―――――誰かを憎む事なんて出来ない。ずっと、そう思っていた。
人の命は有限だ。生きていれば必ず死ぬ。それは、遅いか早いかだけの些細な違いに過ぎない。
しかしその短くも長い生涯を幸せに生きたい。誰もが心の奥底に感じている。
人間という生物は貪欲だ。幸せの時間を得る為に、人は他者から幸せを奪う。
俺は奪われて初めて実感した。幸福なんて、紙を水で溶かすように、それは呆気ないほど崩れていく。
勇ましかった父の暖かさが、優しかった母の温もりが、眩しかった妹の笑顔が。
小さな羽虫を掃うかのように、一瞬のうちに吹き飛ばされた幸福。
一つ一つの幸福が家族の血、肉片、贓物となって哀しみを浴びせる。
その凄惨な後景を目の当たりにして俺は、初めて心に闇が生まれた。
憎い。憎かった。俺の家族を友達を奪った奴らが、人間の孕む欲望というモノが。
何故、人は争うのだろうか。何故、人は奪い合うのだろうか。
答えはとても簡単―――彼らは人間であるからだ。
人々が信仰する高貴な神々でさえ争うのだ。ならば人間である以上、その心の奥底には醜悪の概念が孕んでいる。
俺の親友は言った。人間という生物は欲望という名の探究心を抑えられない。
禁断の果実の味を知るべく、貪る心を抑制せずに本能の赴くままに欲望を満たそうと行動する。
彼もまた人間の探究心が生んだ犠牲者の一人だった。
―――クローン。似て非なる命を量産し、命を愚弄した外道の技術。
しかし親友は人が進化する上での末端に過ぎなかった。最高の人間を生み出す為の過程の一つ。
人は常に進化していくのは必然だ。彼自身それを理解していた。だが、その過程に生まれた生命はどうなるだろうか。
いや、そもそも過程に生まれた存在に、生命の概念すらない。部品の一部にしか思われないのだ。
親友は自らの運命を嘲笑うが、だが同時に受け入れていた。
彼はこれ以上自分のような人間を生まない為にも、それこそ狂気に思える彼なりの平和を見出した。
デスティニープラン。遺伝子に支配された遺伝子による世界。人類最後の救済システム。
人間の全てを遺伝子によって人材の再評価、人員の再配置。
全て一度ゼロに戻し、そして生まれ出る、管理統制された世界。
そう、それはまさに狂気。それは人間としての夢を無くさせるモノだ。
争いを無くす為にはまさに劇薬に等しい計画。
当然だ。平和という言葉は一種の麻薬。人を惑わし騙す最高の餌なのだ。
正義の名の下に、という言葉と全く同じだ。綺麗事で塗りたくられた、蓋を開ければ穢れた泥が溢れ出す。
人間の心と同じように、綺麗で着飾った裏側に一体どれほどの醜悪な欲望が渦巻いているのか。
―――――しかし、それでも俺は平和を夢見て戦っていた。
我ながら矛盾している。平和を憎んでいながらも、平和を叶え様としているのだから。
だからこそ、信ずべき指導者の平和に同調し、賛同した。それを狂気と理解しながらも。
護れなかった可哀想な子達をこれ以上生まない為にも、これ以上新たな憎しみを生まない為にも、俺は兵器を手にとった。
「―――――アスラン、今日こそアンタを討つ。
今度こそ全ての戦争を無くして……平和を取り戻す為にッ!!」
そう、俺の心は既に歪んでいた。ずっと気付いていたのを、ずっと認めようとしなかった。
平和の道を歩む為に、かつての仲間さえも躊躇い無く討つ。
人間としての心を持つべきではない。平和を叶える為に兵器の一部として、割り切らなければならない。
それほどの狂気が無ければ、平和など望めない。
どんな障害であろうと、倒さなければならないのだ。俺は平和に同調したのだから。
「シン! それが本当にお前の望んだ平和のカタチなのか!?」
―――――そうだ。それが俺の望んだ狂気だ。
そもそも平和なんて、他人の血と肉片で掻き集めた憎しみの塊だ。
しかしそれを理解しているからこそ真の平和を初めて叶えられるのだ。
生命を奪うだけ奪い、穢れた贓物で培われ完成する。
そして、それさえ叶えば平和になる。もう誰からも命は取らずに済む。
かつての祖国を討ち、仲間も討つ。そうしてようやく俺の戦いも終わる。
―――――俺の全てが終わる。そう思っていた。
「最後だアスラン! これで全て終わらせてやるッ!!!」
「―――――まだだ……まだ終わらない。世界はッ!!!」
最後の競り合い。お互いの最後の武器を構え対峙した。
デスティニーが所持する対艦刀――アロンダイトはジャスティスに砕かれた。フラッシュエッジも弾き返され、破壊された。
しかし相手もそれは同じ。ジャスティスの片腕は破壊され、リフターも半壊状態だ。
辛うじてリフターの推進部分は機能しているが、武装部分が使い物にならない。
むしろこちらの方が優位に思える。だが、相手はあのアスランだ。この程度の状況など予想の範疇だろう。
そして恐らく最後の一撃、これで終わる。互いの因縁に終止符が打たれるのだ。
激しく鬩ぎ合うように、互いの咆哮がぶつかり合う。
振り下ろさされたジャスティスのビームサーベルを、俺は瞬時にビームシールドで受け止めすぐさま弾き返した。
飛び散るビーム粒子。弾き返された反動によりよろめいた所を俺は、ジャスティスを捉える。
右掌のパルマフィオキーナを起動させ、ジャスティスの残った左腕を掴み上げる。
それと同時に一瞬で左腕を破壊した。
爆風に仰け反るカタチで体勢を崩したジャスティスは大きな隙を見せた。
俺はそれを好機と察知し、追撃を仕掛けるべくジャスティスのコクピット目掛けて左掌を振り下ろした。
―――――しかしそれは甘い判断だった。
アスランも馬鹿ではなかった。最初から左腕の破壊は囮だったのだ。
突き出されたデスティニーの腕をなぎ払うようにジャスティスの左脚部は円を描いて、デスティニーの腕を容易く切り落とした。
予想だにしなかった反撃に俺は驚愕するが、ここで退くわけにはいかない。
ビームライフルを撃ち出せる距離も隙も無い。ならばどちらの攻撃が先に届くか―――――。
『ハアアアアアァァァッ―――――!!!』
最後の力を振り絞るかのように、俺達の信念は激突した。
―――――それは一瞬の出来事。
先に届いたのは俺の方だった。左掌は確実にジャスティスを捉え、確実に相手を破壊した。
そう、その『頭部』を―――――。
アスランはわざと攻撃のタイミングを遅らせ、カウンターを狙ってデスティニーの腹部を砕いたのだった。
知覚出来ないほどの一瞬の刹那。空気を裂くほどの速さで行われた判断。その一瞬の時間が勝負を分けたのだ。
―――――そう、俺は負けた。あの男に、アスラン・ザラに負けたのだ。
そう思う時間さえもなく、瞬く間に光に包まれていく、走馬灯のようにゆっくり流れていく時間。
破壊され、爆炎に包まれる最中、俺は悟った。あぁ、俺は死ぬんだなと―――――。
気付けば、最後まで俺は誰かを憎みながら戦っていた。だから何もかも恨んで苦しみながら滅んでいくのだ。
しかし内心、理解はしていたのかもしれない。平和を叶える時点で、いつかはこうなると。
憎み続け、他人の生き血を啜って這い蹲りながらも、俺は自身の生き汚さを省みなかった。
それがいつしか自然となって、憎む事が日常となってしまった。
―――――狂っている。
死して初めてわかった。俺は自分の行いが狂気だと理解するずっと前から狂っていたのだと。
だから、これは当然の結果なのだ。
黒い闇の世界が辺りを包んでいく感覚。冷たくて何も無い。
暖かさも温もりも何も無い。全てが無に帰するのだ―――――。
『シン』
―――――優しい声が聞こえる。
いや、錯覚の筈だ。こんな憎しみが渦巻く暗闇に、こんな暖かさを感じる筈がない。
それに自分にはそんな資格などない。
『シン』
―――――再度響く女の子の声。聞き覚えがあった。
懐かしいわけじゃない。でも、そんな気持ちにさせてくれる囁きだった。
『―――――ね、シンに会えて本当に良かった』
―――――包み込むような声。俺はその子の名前を知っている。
でも思い出せない。何故だろう、忘れる筈なんかないのに、何故。
『―――――諦めないで。明日を、前を向いて』
―――――眩しい。目を開けてみて、初めて気が付いた。
太陽のように光り輝いている。金色に流れる髪。俺は彼女を知っている。
まるで聖女のように、優しく微笑みかけてくる。ずっと俺が彼女に対して望んでいた笑顔。
そうだシン・アスカ。思い出せ、彼女は俺が護りたかった人だったじゃないか。
『―――――私が助けるから。だから生きて、シン』
―――――そうだ、彼女の名は。
精一杯叫ぶ、だが、声が出ない。何故だ、何故出てくれない。
たった一言で良い、頼む。彼女の名を、彼女の名を言わせてくれ。
だが、彼女は俺に微笑むようにして、光を大きく輝かせた。
全てを清浄するかのような、眩い光が暗黒の世界を照らし出す。
―――――そして、そこで俺の意識は途絶えたのだった。
一度でも良い。そう、彼女の名を―――――。
「うぅ………ステ、ラ」
暗い淀みをこじ開けるかのように、俺は目を覚ました。
しかし、まだ意識が朦朧としている。身体中が軋み、動機も激しく息苦しい。
目前に広がっているのは真っ白な天井。見知らぬ空間。
俺は今、ベットで寝かされてる事に気付き、ここが病室であると理解するのにしばらく時間を費やした。
「………生きて…いるのか………?」
身体を起こせるほどの気力は無い。しかし、拳を握る事で今自分は生きている事が実感出来た。
周囲を見渡すと、見たことのない医療機器が並んでいた。少なくとも、自分が見慣れた物ではない。
唯一自分がわかる範囲では、点滴程度なものだった。
―――――いや、今そんな事を考える必要は無い。
自分がどういった経緯でここにいるのか知りたかった。
―――――俺は確かにあの時アスランに撃墜されていたのだ。爆炎に包まれていくのも感じていたはずだ。
メサイア攻防戦の最中、俺はかつての上司であり仲間であった男と激突した。
自分は、最後まであの男と分かり合える事など無かった。
確かに奴は裏切った。だが互いに譲れぬ者があったこそ、俺は彼と全力で死闘を繰り広げた。
―――だが、結局は敗北した。
彼はやはり強かった。ずっと心の奥底で認めたく無かったが、認めざるを得なかった。
どんな理想や信念を以ってしても、結局力は力に敗れる運命にある。それが例え神であっても。
俺は負けた。どんな理由があるにせよ、それが事実であった。
それにレイやルナ、ミネルバの皆がどうなったのだろうか。
こうして自分は生き残ってはいるが、ザフトは敗北したのか? それとも勝利したのか?
今すぐにでも確かめたい。しかしこんな満身創痍の状態で出来る筈も無かった。
何も出来ない自分に自嘲気味な溜め息が出る。まるで赤子同然だ。
「―――――えぇ、命に別状は。外傷は酷いですが、このまま治療を続ければ後遺症もなく確実に完治するでしょう」
「そっか、なら良かった。私が見つけた時はとても酷い状態だったから……」
外から話し声が聞こえてくる。恐らく女性だろうか。
そうか、此処は医務室だ。点滴もあるのにそんな事を今更実感してる自分のアホさ加減に溜め息が出る。
どうやら、俺はここで救助、保護されたようだ。誰なのかは知らないが、俺を助けてくれたらしい。
―――と、そう思っているうちドアが開かれた。
出てきたのは二人の女性だった。
一人は白衣を身に包んだ女性だった。恐らくここの医務室を管理している職員なのだろう。
そしてもう一人の栗色の髪の女性。長い髪を左側に一房、ポニーテールのようにしていた。
「発見当初の映像は見ましたが、とても凄惨な後景でしたね。一体何があったんでしょうか…?」
報告書のようなモノを片手に白衣の女性はしかめっ面で話しかけていた。
知的好奇心やら何やらが入り混じったような、そんな表情だ。
そんな彼女を見て、栗色の髪の女性は苦笑していた。
「うーん…今は色々な憶測が飛び交っているから断定は出来ないけど、大丈夫だと思うよ私は」
随分自信のある物言い、いや貫禄があると言うべきか。
以前、似たような状況にでもあったのか、まるで全て見据えているような―――。
ともかく、あまりに落ち着いた反応で、白衣の女性は呆気に取られていた。
「はぁ………なるほど、それはエースとしての勘ですか?」
「そんな事ないけど……って―――――」
少し皮肉めいたような言動に対し、女性は慌てて否定しようとした。
本人からすれば、そういうつもりは無かったのであろうが、些か誤解を招いたようだった。
「えっと…あの、目…覚めたの―――――?」
―――――どうやらこっちに気付いたみたいだな。
まさか目覚めているとは思わなかったのか、狐に摘まれたような顔で二人とも驚いていた。
俺は心配かけまいと精一杯の声で、あぁ、と声を出して頷くと二人は大きく溜め息を吐いた。何故だろう。
栗色の髪をした女性は、白衣の女性に小声で何か促すと、白衣の女性の方は医務室の奥の方へ下がっていった。
そして俺の方へ向き直ると、栗色の髪をした女性は長い髪を揺らしながら、こちらにゆっくり近づいてくる。
「大丈夫? 無理しないでゆっくり眠っていていいんだからね?」
俺のベットの付近にある椅子に腰掛けて、栗色の髪をした女性は慈しむように、俺に優しく微笑んでくれた。
人を包み込むような暖かい笑顔。あんなに綺麗な笑顔を、久しぶりに見たのかもしれない。
懐かしいような、そう―――俺が家族と一緒に過ごしていた時を思わせた。
「アンタは、誰なんだ―――――?」
俺は初対面の人に随分失礼な口調で話しかけているが、女性は全く気にしてないのか笑顔で答えた。
「私は高町なのは。ここ…管理局で働いているの。
―――――君の名前は?」
少し心配そうに尋ねてくる。思い出せないのなら無理しないでね、とそんな表情が窺えた。
―――馬鹿だな、俺から聞いたのに。
そう思いながらも誰かに心配されるのは悪くない気分だった。
心配かけまい身体起こそうとするが、しかし無理だった。身体が軋み、悲鳴をあげている。
喋るのも少し辛い。こんな無様な姿では余計に心配をかけるだけだ。
でも、それでも出来るだけ彼女に聞こえるように大きな声で言いたい―――――。
「俺は、シン・アスカだ――――――――――」
―――――そう、今始まったのだ。
―――――新たな世界が。
最終更新:2008年09月06日 20:01