<ホワイトデー>
――3月某日、シン・アスカは事務所のデスクで頭を抱えていた。
「う~ん……」
「シン君? 朝からずっと悩んでるみたいだけど、どうかしたの?」
「あ……いやその、なんでもないです」
慌てて姿勢を正して仕事を再開し始めたが、すぐにまた悩み始める。
さっきからこの繰り返しだ。
それを仕事が終わりかけた頃まで傍で見ていた小鳥は小さくため息をつきながら席を外す。
ややあって、湯気が立ち昇るマグカップを両手に持って戻ってきた。
「はい」
「あ、すいません。いただきます」
「いいのよ、お礼は悩みを聞かせてもらうだけでいいから」
カップを受け取ったシンの動きが止まる。
困り果てた顔になったシンに小鳥はにっこりと微笑みながら諭すように語りかける。
「そうやって抱え込んでると、頭の中でずっとぐるぐる回り続けるわよ?」
これが決定打となったのか、シンは諦めたように重い息を吐いてコーヒーを一口すすった。
「……ホワイトデー、何を返したらいいかって考えてたんです」
「ホワイトデー?」
はて、と頬に指を当てて考え込んだ小鳥だったが、すぐにピンときたようだ。
「あぁ、バレンタインデーのお返しね!」
「はい。まぁ義理チョコだったりケミカルウェポンだったりでしたけど、やっぱりちゃんと返さないとって思って」
「なるほどね、それでシン君は何をあげるつもりなの?」
「……それを悩んでるんじゃないですか」
「あっ、ごめんなさい! つい……」
「まぁさっさと決められない俺が悪いんですけどね」
どこか頬こけたような顔になったシンの顔が上がる。
目の下にうっすらと隅までできていた。
「無難にキャンディとかマシュマロとかにしたら?」
「それは思いついたんですけど……
なんか、食べてしまったらそれでおしまいって感じがして」
わずかに眉根を寄せながらシンは呻くように呟く。
バレンタインと違い、ホワイトデーは日本独自の習慣である。
それ故にシンはその存在そのものも知らなかったのだが、今になってそれが重くのしかかってきた。
「っていうか、小鳥さんが三倍返しなんてプレッシャーかけてきたんじゃないですか」
「えっ? そ、そうだったかしら?」
「おかげでこっちはもう三日くらい寝てないし……」
はぁ、とため息を吐いてシンはまたデスクの上に突っ伏した。
「これならフリーダムとサシでやり合う方がまだマシだ」
などという言葉が出てくるあたり相当な難題らしい。
「でも、そんなに悩むことかしら?」
「決めあぐねてる、っていうのがホントのとこかもしれないです。
そこらで売ってるようなお菓子でもみんな喜んで受け取ってくれるっていうのくらいは想像できるし……」
だが、逆に「それでいいのか?」という考えが浮かんでくる。
それは彼女たちの厚意に甘えてしまっているだけになるのではないか、と。
「……そこまで考えてるなら、それでいいんじゃないかしら?」
「えっ……?」
「三倍返しっていうのは、何も値段に限った話じゃないっていうこと。
頼りない保証かもしれないけど、今のシン君を見る限りは十分に満たしてると思うわ」
小鳥の言葉を受けてシンは黙り込む。
わずかな安堵と、振り切ることのできない躊躇い、そんな感情が入り混じった表情だった。
「とりあえず、早く仕事を終わらせましょう」
「……はい」
もうすぐ日が暮れる。
それまでに済ませなければならない書類の山を見て再度ため息をつき、シンはのろのろとペンを走らせた。
事務所からアパートへと戻り、シンは簡素なベッドの上に身を投げ出していた。
結局、何をプレゼントすればいいのかを決めることはできなかった。
誰かの
誕生日ならばここまで思い悩むこともなかったのだろうが、今回の場合は全員分のものを考えなければならないのだ。
「それでいい、って言われてもなぁ」
目の前に置かれたキャンディの詰まった袋を眺めながらシンは呟く。
帰り際に寄った店で人数分買ったのだが、それでもまだ納得できないようだった。
……そう、問題はシン自身がそのプレゼントを渡すことに妥協できないことなのだ。
バレンタインに貰ったチョコレート、どんなものであれそれはこの世界でシン・アスカという人間が受け入れてくれる人たちがいるということの証拠なのだと教えられた。
――それなら、そのお返しを適当なもので済ませてしまうなんてできないよな……
とはいえ、いくら考えてもいいものが浮かばないのが現状である。
まして自然と仕事が多くなる春先、アイドルたちは当然だがそのサポートに回るシンの仕事も増えてくるだろう。
ホワイトデーのプレゼントのために彼女たちに迷惑をかけてしまっては元も子もなくなってしまう。
「何かないかな……ん?」
ふと、テーブルの上に並べられたものがシンの視界に入ってきた。
シンが元いた世界――コズミック・イラにいた頃から持っていたもの。
マユの形見となった携帯電話、ステラから貰った貝殻、
――そして、
「あ……!」
ふと舞い降りてきた閃きにシンは思わず『それ』を手に取った。両手の指先で隅々まで形を確かめ、自分の
思いつきが可能か不可能かを頭の中でシミュレートしていく。
――いけるか?
材料に難がありそうではあったが、作ること自体は可能であると判断した。
時間がかかることが問題ではあったが、それほど困難な作業でもない。
「――よし!」
ベッドから跳ね起きたシンはハンガーにかかった上着を羽織り、材料の調達に向かった。
「千早ちゃん、お疲れ様!」
「春香もお疲れ様。今日は忙しかったわね」
仕事を終え、途中で偶然に合流した春香と千早はお互いを労いながら事務所へ入っていった。
「ホントたいへんだったよ~。控え室前でプレゼントを貰っちゃって」
「春香も? こっちでもそうだったわ」
――3月14日。
それはアイドルである春香たちにとっても無関係な日ではなかった。
今日もホワイトデー特別企画という名目でイベントが開かれ、765プロダクション所属である春香たちはそれぞれの場所へと出向いていったのだ。
「うぅ……今日はもう帰りたいなぁ」
「駄目よ、ちゃんと報告をしてからでないと。プロデューサーが困るでしょう?」
うっ、と春香が呻く。
片道2時間の電車で遠距離通勤している身であってもプロデューサーの名前を出されると文句が引っ込んでしまうあたり、春香の恋慕も相当なものである。
「お、二人ともお疲れ……って、大丈夫か春香? すごい沈んでるけど」
「う~……」
「シンもお疲れ様。今日はサポート大変だったでしょう?」
「プロデューサーほどじゃないさ。一日中イベント会場かけずりまわってたわけだし」
もっともスケジュール管理不足といういつものパターンであったので自業自得ではあるのだが。
「あぁ、そうだ。二人ともこれ」
そう言って、シンは二人に小さな袋を二つずつ差し出した。
「え? これって……」
「バレンタインのお返し。ほら、今日はホワイトデーだし」
春香と千早は驚いた表情で互いに顔を見合わせた。
まさかシンからプレゼントが返ってくるとは思わなかったようだ。
「ありがとう。ここで開けてもいい?」
あぁ、とシンが返事をした時にはすでに春香の手によって封が開けられていた。
「わぁ、キャンディだ! 結構いいところの買ったんだね」
「そうなのか? よく知らないけど」
「もうひとつのこれは……バッジ?」
千早の細い指に摘まれて袋の中から現れたのは、手のひらより少し小さな銀色のバッジだった。
――三日月と羽が合わさったような形、知っている者が見ればそれがザフト特務隊に証であるFAITHの徽章であると一目で気付いただろう。
「バッジでも髪飾りでも使えるようにしたから、迷惑じゃなかったら使ってくれ」
「えっ? これシン君が作ったの!?」
そう、この徽章はシンが自身の持っていたものを基に複製したものなのだ。
木片を削り出し、丁寧に塗装されたそれはパッと見ではオリジナルと区別がつかないほどに精巧なものだった。
「……すごいわね、これ。今日まで仕事をしながらこれを?」
「あ~、まぁ、そんな感じ」
どこか恥ずかしそうにシンは千早から視線を外し、
「悪い、他にも渡さなきゃいけないからもう行くよ」
逃げるように立ち去っていった。
「あらら、行っちゃった……千早ちゃん?」
遠ざかっていくシンの背中を見送って千早に視線を移した春香だったが、その先にはじっと徽章を見つめていた。
しばらくして、少しだけ嬉しそうな顔でぎゅっとそれを抱きしめた。
「千早ちゃ~ん?」
「えっ? あ、こ、これは違うのよ春香! その、なんというか、こう……」
しどろもどろになって弁解を始める千早を、春香はただただニヤニヤと見つめていた。
「おや? 小鳥くん、それは何かな?」
「あ、社長。お疲れ様です。これですか?」
そう言って、小鳥は襟元につけた徽章を外す。シンが作った、あの徽章だった。
「ホワイトデーのお返しです、ってシン君から貰っちゃいました。見てみます?」
「ふむ、では遠慮なく……ほう、これは手作りか」
近づいてよく見てみれば、やはり多少の粗があった。
しかし逆に考えれば、たった一人で作ったにも関わらずこれほどのものを仕上げたのだ。
「みんなに作ってあげたみたいです。チョコを貰ってない美希ちゃんの分まで用意していたのは驚きましたけど」
「これも彼なりの感謝の気持ち、ということか」
目線の高さに徽章を掲げ、どこか感慨深く社長は呟いた。
「しかし中々に良い出来だな。これは何のマークかな?」
「あ、それ私も気になったんで聞いたんです。えっと、たしか……」
顎に人差し指を当ててわずかに記憶を辿り、思い当たったのかピンと指を弾いた。
「『フェイス(信頼)の証』、らしいですよ」
最終更新:2010年06月15日 21:43