。なんなら基本だけ書かれたものでも構わん」
慧音はきょとんと聞き返してくる。
「花の育て方、ですか? 心当たりはありますが……花を育てられるのですか?」
「いや、育てるのは私ではない」
言ってサトーは若者を示す。
若者は叫びながら自分にのしかかった数人の子供を背負ったまま立ち上がっていた。
背負われた子供たちが喚声を上げる。
「彼が?」
「そうだ」
それ以上の事は言わない。
だがあの若者は疲弊している。
サトーは初めて出会った時からそう直感していた。若者の身に何があったのかは知らない。
だが一人にしておけば悔恨の念から自らを押し潰してしまうだろう事は安易に予想できた。
いや、恐らく既に‘そうなった’後なのであろう。
そして“ここ”へと流れ着き、目的を見失ってしまった。
だからこそ、若者に花を育てさせようとした。成功するかどうかは分からない。
いや、例え成功しなくてもいい。
ただ何か目的があれば、少なくとも前を向いていられる。
そしてきっかけさえあれば、あの若者は再び立ち上がるだろう。
あのとき花の種を見つめる若者の姿を見て確信した。
あの眼は、生きる事を諦めきれていない。
「……ふふっ」
と、何故かまた笑う慧音に、サトーは視線を若者から引き戻した。
「……今度はなんだ?」
「いえ。今のサトー殿の目が、まるで父親の様だなと思えまして」
「……ここに来るまでにも何度か似たような事を言われた。
あの小僧がどことなく私に似ているとな」
「ああ……成る程」
慧音にまで納得されてしまい、サトーはとうとう聞き返さずにはいられなくなった。
「一体私とあの優男のどこが似ていると言うのだ?」
「そうですね……顔が、と言うよりも、強いて言うなら雰囲気でしょうか」
慧音は数瞬考えて口を開く。
「彼がまとう空気と言いますか、佇まいがサトー殿と似ているような気がします。
あくまで私の主観ですが……」
「…………」
ふと、思いつくものがあり再び視線を若者へと向ける。
若者は子供たちにせがまれて自分の両腕に子供たちをぶら下げてくるくると回らされていた。随分と馴染んだらしい。
若者は口では文句を言いながらも、まんざらでもなさそうに子供たちと遊んでいる。
今までに不意に見せた表情の陰りも今はなりを潜めていた。
それでも、心の隅に引っ掛かるものはあった。
恐らく心的ストレスから来るのであろう過呼吸と、悪夢にうなされる今朝の姿。
そして先ほどの背後から飛んでくるボールに見せた反応。
それらはまるで、かつて遠い昔に何度も見た――
(…………まさか、な)
そうだ、あり得るはずがない。考えを振り払うようにかぶりを振り、サトーは話に戻った。
「なあなあ兄ちゃん、もう一回やってくれよ!」
「まだやらせるのかよ……」
軽く目を回しながらげんなりするシン。
一体何度回っただろうか。最初は懲らしめるつもりでやっていたはずが、気づけば人間メリーゴーランドをやらされており、今では関係ない子供たちまで加わって自分の腕を引っ張る始末だった。
「ほら、回ってよー」
「あーもうっ! 俺は仕事で来たんだぞ。お前らと遊んでる暇なんかないんだよ!」
端から見れば今更何をとツッコミが入りそうだが、至って真面目にシンは言う。
ちなみに配達の事はさっきまで怒りで忘れていたのだが敢えて気づかないふりをした。
「えー」
「情けないのー。鍛え方が足らんぜよ」
子供たちが周りで口々に不満の声を上げるがシンは無視する。
やはり端から見れば意地になっているようにしか見えないが。
サトーたちの元へ戻ろうとするシンの後に、子供たちも続く。
「先生に抱きついたくせにー」
「…………」
無視だ。無視。子供はこちらがムキになるのを見て面白がっているだけだ。
こちらが何の反応もしなければ諦めて別の遊びを始めるだろう。
ていうか、別に自分は彼女に抱きついてなんかいない。
とんだ濡れ衣だ。
「先生のおっぱいのかんしょくをあじわったくせにー」
「…………っ」
思わず声を上げそうになるのを必死に自制する。
大人の反応を見たくて子供はそういうことを言いたがるものだ。
きっと言葉の意味も分かっていないのだろう。
そんなの相手にするだけ無駄だ。
ていうか、なんてこと教えてるんだよ親は。
別に支えてくれた時の彼女の柔らかい感触を思い出してしまったのを誤魔化してる訳じゃないからな。
自分は一体誰に言い訳をしてるんだ。
「このラッキースケベー」
「……だ・か・ら、お前らなあああああ!!!」
やはり子供の躾は大人がしてやらねばならない。
これは大人としての義務だ。
断じて怒りに任せた行動なんかではない。
ガバッと振り向いたシンからやはり楽しそうに歓声を上げて逃げ出す子供たちを追い掛けようとした直後、シンの脳天に衝撃が走った。
「~~~~っ!!」
痛みに頭を押さえてうずくまるシンの上から厳しい声が降ってきた。
「いつまで遊んでおるか。いい加減帰るぞ」
ゲンコツを振り下ろしたサトーは有無を言わさずシンの襟首を掴むと、ぞんざいな手つきで引っ張った。
バランスを崩しかけたシンは慌てて後ろ足で歩きながら弁明する。
「い、いや待ってくれよ……俺は別に遊んでたわけじゃ……」
「どう見ても遊んでおるようにしか見えん」
「だから違うって……」
端から見ればまるで帰りたくないと駄々を捏ねる子供のように、シンは引きずられていく。
そんなシンに、子供たちは手を振ってくる。
「じゃあなー兄ちゃん! また遊ぼうなー!」
「お前ら覚えてろよぉ!?」
そんな三下の悪役のような台詞を吐くシンだった。
次の日、スコップを片手に畑の前で屈むシンの姿があった。
「……これでいいのかな」
種を植えたそのほぐされた畑の土を見下ろして、シンは呟いた。
一応、慧音から借りた本を見ながらやったのだが、果たしてそう上手くいくのだろうか。
正直に言えば、シンは上手くいかないと思っている。
自分は一度も花を育てたことがないし、知識もない。
そもそも植えた種が何の花なのかも分からないのだ。今の季節に植えていいのかも分からないし、もしかすると花の種じゃない可能性だってある。
花の育て方の本を一冊読んだだけでいきなり花を咲かせられるとは到底思えなかった。
そして本を読んでその思いは確信に変わった。花は土に植えて水をやっていれば勝手に育つわけではないのだ。
本を読むまでシンはそんなことも知らなかった。
「……俺は花も守れないのに、な」
昨日視た夢を思い出し、自然と自嘲が零れる。
それでもこうして種を植えている自分が未練がましく、滑稽に思えたのだ。
「本当に、なにやってるんだろうな。俺は……」
そう呟いてから、シンは畑仕事を手伝うためにサトーの元へと向かった。
その次の日。
シンは変わらず畑仕事を手伝いながら、花を植えた土に水をやる。
当然だが、まだ変化はない。
それから少し日にちが経った。
洗濯を終えた帰りに、川から汲んだ水を土に撒いた。
やっぱり、変化はない。
また少し日にちが経った。
ここにも慣れはじめ、初めて収穫した作物を市場に持っていった。
だが種は相変わらず芽を出していない。
やはりダメなんだろう。
しかし他に思いつくものもなく、結局いつもどおり水をやった。
そしてある日。
小屋から出てきたシンを、朝のひんやりとした空気が迎えてくれた。
シンは光合成でもするような気分で軽く伸びをする。
その際に着物が乱れるが、気にしない。
帯も適当に結んでいるのだ。元からまともな着こなしなど見込めない。
もっとも、それでサトーから男子たるもの身なりを整えろと口を酸っぱくして言われてしまうのだが。
(いい天気だな……)
空を見上げれば、優しい日差しが地に降り注ぐ。
この幻想郷に迷い込んだばかりの頃は化け物がいる危険な世界かと思ったが、実際は
そんなものに出会うことも襲われることもなく、穏やかな日々が続いている。
ここで暮らしてからまだ間もないが、シンの心は落ち着きつつあった。
少し前の自分には考えられないことだ。今でも夢にうなされることはよくあるが、
平時の“発作”はほとんど起こらなくなった。
ここの人たちもサトーは厳しくも何も知らない自分に色々なことを教えてくれるし、
里で会う人たちも余所者であるはずの自分に良くしてくれる。
ここに来れたのは幸運だったと、シンは思う。それも身に余るほどの。
だがそれだけに――ここでの生活が穏やかであるほどに、考えてしまう。
自分は、本当にここにいてもいいのだろうか。
このままここで暮らせたらと思う。
だが、本当にそんなことが許されるのだろうか。
かつて共に戦った人たちや自分が撃ってきた人たちを差し置いて――
「…………?」
ふと、思考に沈みかけた意識が引き上げられる。
引き上げたのはシンの視線の端に捉えられた人影だった。
(……誰だ?)
畑の合間を歩いて人影を目指す。
通りすがりということはないだろう。ここがある場所は人里から離れた森の奥だ。
となるとこちらに用事がある客か、森で迷ったのかのどちらかだろうか。
こんな早朝に迷子が出るとは思えないが。
そんなことを考えながら向かったシンを迎えたのは、日傘を差した女性の後ろ姿だっ
た。
日傘を差した女性はただ立ち尽くしたまま、こちらが近づいても振り向く様子を見せない。
足音は聞こえているとは思うのだが。
「あの……何をしてるんですか?」
シンが控えめに声をかけると、ようやく日傘が動いた。
日傘からのぞいたのは、若い女性の顔だった。
明るい色のスカート姿で、微笑みを浮かべた優しそうな表情をしている。
その余裕のある様子から迷い込んだわけではなさそうだ。
(じゃあじいさんに用かな……)
そう思って口を開きかけたシンだが、声を出すことはできなかった。
気づいた時にはすでに、目の前に立っていた女性に頭を鷲掴みされていたからだ。
「…………」
死ぬ。
なぜかそんな単語が脳裏に浮かんだ。
分からなかった。
一体いつ、女性が自分との距離を詰めたのか。頭を鷲掴みにされるまで何が起こったのか理解が追い付かなかった。
シンはどうすることもできず、呆然と女性の顔を見つめることしかできない。そんな
状況に似合わず――いや、もしかするとこの状況にこそ相応しいのかもしれない――女性
は微笑みを絶やさずこちらを見つめている。
と、女性はにっこりと笑って頭をわしゃわしゃと――むしろガシガシと擦ってきた。
そこで初めて女性が口を開く。
「もう、駄目じゃないの。あの子はもっと早く植えてあげないと。下手くそ過ぎて見ていられなかったわ」
「……?」
女性の言葉の意味は分からなかった。
だがそういえば、この女性が立っていたのは、自分が花の種を植えた場所ではなかったか。
ようやくそのことに気づくのと同時に、頬を撫でるような風が吹く。
無意識に瞬きをした時には、目の前にいたはずの女性の姿はどこにもなかった。
「え……?」
驚いて辺りを見渡すが、先ほどの女性はどこにも見当たらない。
まるで最初からそこには誰もいなかったように、影も形もなくなっていた。
「また、まぼろし……?」
まさか幻想郷に来て初めて通った“あの森”の後遺症が出てきたのだろうか。
サトーに相談した方がいいのかもしれない。
そんなことを考えながら、ふと足下を見下ろした。
「――……!」
そして見つけたものにいてもたってもいられず、シンはサトーの元へと駆け出してい
た。
もはやシンの頭の中に先ほどの女性のことは消え去っていた。
「……じいさん!」
小屋に駆け込んで来たシンに、サトーは目を丸くする。
しかしすぐにシンの姿を見咎めて目を険しくした。
「なんだ、朝から騒々しい……おい、小僧。貴様いい加減にまともに着物くらい着れるようにならんか。
大体なんだその頭は、いつにも増してボサボサではないか」
言われて無意識に頭に手をやり、咄嗟に言い訳が口から突いて出た。
「これは、さっき変な女の人にやられて……?」
気づく。
それではさっきの女性は幻ではなかったのか。
思考が逸れかけ、慌ててシンは話を戻す。
「そんなことより来てくれ!」
有無を言わさずサトーを小屋から引っ張り出し、シンは何もなかった畑を指差した。
そこにはいくつもの小さな芽が顔を出ていた。
以前、シンが撒いた花の種が、今になって一斉に芽吹いていた。
「……そうか。芽が出たのか」
土から出てきた芽を屈んで見ていたサトーは立ち上がると、後ろに立っていたシンへと振り向いた。
「よくやったな」
「…………あ、ああ!」
サトーの言葉に、シンは顔を輝かせた。
「その、俺……花なんか咲かないと思ってて……俺は花を吹き飛ばすことしかできないって、そう諦めてて……」
シンは伝えなければならないことを口にしようとするが、気持ちが逸り上手く言葉にできない。
「でもそれでも、それでも本当は諦めたくなんかなくて……それで芽は出てさ……だから」
いくつも溢れる感情の断片を掴むように、言葉を紡ぐ。
見えたような気がしたのだ。
それが何なのかはまだ分からない。だがそこに答えはある。
そんな気がする。
花は吹き飛ばされてしまっても、種は残るのか。
ならばそこにあった想いは、無駄ではないのかもしれない。
それならばこんな自分にも、まだなにか意味はあるのか。
それを確かめるために、別れを告げなければならない。今の状況を終わらせるために。
「だから……じいさん、いやサトー、さん! 俺をここに置いてくれ!」
深く、勢い良く頭を下げるシン。
そんなシンに、サトーは無言。
こちらからは顔を見ることができないシンは内心、次第に緊張が高まっていく。
そしてとうとう、サトーが口を開いた。だが最初に出てきたのは嘆息。そして――
「駄目だな」
「…………!」
シンは咄嗟に顔を上げてサトーの顔を見やる。目に入ったのは相変わらずの厳しい顔――ではなく、優しい視線だった。
ふっ、とサトーは笑う。
「言ったはずだ。男子たるもの……」
そこまで言われてすぐに気づき、シンは慌てて着物を整えて帯を――もたつきながらもなんとか形にして――結び直す。
いつにも増してボサボサになった髪も手で整える。
効果があったのかは分からなかったが。
そして身なりを確認すると、シンはもう一度頭を下げる。
「サトーさん、俺をここに置いてくださいッ!」
「好きにしろ。ただし、これからもしっかり働いてもらうぞ」
「ああ!」
「ではさっさと洗濯を済ませてこい。今日も忙しくなるぞ」
「分かった!」
元気良く小屋へと掛け戻るシンの背中を見送りながら、サトーは呟く。
「ふん……少しはマシな顔になったか」
振り返り見下ろせば、そこにはシンが育てた花の芽が出ている。
「貴様も、何かしらの答えを見出だそうとしているのか?」
しばし、どこか遠くを見るような視線を花の芽に向けていたサトーは考えを振り払うように頭を振ると、小屋へと帰っていった。
罪悪の重みに耐えるだけの日々は終わった。再び立ち上がろうとする意思も取り戻した。
さあ、終わらない明日を終わらせて、新しい明日を始めよう。
幻想郷見聞録
最終更新:2010年05月15日 01:04