「じゃあ、あなた達もここまで流されたんですか?」
「うん、まあね……まあ、キミ達も流されてたってのは意外だったけど」
アティが尋ねると、ソノラは力なく頷いた。
先ほどと同じ林の中である。とはいえ多少歩いたところで景色が変わるわけでもなかろうが。
シンは図らずも合流したアティとベルフラウに事の次第を語った訳だが……それ以前に、彼女たちとソノラには面識があった。
それも、船を襲った海賊と、襲われた客船の乗客――加害者と被害者という、最悪の形で。
「意外も何も……元々、悪いのはそちらでしょう? 自業自得よ!」
「……ぶーぶー……」
ベルフラウの物言いにソノラはむっとしたが、流石に罪の意識があってか反論はしなかった。
「それで、どうするんだよ?」
このままでは話の停滞を招きかねない。そう判断して、シンはアティに尋ねる。
アティはうーん、と頬に手を当てて唸ってから、
「あの……船、あるんですよね?」
「……うん」
彼女が何を言わんとしているのか。測りかねて、ソノラが曖昧に頷く。
「ひょっとして……船に乗せてもらえたり、します?」
「ちょ、ちょっと!?」
突然の提案に、ベルフラウが感情的に反応する。アティはそれを軽く手で制すると、ソノラの言葉を待った。
ソノラは困ったようにシンとアティの顔を見比べていたが……やがて諦念を含んだ声で、
「……まあ、シンは命の恩人だしね。分かった、兄貴に頼んでみる」
「信用できますの?」
ベルフラウが疑念に満ちた声を挟むと、ソノラはきっと彼女を睨み据えた。その迫力に負けてか、ベルフラウが一歩後退る。
「あのね。そりゃ、確かにあたしたちはならず者だけど、恩義を反故にするほど腐っちゃいないの。それにカイル一家には〝受けた恩は絶対に返せ〟って先代の教えがあるんだかんね!」
納得したわけではなかろうが……ベルフラウが口を噤む。
フォローする気にもなれず、シンはアティに視線を向ける。
「……あんたはどうするんだ?」
「え? 船に乗せてもらえるなら是非……」
「そうじゃなくて」
軽い頭痛を覚えて、シンは呻いた。薄々感付いてはいたが……どうにも彼女、ズレている部分がある。
「あんたは、ソノラを信用できるのか?」
「シン!?」
背後から不快そうなソノラの声が響くが、シンはそれを決然と無視した。アティから視線を外さないまま、答えを待つ。
「はい。駄目ですか?」
あっさりと――まったく瞳を揺らさずに、アティは即答してきた。
「海賊なんだぞ? それに、あんたは被害者だろ」
「確かにそうですけど……ちゃんと話もできる人みたいですし。だったら、私としては信じたいです」
(信じたい……か)
皮肉のつもりではなかったが、胸中での呟きには多分に皮肉の色があった。
信じることは個人の勝手に過ぎない――その信用に応える義務は相手にはない。殊に、利害が一致していない場合は。相手を信じることにも責任は必要だ。
ステラの一件で、シンはそれを痛い程に思い知った。あの時信じたのは、彼女が慕っていた上官だった……
苦い思い出を噛み潰して、シンはソノラに向き直った。
「ごめん、ソノラ。別に疑うわけじゃなかったんだけど」
「……分かってる。あたしも、信用されないまま一緒に行くのはヤだからね」
存外に軽く割り切ってソノラが頷いた。むくれているベルフラウが気がかりといえば気がかりだったが――告げる。
「行こう。案内してくれ」
「ちょっと」
引かれた腕に、シンは背後を振り返った。小声な上、アティとソノラはシンよりも先行しているために気付かなかったのだろう。
予想はしていたが、そこにはベルフラウの不機嫌な顔がある。
「何だよ」
「本当に大丈夫ですの?」
大丈夫、とはソノラのことだろう――ベルフラウが未だに不信感を持っていることには気付いていた。
シンは顎で前方のアティを示し、
「どうして俺に聞くんだ? あの人に聞けばいいだろ」
「それは……」
彼女は言い淀んでから、もごもごと後を続けてきた。
「あの人に聞いたところで、答えなんて分かり切っているもの」
「……まあ、そうかもしれないけど」
そもそも、アティには先ほどシンが尋ねたばかりである。彼女は、相手が誰だろうと態度や意見を変えることはしないだろう。その確信がある。
もっとも……だからといってシンにそれを尋ねるのは筋違いと言えたが。
(要は八つ当たりだろ)
内心でぼやく。
仕方ないことなのかもしれない。大人ぶってはいるが、ベルフラウはまだ年端もいかない子供なのだから。
見知らぬ地で、頼れるのは出会ったばかりの家庭教師と海賊、そして得体の知れない放浪者。こんな状況では八つ当たりをするな、という方が無理というものだ。
それは理解していた。理屈ではどうしようもなく理解していた。だが、感情がささくれ立つのを感じる。
はっきり言って、現状のシンも似たような状況だ。いや、帰る方法さえ検討もつかないのだからむしろ彼女よりも悪い。彼女を気遣ってやれるような余裕などない。
「他に帰る方法があるなら、別に信用しなくてもいいのかもしれないけどな」
「……何よ、それ。嫌味?」
「別に。本当のことだろ」
もう少し穏やかな言い様もあったのではないか。理性がそう告げてくるが、苛立ちはそのまま口から滑り出た。
「自分でどうすることもできないなら、少し黙ってろよ」
「っ……!」
引き攣った音が、ベルフラウの喉から漏れる。
失言だった――胸中で舌打ちする。しかし、それを口に出して認める気も起きなかった。
何も言えずにいると、ベルフラウが勢いよく鼻を鳴らした。そのまま、シンを追い抜くように歩き出す。その後ろを、オニビが慌てて付いて行った。
しばらく、そんな彼女の背中を見て――
シンは嘆息して歩き出した。ベルフラウを追い抜かないように、わざと歩幅を小さくして。
天気は悪くなかった。気温も適当ではあったし、湿気も多すぎるということはない。
それでも二十分も歩き続ければ、延々と木々が続く風景にも飽きてくる――だからかどうかは知らないが、林を抜けてさえしまえば景色は一変した。
岩場である。ごつごつとした岩が段差状に並び、徐々に下っていくという構造らしい。
「ここを下れば、すぐ船だよ」
先頭を行くソノラが、道の先を示して告げる。視界の隅で、ベルフラウがほっと胸を撫で下ろすのが見えた。感情はどうあれ、野宿をせずに済むということには安心したらしい。
と――シンの視線に気付いたらしく、さっと表情を険しくする。
(……嫌われたかな)
当然と言えば当然の結果ではあるが、納得のいくものではない。
軽く嘆息して、視線を外す。
あの年頃の少女というのは扱いが難しかった。下手に過保護にすれば怒るし、突き放しても怒る。
妹を思い出して、シンはやや憂鬱な気分になった。分かっていたことだが、予想以上に余裕がない。
「難しいですよねぇ」
ぎょっとして、シンは横を向いた。すぐ近くを、アティが歩いている。彼女は顔に似つかわしくない険しい表情で、何事かを唸っていた。
心を読まれたわけではない。そもそもそんな発想自体が馬鹿馬鹿しいのだが、なぜか確認をしたくなる。
「何が?」
「あ、いえ……あの年頃の子って難しいなぁ、って……」
苦笑する。何のことはない――同じことを考えていただけなのだから。
「少しは教師らしくしたいんですけど……私って、あんまり先生らしくないですかねぇ、やっぱり……」
「えっと……」
言葉に詰まる。アティが教師らしいか、と聞かれれば……きっぱりとノーだった。歳の割に童顔だということをさておいても、雰囲気が大人のそれではない。
童女がそのまま大人になった。そんな表現がしっくりくる。実際、年下のシンからしてみても年上という印象がない。
慎重に言葉を選んでから、シンは言った。
「……ノーコメントで……」
「うう……」
アティががっくりと肩を落とす。フォローの言葉を考えている内に、シンはある疑問を抱いた。
「そもそもあんた、元々教師なんじゃないのか?」
アティの言い様は、職業教師とはとても思えない。せいぜい新任教師か……もしくは元が素人かだ。
はたと気付いたように、アティが顔を上げる。
「あれ? 言ってませんでしたっけ?」
「聞いてない。というより何を?」
「私、元々は帝国軍人だったんですよ。色々あって辞めちゃいましたけど……」
「軍人ん?」
眉を跳ね上げる。あまりの意外さに、声までやや裏返った。慌てて口元を押さえるが、遅かった。アティが半眼でこちらを見ている。
「……信じてませんね?」
「い、いや……そんなことは……」
視線が泳ぐ。実際、アティの言う通りなのだが。軍人とは戦士であり、殺人者であり、時には虐殺者にもなりうる。無論平時であればそんなことはないが……それでも、アティのイメージがそぐわないことに違いはない。
教師か軍人かと聞かれれば、紛れもなく彼女のイメージは前者だろう。平和な農村で暮らしているのが似合い、といった風情がある。
「いや、まあ……自分でも向いてないなぁって思ってたんですけど」
「……なら、何で軍人になったんだ?」
それは、場合によっては不躾な質問だったかもしれない。が、アティの様子に変化はなかった。
「私、元々医療の勉強がしたかったんですよ。でも帝国だと先進技術はほとんど軍部に伝わっていましたから……」
「へえ」
気のない返事を返して、シンは前方に視線を戻した。
話している内に歩調を緩めていたのか、ソノラとベルフラウの姿は斜面に消えかけている。
「そういえば」
ふと。アティが何の気もなさそうに、呟いた。
「シン君って、魚屋さんか何かなんですか?」
ごん――
という鈍い音は、シンが地面とのファースト・キスを果たした音である。
「だ、大丈夫ですか? 何もないところで転びましたけど……」
「あのなぁ……」
ぎぎぎ、と身体を起こしながらシンは呻いた。
「いきなり魚屋か、なんて言われてコケない奴の方が珍しいだろ……」
「ああ、それもそうですね」
得心したように頷いて、アティはぽんと手を打った。シンがひとつ息を吐くと、
「じゃあ漁師さんですか?」
「なんでだっ!?」
「だって、格好がそれっぽいですし」
彼女が言っているのは、シンの来ているパイロットスーツのことだった。
確かに水には濡れない装備であるし、ボディラインにぴったりと合わせたようなデザインはウェットスーツに見えなくもない。もっとも、アティは単に『水に濡れなさそう』という印象で言っただけだろうが……
「あのな、俺は魚屋でもないし漁師でもない。これは……その」
説明に困窮していると、アティが言葉を重ねてくる。
「趣味ですか?」
「違うっ! あのな――」
思わずアティに詰め寄ろうとして――
右手に感じる奇妙な感触に、シンは硬直した。
(なんで、だ……?)
運命なのかもしれない。浮かんできた言葉を即座に否定するが、他に理由らしい理由も見付かりそうにはなかった。
要するに――シンの右手は、アティの豊満な胸をがっしりと鷲掴みにしていた。
「…………」
「…………」
しばし、阿呆のように沈黙する――
先に硬直を脱したのはアティだった。
「あ、あの……」
「ご、ごごごごごめん」
しどろもどろになりながらも、ぎこちなく手を離す。刹那――
「何やってんの?」
怜悧な声が響いた。氷よりも冷たく、夜よりも暗い……
はっとして見ると、先行したはずのふたりがいつの間にか近くにいた。ふたりとも、明らかな軽蔑をその眼差しに乗せて。
ぽつりと……それでいてはっきりと聞こえる声音で、言ってくる。
「シン、最低……」
「不潔ですわね」
「ち、違う! 今のは事故だ!」
手を大きく振って否定する。アティに助けを求めるように視線を送ると、彼女は理解したように頷いてくれる。
「そうですよ、今のは別にわざとじゃありません」
「そうだ!」
「ちょっとした出来心なんです」
「フォローになってないっ!」
怒鳴るが、誰も取り合おうとはしない。
「初めてあたしと会った時も胸触ったじゃん。あれもわざとじゃないの?」
「お前な――」
「え……ええっ!?」
なぜか驚愕の声を挟んだのはアティである。彼女はわなわなと震える指をシンに向けて、
「し、シン君……流石にそれは犯罪ですよ?」
「違う! 違うんだ!」
シンは頭を抱えて絶叫した。
絶叫して――その勢いのまま、走り出す。
「あ、ちょっと!?」
背後から、ソノラの声。だが止まらない。止まれない。
意識はこの場から逃げることを望んでいた。命令を与えられた身体は走るしかない。
涙がぽろりと零れた気がする。それが眼球が乾いたことによるものなのか、他の原因によるものかは知らない。
どちらにせよ、シンは涙を塞ぐように瞼を閉じる。
「シン、前、前ーっ!」
だからなのかもしれない。ソノラの絶叫に、反応するのが僅かに遅れた。
「え?」
間抜けな、声。それも風に紛れて消える。
シンがまず疑問に思ったのは、なぜ地面がないのだろうかということだった。岩場は続いていたというのに。
理由を知るために瞼を開いて――シンは、その理由を思い知った。
どうということはない。実に単純なことだ。
彼は、カーブになっている道を踏み外していた。当然、その先は切り立った崖である。眼下に、やたらと生い茂る木々が見える。
そこまでを一瞬で確認して。とりあえず、シンは叫んだ。
「何でだぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
叫びは無力だった。重力の法則に逆らう術も持たず、シンは軽く見ても二十メートルはある崖を転落していった。
最終更新:2008年06月17日 16:26