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東方種子語-06 前編その2

……元砂漠の虎、現ザフト軍最高司令官アンドリュー・バルトフェルトはシンにとって苦手な人種だ。
飄々とした態度が癇に障る、それもある。ラクスの再起を最も身近で手伝った、それも大きい。
しかしそれ以上に、だ。

(あの虎は、何を考えていた?)

底が知れない、というわけではない。
少なくともデュランダル議長に感じた底知れなさはあの虎からは感じられなかった。
むしろ底ははっきりと見えていたはずだ。
しかし、見えている底の得体がまったく理解できない、そんな感覚。
思い返してみれば、メサイア攻防戦直後に会ったときからしてよくわからない反応をする男だった。
ラクスがシン達に処罰を下さず、今まで通りに軍人としての務めを果たせるような処遇を言い渡した時一番喜んだのが彼だと言う。

当時は変な奴程度にしか思わなかったが、後になって思い返してみれば不自然極まりないことだった。
そのことを何度かバルトフェルトに尋ねたことがある。
例によって飄々とした態度で誤魔化されたが、それでも断片的に得られた言葉を総合すれば。

(俺が必要だから、か)
意味が分からない。
単純な戦力として考えても妙な違和感が残るしそもそもシンは自分が何か特別なことを成し遂げられるような人間だとも思っていない。
正直、自分である理由は無いだろうというのがシンが考えたこと。

……まあ、もしかしたら某凸ッパゲ的な意味だったのかもしれないが。
手は出されていないしあの虎はそんな人間だとは思っていないが、万が一ということも………

(ああもう、やめやめ! 今は逃げることだけ考えないと)

ラクスの関係者達のことを考えるとどうにも思考が脱線してしまう。
今はそんな場合じゃないと頭を振って思考を切り替える。
窓の外をぐるりと見渡す。音も無くドアを開け、近くに妖精がいないことを確認してドアを閉めると。

大きな音でドアを叩きだした。

ドンドンという音は紅魔館中に響きそうな大音量だ、当然妖精達は音の発生源に向かうだろう。
その隙に魔理沙を回収―――文句を言われようが、無理やりにでも連れ帰るつもりだ―――し、そのまま紅魔館を離れる。それがシンのたてた段取りだ。
外をもう一度見渡し、妖精がいないことを確認してからもう一度壁伝いに地面に降り立つ。

そのまま暗闇に紛れながら正面玄関の扉の前まで見つかることも無くたどり着くと、その大きな扉を僅かに開いて中の様子を見る。
………誰もいない。もう少しだけ開いて首を突っ込んでさらに見渡してみるが、やはり誰もいない。中に入り込んでもう一度ぐるりと見渡す。
当然誰もいない、代わりに聞こえてくるのは二階からのドタバタとした、恐らくはシンを捜索しているであろう音だけ。

「……ちょろいなぁ。大丈夫かよ、ここの警備」
盗人猛々しいと思わないでもなかったが、ここまで上手くいくと流石に心配もする。
そんなおせっかいな性格だから、C・Eにいた頃は周囲にいらぬ心労をかけていたのは彼自身も知る由もないのだが。
大丈夫かなぁと呟きながらも小走りとロビーを横切る。
さっさとしないと二階にはいないことがばれてしまう。
そうなってしまっては収拾がつかなくなる、早いところ魔理沙と合流するために扉のノブを回し。

―――首筋が栗立つ。
チリチリと、火で炙られているようなのに凍りつくような嫌な感覚。
倒れこむようにして屈みこむ。
一瞬遅れ、扉には小気味のいい音と共に三本のナイフが突き刺さっていた。もし躱そうとしなかったら延髄に突き立っていたことだろう。

ゆっくりと、何が起きても即座に対応できるように隙を見せずに振り向く。
振り向いた視線の先にいるのは、予想通りのメイド服。

「流石に、これ当たったら死ぬと思うんですけどね咲夜さん?」
「あら、殺すつもりだもの、死んでもらわなきゃ困るわ」
さも当然といった笑顔で返されてしまう。
大方そうだろうとは思ってはいたが、それでもこの展開には溜め息が漏れてしまう。

「見逃してくれればうれしいんですけど」
「そう聞かれたら、貴方なら見逃すの?」
「んー……フンじばって力づくで口を割らせますかね?」
「さらりと怖いこと言うわね」
「迷わず人のこと殺そうとする人には言われたかぁないですよ。
 んで? どうします、見逃してくれるんですか」
「人にモノ頼む態度じゃないわねぇ。うーん、どうしようかしら」

悩んでいる……振りだ。
口調こそ呑気だが、手元はいつでもナイフを投げつけられるよう張りつめた雰囲気が漂っている。
実際シンも見逃してもらえるとは思っていない、言葉遊びでも何でもして咲夜の気を逸らしたかっただけだ。

ちらりと、扉のすぐそばにある花瓶に視線を向ける。
手が届くまであと2歩といったところ。もう少し距離を稼ぎたい。
何か気を逸らせるものは無いかと考えを巡らせるが思いつかない。
謎の早口言葉でも言ってやろうかと口を開こうとしたところで。

「ところで、あの白黒のことだけれど」
「きゃりぶ、白黒? 魔理沙のことですか?」
「ええ、そうだけど……何言いかけたの、そっちの方が気になるんだけど」
「あーいや、気にしないでください、知り合いのモノマネしようとしただけですから」
「気になる………」
「気にしないで。んで、魔理沙がどうかしましたか」

気になる気になると呟いていた咲夜だが、シンが言うそぶりを見せないことで諦めたのか息を一つついた。
視線はシンから外さず、いつでもナイフを投げつけられるよう警戒したまま不満で尖らせていた口を開く。

「しょうがないわね、でも後で聞かせてもらうから。それで、あの白黒だけど……あなた、あの子を連れだそうとしてるのかしら」
「ん、まあそうですけど。ほっとくわけにはいかないでしょうが、あんたがたに殺される可能性は十分ある」
「あら、いいの? そんなこと聞いたら人質にとる、なんて手段もやぶさかじゃないんだけど」
まあとらないけどね。口に出さずに咲夜はただ鼻を鳴らした。

少なくとも人質などという行為、完璧で瀟洒を基とする彼女にとっては屈辱ですらある。
人質という行為はそんなことに頼らなければ敵を排除できないといっているようなものだ。
そんなものプライドが許せないし、何より主人であるレミリアに顔向けができないのだ。
だが、そんな咲夜の思惑など当然シンが知る由もなく。

「――――へぇ」

表情はほとんど変化がない。だが、対峙している咲夜には確かに伝わる。
一瞬、だがはっきりとシンが覗かせた剣呑さ。
ナイフを握っている手の平がじっとりと汗で滲むのが感じる。
妙に気のないシンに焦れ、発破をかけるつもりで人質云々を持ち出したがこれは。

(効きすぎたかしらね、ちょっと不味いような)
「別に」
ぽつりと呟いた言葉に、咲夜は訝しげに眉を寄せる。
唐突過ぎて何を言わんとしているのかが掴めない。
その一瞬の困惑の隙をついて一歩、花瓶に近寄る。

「構わないんじゃないですかね? 有効ですもんね、人質。とれるんなら、ですけど」
「っ、あら、とれないとでも思っているのかしら?」
「ええ、そう思ってますよ? ていうか、俺相手に人質をとれるなんて思われるのは心外ですよ」
「何よそれ、すごい自信ね」
「んー、別に自信とかじゃないですよ、ただの事実です。そう易々とはとらせませんよ」

先ほどまでは確かに自分が主導権を握っていたのだ、なのに、今は。
咲夜の言った人質という言葉がスイッチだったかのように一切動じることのないシンに呑まれていく。
それは咲夜も分かってはいるが、流れを自分の方に戻せない。

自分が何をするのか、ではなく、相手が何をするのかを思考してしまう。
能動ではなく受動。
敵を仕留める際に最もしてはならない思考だ。
常に主導権を握り、決定権は相手に渡さない。それが一番のベストだというのに。

(どうする?)
自身の能力―――時間を操る程度の能力を使うか否か。
逡巡の合間にもまた一歩花瓶に寄る。気づいてはいるが、それを指摘するつもりはなかった。
そんなことをしたら、まるで目の前のこの男を恐れているような気がしてくる。
実際に恐れるに足る存在かどうかではない、自身が恐れているという事実が存在することが何よりも厄介。
精神は簡単に肉体に伝染する、敵を仕留めるということにおいては自身の恐怖心こそが最大の敵となり得るのだ。
………もっとも、こと「生存」ならばなによりも強い武器にもなり得るのだが。

「んで?」
唐突にかけられた言葉に、内心で舌打ちをしながらも表情を崩すことなくシンを見据える。

「うん、何かしら?」
「いやだから、人質。結局とるんですか、とらないんですか?」
その瞳に負けることなくシンも咲夜を見返す。レミリアと同じ紅い目に咲夜は思わず意識をシンの瞳に吸い寄せてしまい、僅かながら緊張を緩ませてしまう。

ほんの僅かな瞬間、だが集中した意識はその緩みを見逃さない。
シンは花瓶に向けて最後の一歩を踏み。

花瓶を咲夜に向けて投げつけた。

「ッ!?」
宙を舞う花瓶に向けて瞬間的に三本のナイフを投げつけ時間を停止させることなく迎撃。
だがそれはシンも読んでいたのだろう、花瓶を投げつけると同時に咲夜に向かって駆け出す。
もう一歩で手がかかる、その瞬間に咲夜は時間を操る程度の能力により時間を停止させる。
ぴたり、と完全に慣性の法則を無視し停止するシン。
あともう少し時間を止めるのが遅かったら身体を掴まれていただろう、そうなると能力を使っても振りほどくのは困難だった。
迷うことなく咲夜はシンから距離をとることを選ぶ。
集中することも無く突発的に時間を停止させたため、止めていられるのは精々二秒程度。
ナイフを当てて絶命させたところで体当たりの勢いは止まらない。
そのままもつれ合い、打ち所が悪ければ妖怪ではなくただの人間の咲夜では危険である。
花瓶に投げつけたナイフを回収し終わり、シンから一気に距離を開けると同時に再び時は動き出す。

「―――うおあッ!?」
咲夜に掴みかかるつもりだったがその咲夜がすでにいないためにもんどりうって地面に転がってしまう。
即座に体勢を立て直し注意深く周囲を見渡す。
咲夜は―――目測で5メートルは離れた場所に立っている。両手にはいつ補充したのかナイフを持ったままだ。

「女性に向かって花瓶投げつけるなんて、失礼じゃないかしら?」
「ナイフ投げるよりかは失礼じゃないと思いますけど」
あらそう、と嘯く咲夜を視界に入れつつ壁に背中をつける。

現状シンにとっては咲夜が目にも止まらないスピードで行動した、という推測だけしかない。
だけしかないが、それならせめて背中を見せることだけは避けたかった。
少なくともこれなら視界外からの投擲は防げるはずだ。

(ビームライフルで……いや、撃ち落とせるとも思えないな、合間を縫って当てていく。後はフラッシュエッジと盾で捌くか)
右手にフラッシュエッジを、左手にビームライフルと実体盾を。三つまとめて宣言を行い実体化させる。CIWSは使わない、ナイフのような小さな標的にはCIWSでは迎撃しづらい。
アロンダイトと長距離砲は論外だ、どちらも―――特にアロンダイトは―――精密射撃に弱すぎる。振るか撃つかの直後の隙に合わせてナイフを投げつけられるのが目に見えている。
(兵装はこれでいい。後は俺次第、か)

息を吸い、吐く。吐ききった瞬間にナイフが飛んできた。
右手をまっすぐ上に振り上げて迎撃、直後に振り下ろし二本目も切り払う。
別段、飛来するナイフが見えたわけではない。
ただ、息を吐ききった直後の攻撃は定石だ、防いだと思わせての二段構えもまた定石。
それならば読める。
戦いには定石というものが存在するのだ、奇策も常道もすべからくその定石に沿って行われる。
即ち、相手の隙をつく、弱い個所を責める。
なら、自分の隙を把握すればいい。自分の弱い個所を理解していればいい。
それでこれまで渡り合ってきた。

反応の速さも、目の良さもザフトの平均的なコーディネイターに劣る以上は創意工夫を凝らすしかない。
反応の速さは経験で。目の良さは努力で。
補い誤魔化し工夫し続けてエースになったのだ、アスランやキラにあっけなく敗北したのは若さによる動揺と慢心故に、だ。
自分の戦いができていれば勝てはせずとも真っ当に渡り合うことだってできる。
できるだけのことはやってきたのだ、若さが――16歳のあのときに比べれば――抜けた以上油断は無い。

後は、目の前のメイド少女が自分を上回る相手かどうかだけ。
王道と言えるような強さがあるわけではない。
外道と言えるほどの強さがあるわけでもない。あるのはただ努力と経験だけ。
だが、それでも―――或いは、それ故に。シン・アスカはコズミック・イラにおいてガイ・ムラクモ―――高齢による衰えも多分にあるが―――と並ぶ戦士と呼ばれている。

ちらりと廊下に目を走らせる。その動作に合わせて咲夜がナイフを構えるのが見えた。
フェイントのダッキング、直後に右に跳ぶ。
僅かに遅れて自分が立っていた場所の壁にナイフが三本突き刺さる。
完全に避けきれなかったのか、左の頬がぱっくりと裂け血が流れ出す。
だがそんなことに一々構っていられない。迷わず廊下に向かって駆け出す。

シンの全力疾走は100mを11秒台、その程度の速度では簡単に追いつかれてしまう。
だから空を飛ぶ力も同時に加える。疲労がほとんどない飛び方はまだ身に着ききっておらず、飛ぶときは疲れる飛び方しかできない。
しかしそれは空を飛ぶ、つまり三次元的にベクトルを加算する場合だ。
地上を走る、二元的なベクトルの加算ならば十分に可能だ。
MSが大地を走る際は各部バーニアを前方且つ地面から浮き上がらないよう斜め下に向けて吹かす。
同じ要領で空を飛ぶ力を加えながら走った場合、速度は大まかながら100mを6秒足らずで走りきることができる。

後ろを振り返ると咲夜が空中を飛びながら追ってきているのが見えた。
即座に振り向いてビームライフルを三連射。
あっけなく避けられる、が、問題は無い。碌に照準も合わせていないのだ、シンも当たるとは思っていない。
それよりも、咲夜が避けることでできた隙をついてさらに廊下を疾走する。

トン、トンと背後でナイフが床に刺さる音が聞こえる。
その音が5回聞こえた時点で右足に力を込めて進路を右にずらす。
先ほどに比べて前方にナイフが突き刺さったのが見えた、そのまま今度は左に。
ナイフはやはりシンに刺さることなく床へと吸い込まれるように刺さっていく。
咲夜が苛立たしげに舌を打つ音が聞こえた、今度はもう一度右へ―――行かない、そのまま真っ直ぐ。
服を掠めてナイフが飛来、しかし当たりはしない。
3歩走ったところで振り向きざまにフラッシュエッジを振る。
予想通り、ばら撒く形で投げてきていた。進路を変えても一本は当たっていただろう。
振り向いたことで速度が落ちる、そこをついてすでに咲夜はナイフを3本まとめて投げていたのだが。

「防ぐッ!」
実体盾に弾かれる。
しっかりと真芯で防ぐことで衝撃は最小限、よろめくことも無く再び廊下を駆け抜けていく。
ナイフが当たらないことに焦れたのか、それとも純粋に疑問なのか、咲夜が声をかけてきた。

「貴方、ずいぶん避けるのね。心でも読めるのかしら?」
「実は後ろに目がついてる!」
「真面目に答えなさいよ!」

別に答えてもいいのだが―――答えを聞いて行動を読まれないようにするあまりペースを崩し、格好の隙を作る間抜けもいた―――念には念を入れておく。

逆にこちらも聞き返し、できるだけ相手のペースを乱すのが得策か。
「そういうアンタこそ真面目なんですかね、俺には手を抜いてるように見えるんですけど!?」
「あら、どの辺りがそう見えるのかしら?」
「じゃあ動きにくそうな理由を言って下さいよ!」
「気のせいよ!」
「そう見えるんだ!」

実際、身体を捩じらせたとき息が詰まったり逆に身体を伸ばした時に眉をしかめたり妙に窮屈そうではある。
ではあるのだが、その変化は微か過ぎてよっぽどまじまじと観察しないと分からないだろう。
大して咲夜を見ていないシンがなぜ動きにくそうと感じたのか。
それがシン本人にも分からない。ただなんとなくそう感じているだけ。
余計なことを考えている間にもナイフを投げつけられる。
当たりこそはしないが、いつまで集中力と体力が持つかも分からない。

幸いなことに少しづつ廊下の家具に見覚えがあるものが増えてきた。
記憶をたどると、次の角を曲がった部屋が自分や魔理沙たちがいた部屋だったはずだ。
では、どう曲がるか。
三角飛び―――は流石に無理。速度こそほとんど落ちないが確実に成功できるとも言えず失敗したときのリスクも高い。
ならば。

(速度を落とす、か)

今の速度―――時速にして60㎞近い―――では曲がりきれないのなら速度を落とせばいい。
単純明快な話である。
話ではある、が。
(速度を落とす、ねぇ?)
この投擲技術の前で。もう一度振り向いてフラッシュエッジを振るう。
叩き落とせたのは2本、1本を盾で防ぐ。―――と、その隙をつかれさらにもう1本飛来。
思い切り脚に力を込めて前進し、ナイフは地面に突き立つ。

どんどん狙いが正確になっていく。
今でこそなんとか捌き切れているが、直にしのぎ切れなくなるだろう。
速度を落とした瞬間にはどれだけのナイフが襲うのか。
しかし、だからといって速度を落とさずに曲がりきることも困難。僅かに逡巡、そして。

(曲がる直前に落として、そのまま曲がりきるしかないか。狙われるんだとしたら……落とした瞬間か、曲がった直後だろうな)
その辺りが妥当だろう、逆に言えばそこを乗り切ればそのまま逃げ切ることも可能になってくる。

―――曲がり角が見えてきた。腹をくくり、後ろを振り向く。
自然、後ろ走りとなり速度も落ちてしまう。咲夜と視線が合い、
「はッ」
鼻で笑われた。………分かっている、確かに後ろ走りをしている今の姿は滑稽だということは。
泣いてなどいない、泣いてなどいない。そんな暇もない。

(コンチクショー!)
心で泣きながらも、飛来するナイフを正確に切り払っていく。
二度、三度と切り払ううちに速度が段々と落ちてくる。
やがて曲がり角に達したときには十分に曲がりきれる速度まで落ち込んだ。

(曲がれる、けど?)
曲がった瞬間が勝負、そうシンは感じていた。先ほどから咲夜の投擲は妙にヌルいものとなっていた、だとしたら間違いなくこの曲がる瞬間に全てを注ぎこむ算段なのだろう。
咲夜から視線を外し廊下の先を見る、そこにあったものを見、顔面が強張る。

ナイフの壁。そう呼ぶに相応しいだけのナイフの数。
十や二十ではない、確実に百を超える大量のナイフがあった。
そんな大量のナイフがぴたりと宙に静止している。咲夜の愉しそうな声が聞こえた。
「さ、貴方は心を読もうと後ろに目を持ってようと私の行動を予測しようとも、物理的に避けられない攻撃にはどうするのかしら?」

迷いは一瞬、床を蹴ってそのナイフに向かい駆ける。
止まったところで解決策が思いつくわけでもなし、そのまま狙い撃たれるのが目に見えている。
それぐらいならばあのナイフを捌ききる方が目があるというもの。
つ、と咲夜が腕を上げたのが視界の端に映る。その腕が下ろされるのと、シンが光波盾ソリドゥス・フルゴールを両腕に展開させるのはほぼ同時だった。
動き出すナイフの壁。
全身を覆えるよう出力を調整した両腕のソリドゥス・フルゴールを構え、飛来したナイフが次々に光の波に押し出されながら蒸発していく。
まるでそびえたつ壁のようだった大量のナイフはシンの身体に突き立つこともなく地面に刺さり消えていく。
最後に一本、咲夜が投げつけた時にはもうシンは駆けだした後だった。

全て防ぎきった、だがその喜びはシンにはない。
表情は苦虫を噛み潰したように歪んでいる。
(使わされたっ!)
あるのはただ、しくじったという後悔と焦燥だけ。

元々ソリドゥス・フルゴールを使う予定は無かった。
できる限り手の内は隠す、一々あれもこれもとさらけ出していたら簡単に対策を練られてしまう。
分かっていたはずなのに、使ってしまった。
本当にソリドゥス・フルゴールを使うしかなかったのか、冷静に思い返せばCIWSとビームライフルを併用すればある程度撃ち落としてから盾で防げたのではないか、いやフラッシュエッジも使えばもっと確実に―――
(くそうっ)
どうして自分はこうも弱いのか。何故臆して安全に逃げてしまったのか。後がどんどん苦しくなるだけだと考えなくても分かることなのに。
今までに会ってきた戦士たちのように勇敢であろうとしているのに、実際はこうだ。
少し追い込まれただけであっけなくメッキが剥がれて、馬鹿な判断ミスをしてしまう。

そんな自分が情けなくて悔しくてみっともなくて脛に何か当たって
(って脛?)
不思議に思うのと同時に視界がぐるりと回って。


奇声を上げながらすっ飛んでいくシンを見ながら咲夜は溜め息をついた。
視線の先には先ほど時間を止めてナイフを大量に配置したとき、一緒に仕掛けておいた廊下に張らせた一本の紐。
「念のため紐張っといて正解だったわね」
まあここまで派手に引っかかるとは思わなかったけど。そう頷きながらひとりごちる。

シンに防がれたナイフを全て拾い集め、肩をトントンと叩いてからもう一度息をつく。
正直あそこまで凌がれるとは思わなかった。油断していたわけではない、わけではないが。
ぺたり、と。真っ平らと言ってもいい胸に手をあてる。
「なりふりは構っていられない、か」



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最終更新:2010年06月11日 21:44
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