……彼女は悔いていた。
主を危険に晒してしまったことに。主の危機に駆け付けられなかったことに。
こんなことにならないために常に気を張り巡らしていたつもりだった。
安穏とした日々を送りながら、主が安らいだ表情を見せる度にその想いを反芻するように確かめていた。
だが、その安らぎはいつの間にか彼女にも伝わり、密かに張り詰めていた神経を弛緩させていった。
さらに突如現れた相手に動揺して……今の状況に至ってしまった。
不甲斐ないにもほどがある。自分は彼の剣であり、盾であり、道具であるはずだったのに。
――いらない。
余分な感情(モノ)などいらない。この瞬間で力尽きてしまってもいい、今一度この身を純粋な機械へと戻そう。
敵対するものをすべて薙ぎ払う機械に。
そう決意した瞬間、頭の中でガチリと何かのスイッチが入った。
そして思い出す。自分に何が出来るのか、自分は何のために存在するのか。
――破壊、排除、殲滅……
すべてはマスターを守るため。マスターの願いを叶えるため。
……今まで何故か抑え込まれていた能力を解放すると、今までの劣勢が嘘のようにあっさりと『敵』を無力化できた。
もちろん相手の油断と隙を突いた故のことではあったのだが、結果勝利を得られたのであれば何も問題はなかった。
眼下に倒れている、自分と瓜二つの『敵』に目を向ける。今は動けないようだが、致命的なダメージを与えたわけではない。すぐに復活するのは容易に予測できた。
――止めを、刺さないと。
そうだ、みんな破壊してしまわなければならない。主――シン・アスカに危害を与えるような連中はすべて……
そこまで考えて、デスティニーはハッと我に返った。
――マスターは!?
どうして今まで気にもかけなかったのか、と自分を責めながらもデスティニーはシンの姿を探す。
――いた!
両手に持ったアロンダイトを放り捨て、光の翼を広げデスティニーは主の元へ飛んだ。移動しな
がら背中のビーム砲、腰のライフル、腕の盾、肩のフラッシュエッジを次々にパージする。今は
わずかな重さでも煩わしかった。
――もっと、もっと速く……!
己を守る武器と防具のほとんどを排除し、デスティニーは祈りながらスピードを上げていった。
シャドウがナイフを振るった瞬間、シンは刃を頭上へ掲げていた。
一か八か、フェイクはないと踏んでの行動だったのだろう。
しかし実際はまるで逆、ぐるりと反転して下段からの斬撃。
――しまっ……!?
刹那の間に感じ取った死の臭い。その瞬間、シンの頭の中で何かが弾けた。
「っ!」
瞬時にシンは片足を上げ、ナイフの軌道に左足を割り込ませる。分厚いゴム製の靴底に刃が食い込み、半ばで止まった。
「――あ?」
予想外の行動にシャドウの意識が止まる。
一秒にも満たない思考の空白、そこにシンの活路があった。
ナイフと一体化した左足を引き戻す。突っ込んできた勢いもプラスしてシャドウは容易に前へと体勢を崩される。
位置の下がったその顔面に狙いを定め、シンは固く握り締めた左の拳を叩きつける。
ドガッ! という音と共にシャドウは仰け反りながら後方に吹っ飛んだ。
「やった……!」
荒い息を吐きながら、シンはようやく得た確かな手応えに思わず叫んでいた。
だが同時に、全身から冷汗が出てくるほどの戦慄も感じた。
――これでもギリギリなのかよ!?
確かにシャドウの動きには何とか付いていけた。しかしそれはかろうじてというレベル、現状を打破できるというほどのものではなかった。
「……フン、よォやくお目覚めか」
仰向けに倒れこんだシャドウが呟きながらゆっくり起き上がる。ニヤついた笑みが張り付いた顔には、いっさいの打撃痕がなかった。
「そんな、なんで!?」
「いやいや、なかなかいいパンチだったぜ? ちっとばかし痺れた」
言いながらプラプラとシャドウは左手を振る。そのジェスチャーが示す意味を悟り、シンは自身の血の気が下がったのを感じた。
「いーいカンジに盛り上がってきたじゃねェか。こっちもそろそろ本気出すか」
ゆっくりとシャドウの左手が掲げられる。その掌中に火の玉が生まれ、徐々にその大きさを増していく。
「くっ……!」
「ヒャハハハハハハ! さァ、行こうかァ!」
大きく左腕を振りかぶりながらシャドウは叫ぶ。バスケットボールサイズまで膨れ上がった火球にシンは息を呑んだ。
魔法、未だシンの常識の外側にある圧倒的な破壊力が今まさに放たれようとしていた。
その時、
「マスタァァァァァァァァァァァァァァァ!!」
呼び声に思わず顔を向けたシンの視界に、光の翼を広げた相棒の姿が飛び込んできた。
「デスティニー!」
「何ィッ!?」
シャドウもデスティニーの方へと意識が流れる。それも当然だろう、倒すまではいかずともつい先程までは黒いデスティニーが優勢だったのだ。だがデスティニーの姿を見てシャドウは胸中で驚愕の声を上げる。
――EBMだと? 時間を与えすぎたか!
EBM――エクストリームブラストモード。
デスティニーの背部ウイングユニット、10枚の翼に内蔵されたスラスターが最大稼動と同時に『光の翼』を展開。
さらにミラージュコロイドを散布し高速機動を行いながら自身の残像を投影する
ことによって相手を撹乱させるデスティニーの高速戦闘モードである。
光の翼によって通常時とは比べものにならない推力と機動性を得たデスティニーはそのまま真っ直ぐにシャドウへ突撃し、光を溢れるほどに湛えた右掌を突き出す。
今のデスティニーに残された唯一の武器――パルマフィオキーナ。
「チィッ……!」
舌打ちと共にシャドウはデスティニーに火球を放つ。ほぼ同時に突き出された小さな掌から光が飛び出した。
激突する紅蓮と蒼光。パルマフィオキーナはその名のとおり槍のごとく火球を貫き、その向こうのシャドウへと伸びる。
「――!?」
火球が砕け散ったのを目の当たりにしたシャドウは瞬時に首を横へ逸らす。 直後にこめかみを光の槍が掠めていき、マスクの一部が弾け散た。
「そッ……たれェ!!」
首を逸らすと同時に重心を右へ移動させたシャドウは、腕を突き出したまま懐に飛び込んできた
デスティニーにカウンターの上段蹴りを放つ。
主の危機へと脇目も振らず駆けつけたデスティニーがその超人的な動きに対応することができ
るはずもなく、防ぐことも叫び声すらも上げられずに弾き飛ばされた。
――デスティニー……!
反射的に叫びそうになる衝動をなんとか胸中までに抑え込み、シンは行動を始めた。
デスティニーが作り出した、千載一遇の好機を無駄にしないために。
ナイフを瞬時に腰の鞘へと納めて右手でベルトに残ったダガー2本を引き抜き、うち1本を投擲する。
左手で投げられなくもないが正確さを重視するためには傷ついていたとしても利き手で投げる必要があったからだ。
狙いはシャドウ……ではなく、シンとシャドウのおおよそではあるが中間点に存在する岩。この
天窓の洞窟が出来た頃から存在していたであろう巨大な落石だった。
「シャドウッ!」
「ッ!?」
あえて声を上げて注意を引き、右手に残った1本を投げつける。刹那の間に行われた二度の
酷使にシンの右腕が限界の悲鳴を上げた。
放たれたダガーはなんなく避けられる。デスティニーのEBMにすら反応し切ったシャドウにはただ
真っ直ぐに飛んでくるダガーなど問題にもならないだろう。それはシンにも容易に予測できた。
だが次の攻撃――あらかじめ投げられた1本目のダガーが甲高い音を立てて岩に弾かれ、シャドウの死角から襲いかかった。
同時に、シンはわずかな腕の振りで左袖から飛び出した十字架のような細身のナイフを人差し指と中指の間に挟みこむ。
「味な真似、しやがんなァ!」
音で判断したのか、ダガーの飛んできた方向へ一瞥をくれた瞬間にシャドウは右手のナイフを振るい刃を弾いた。
――まだだっ!
声なき雄叫びを上げながらシンは切っ先が地面に触れかねないほどの低空からナイフを投げた。
全力で放たれた細身の刃はシャドウの顔面へと飛燕のごとく跳ね上がりながら向かっていく。
だが、
「――ハッ」
鼻で哂うと共に、シャドウの身体が左足を軸にしてグルリと縦に回転した。
頭と位置を入れ替えた右足の踵が振り下ろされ、鮮やかすぎるほどにシンが渾身の力を込めて放ったナイフを地面に叩きつけた。
「らしくもなく小細工を仕込みまくったみてェだが、悪あがきもここまで……」
哀れみと嘲りを込めた侮蔑の言葉、だがそれがすべて口にされる前に、シンは、動いていた。
デスティニーが蹴り飛ばされてからシャドウの意識が離れるごとに徐々にではあるが間合いを
詰め、最後のナイフを投擲した直後に一気に飛び出したのだ。
すでに限界を迎えた右逆手でナイフを引き抜き、疲弊し切った左手を添える。
――あと一歩……
だが届かない。黒衣の男は舌打ちをしつつも後ろへと退こうとしていた。例え一歩でも間合いを
外されてしまえばシンのナイフがシャドウを捉えることはもう不可能だ。
この機を逃せばもうシンに後はない。
シンだけではない、状況を考えればデスティニーの命運もここまでだろう。
――また、また俺は……
異様なほどに引き伸ばされた感覚の中、シンは最悪の未来を想起する。
何も守ることが出来ず、異邦の地で得られたかすかな安らぎも失い、こんな自分にこんな場所
まで共に過ごしてきた相棒まで奪われてしまう……
――俺は、
シンの中で答えはあっさりと導かれた。道理で不可能であるのならば、無理を徹して可能にまで
押し上げてしまえばいい。
後のことなど、知ったことではない。
――俺はっ……!
「う、おおおおおおおおおおおおおっ!!」
踏み出すはずだった最後の一歩を強引に跳躍へと切り替える。瞬間的に発生した強大な負荷でシンの左足に激痛が走った。
数歩分の距離を一息に稼いだシン。眼前には焦りに唇を歪ませたシャドウ。
全身から響く悲痛な叫びをすべて押し殺し、シンは下から上へとナイフを振り上げた。
「――――ッ」
誰かの声が聞こえた気がした。
シャドウか、自分か、あるいはデスティニーか。悲鳴か、雄叫びか、断末魔の声か。
それすらもシンには分からなかった。
分かったことは……両手に感じた分厚い『何か』を断った感触。
そして、地面に倒れこむ際に歪な形のナイフを握った右腕が宙を舞っていたのが視界の端に
見えたということだけだった。
「クリス、まだなのかい!? このままじゃボウヤたちが!」
「ご、ごめんなさい……あともうちょっとなんだけど」
焦りを隠しきれず語気を荒げてしまうリサとその迫力に圧されて慌てて炎の壁を隅々まで見渡す
クリスを交互に見つめ、シーラは表情を曇らせながら轟々と燃え盛る炎を見上げる。
「シンくん、デスティニーちゃん……」
――彼の力になってほしい。
親友との約束を思い出し、ギュッと胸の前で手を握り締める。
何もできないこの状況に胸が締め付けられるような想いを抱えながら、シーラはただただ二人の
無事を祈り続けた。
「っ、う……」
呻きながらシンは立ち上がろうとしたが、右手で体重を支えようとした直後に傷口から血が噴き出し再び地面に崩れ落ちた。
苦痛に顔を歪めながらも今度は左手で慎重に上体だけを起こす。
――なんとか、動けるか……
自身の状態を確かめ、辺りを見渡すと手足を投げ出して仰向けに倒れたデスティニーの姿があった。
「デス、ティニー……」
シンは半ば這いずるようにデスティニーの傍へと近づき、小さな身体を動かさないように状態を確かめる。
目立った外傷は見当たらず、やや苦しげではあるが規則正しい呼吸を繰り返していた。
ほっと息をついてシンは顔を上げ、 呆然と、目の前に幽鬼のように立つ黒い影を見つめた。
左手にはつい先程切り離された右腕が無造作にぶら下げられ、その断面からは鮮血――では
なく、液体のような光の粒子が垂れている。
……しかし、シンはそれ以上にシャドウの顔から目を離せずにいた。
パルマフィオキーナによって半ば千切れかかっていたマスクがずれ落ち、隠れていたシャドウの素顔がさらけ出されていた。
――紅い、目……?
白髪、黒い肌、そして……真紅の瞳。
どこかで見た、しかし決して見るはずのない顔。
そんなシンの様子を気にかけることもなく、シャドウは無表情のまま右腕をくるくると回し、傷口の
断面同士をぐちゃりと合わせた。
合わせた隙間から漏れる光が徐々に減少し、やがて消える。
シャドウが左腕を離すと、まるで何事もなかったかのように右腕は繋がっていた。
調子を確かめるようにゴキゴキと間接を鳴らしていたシャドウだったが、ふとシンの方へと視線を
向け、ニヤリと口角を吊り上げて耳障りな笑い声を上げる。
……自分の顔で自分の知らない笑顔を貼り付けて狂ったように哂う男。
シンは、その異形の姿をただ見上げることしかできなかった。
最終更新:2008年07月11日 17:46