<8月の仕事~シン・アスカの水泳大会 ポロリもあるよ!~>
……照りつける太陽を薄目で眺めながら、シン・アスカはふと考える。
世の中とはどうしてこうも理不尽なのだろうか? と。
「――――死のう」
サラリとそんな言葉が出てきた自分に涙を流しながら、シンはペタペタとプールサイドを歩いてい
た。すれ違い様にこちらを振り向く人々の視線を背中に感じつつ、なんでこんなことになってしまっ
たのかと意味もなく自分の半生を振り返った。
「やぁシン君、もうすぐ出番なんだからこんなところブラブラしちゃダメじゃないか」
「……プロデューサー」
生気のないシンの瞳がいつも以上ににこやかな笑みを見せるプロデューサーを捉える。ユラリと
身体を揺らしながら近づき、プロデューサーの両肩を掴んだ。
「死んでください」
「あはははは、面白い冗談……いたっ!? ちょ、やめて! 砕ける! らめぇ鎖骨砕けちゃう!」
万力のごとき力でプロデューサーの肩を握撃していたシンだったが、渋々手を引っ込めた。
「……どうにかなんないんですかこれ」
「あぁそれ無理。っていうかここまでやって止めるのは往生際悪すぎじゃないかい?」
もっともな話ではあるのだが、その元凶に言われたくはないと思いながら自分の身体を見下ろした。
「――ありえない」
いつもはストレートに地面が見えるはずの視界を遮る偽りの胸囲。
背中が大きく開いたワンピース水着にパレオ、頭には地毛に合わせたセミロングのウィッグまで付けている。
そんな一言が飛び出すのも無理からぬ恰好だった。
「大丈夫大丈夫、似合ってるから」
「やっぱアンタとは一度決着をつけるべきだよな……? その無駄に長い前髪とか猛烈に引っこ抜きたい
んですけど」
指を鳴らして凄むシンだったが、直後に上がった花火に意識を逸らされた。
「さ、さぁ! もう時間だ。春香たちも待ってるし急いでいかないとな!」
「ってオイ! 引っ張るな……うぉっ!? ズレる! パットがズレる!」
抵抗しようにも気を抜けばすぐにずり落ちてしまいそうな偽胸が気になり、結局そのままズルズルと
引きずられていくシンだった。
――遡ること数時間前。
「シン君、ちょっといいかな。頼みたいことがあるんだけど」
「はい? 何かあったんですか?」
「ちょっと困ったことになってね……今日の春香たちの仕事は知ってるかい?」
今日の仕事、と聞いてシンは今日のスケジュールを思い出す。
「えっと……春香、千早、やよいが水泳大会の生中継に出るんですよね?」
「そうそれ。実はちょっと手違いがあって、本当は4人エントリーしなきゃいけないのに3人だけしか登録
しなかったんだよ」
「……手違い?」
ジト目で睨むシンからプロデューサーは目を逸らす。
「いつもの病気ですね?」
「さて、本題になるんだけど」
「いつもの病気ですか」
呆れながらもシンはひとまず話を聞くことにした。プロデューサーの管理能力の低さはいつものことでは
あるが、その煽りを受けるのは春香たちなのだ。それだけは避けなければならない。
溜息を吐き、シンは口を開いた。
「……で、俺に何をしろっていうんです?」
「うん、これを見てくれ」
「水着ですね」
「特注のね……うん、ピッタリだ」
「なんで俺の身体に合わせるんですか?」
「これがパット、あとウィッグ。あ、そうそう。これ律子特製のボイスチェンジャーね」
「なんで俺にこんなもの渡すんですか? っていうか結局俺に何をさせたいんですか……?」
次第にイヤな汗が身体中に出てくるのを感じながら、シンはおそるおそる尋ねる。
もはや最悪の未来しか予想できない状況の中、プロデューサーは朗らかに一枚の紙を突きつけた。
「今日から君は、無所属のアイドル『飛鳥まこと』だ!」
そこには、見覚えのあるようで見覚えのない『少女』の写真とまったく身に覚えのない経歴が並んでいた。
――直後、765プロから人間のものとは思えない絶叫が響き渡ったのは言うまでもない。
「うははははははははは! 殺せ! 誰か俺を殺せーーー!」
「し、シンさ……じゃなかった。まことさん! はやまっちゃダメですーーー!」
泣き笑いの顔で何処へと向かおうとするシンとそれを必死に止めようとするやよいを眺めながら、
千早はもう何度目かの溜息を吐いた。
「……まったく、プロデューサーも無茶なことを押し通すわね」
「あ、あはははは……まぁ、プロデューサーさんだから」
さすがにフォローできないのか、春香も苦笑いを浮かべながら事態を見守っていた。
「だ、大丈夫ですっ! 恥ずかしいことなんてないですよ! わたしよりずっとずーっと美人さんですから!」
「飛ぶ! これ以上生き恥を晒す前にあの高台から垂直落下して陥没するほど頭部を強打するしか!」
やよいの必死の説得も届かない様子で――聞こえていたところでさらに暴れまわるだけであろう内容
ではあったが――シンは飛び込み台へと向かっていく。
そろそろ危険だと判断したのか、千早はシンたちへと近づいていった。
「シン、そろそろ諦めた方がいいんじゃないかしら?」
「諦める!? その選択肢だけはないだろ!」
「……だって、そのまま死んでしまったらその姿が生涯最後のものになるのよ?」
「それは困るっ!」
その瞬間、ハッとシンの瞳に生気が戻った。
「あ、あれ? 俺いったい何やってたんだ?」
「はぁ……とりあえず、おかえりなさいシン」
自分がこの集団をまとめなければならないという事実に頭を抱える千早だった。
「それにしても……」
つい、と千早の視線が下がる。
見つめる先は、夢も希望も詰まっていないシンの偽りの双丘。
「……くっ!」
「? どうかしたのか千早」
「なんでもありません!」
やはり、この世は理不尽に溢れていた。
「とりあえず、もう大丈夫みたいだね。シンく……じゃない、まことちゃんでいいのかな?」
「誰かに聞かれない範囲ならそのままでいいって……で、俺たちは何に出ればいいんだっけ?」
「一応、何かひとつでも出なければいけないということみたいね。逆に言えばひとつだけ出れば後は参加
しなくてもいいということだけど」
「すばらしいなこの大会。じゃあ俺はさっさと終われそうな適当なのに……」
「ダメですよぉシン君」
「へ?」
「プロデューサーから言われたんですけど、シンさんが出る競技はもう決まってるみたいです」
やよいから差し出された紙をシンは受け取る。どうやら今回の大会のスケジュールらしい。数ある種目の
中で一つだけ赤い丸に囲まれていた。
「水上騎馬戦……?」
「この種目はほとんどプロダクション対抗みたいになってるみたいで、それで私たちもそうするつもりだった
みたいなんですけど……」
当然のごとく3人では騎馬戦に参加することができず、急遽シンが無所属のアイドルとして参入すること
になった、ということらしい。
「……俺は、騎馬戦をやるためだけにこんなカッコにさせられたのか」
「はわっ!? シンさんの目がまた暗くなりました!」
「お、落ち着いてシン君! これにはちゃんと理由があるから!」
理由? と聞き返すシンに、千早が淡々と説明を始めた。
「この種目、今回の大会でも注目されているらしくて視聴率も相当なものらしいわ。勝つにしろ負けるにし
ろ、出るだけでプラスになるからプロデューサーや社長もこの枠を取るために苦労したって話よ」
「そんな大事なもん取ったのになんで1人足りないってことになるんだよ……」
本当にあのプロデューサーは変なところで抜けてるな、と頭痛に悩まされながらもシンは今回の事態の
大まかな概要をようやく把握した。
こんなことまでするマネージャーなんていくら世の中が広くても自分くらいのものだろう、と重い息を吐き
ながら。
「あ~、つまり最低でも俺は騎馬戦には出なきゃいけないってわけか」
「一応他の種目に出ることもできるみたいだけど?」
「……出ると思うか?」
「で、ですよねー」
相槌を打ちつつも何故か春香はチラチラと盗み見るように視線を向けていた。
「……春香?」
「あ! えっと、ゴメン。その、シン君けっこう綺麗だな~って思って。肌もすっごく白いし」
「…………」
この世に生まれて16年、初めて受ける類の褒め言葉にシン・アスカは血の涙を流した。
「それでは! 天海春香、行ってきま~す!」
「うっうー! 春香さん、がんばってくださいっ!」
「春香、はりきりすぎて転ばないようにね」
「あぅぅ……千早ちゃんひどいよぉ」
結局、自分の出番はかなり先――というよりも大トリ――なので、その間シンは春香たちの出る種目を
観ることにした。
その間でもカメラが向けられることもあるので可能な限りその範囲から逃れるためのポジションを確保す
るためでもあるのだが。
「ふっふっふ~。シン君、アイドルとしては私の方が先輩だからちゃ~んと応援してね」
「あ? あぁ……春香は何に出るんだっけ?」
「水上かけっこです! ホントは、自慢の犬かきをプロデューサーさんに見てもらいたかったんだけどなぁ」
――犬かき。
想像する。おそらくはもっともポピュラーな泳法であるクロールで泳ぐアイドルたちの中、ただひとり推進
効率の悪い犬かきで懸命に泳ぎ続ける春香……
「……地味だ」
「え? シン君何か言った?」
「いや、なんでもない」
「?……あ、次出番だ。一度プロデューサーさんのところに行かないと。それじゃあシン君、私の活躍とポー
ズレッスンで鍛えたカメラ目線を見てしっかり勉強してね!」
その声に応えようとしたが、いつの間にか辺りに人が集まってきたので手を振るだけにしておいた。
律子特製の変声機があるとはいえ、できるかぎり喋らないようにすることにした。
「……春香はどこまで行けるかな」
「一番になってほしいですけど、いつも何もないところでも転んでるし、ちょっと心配です……」
「少し風があるから浮かんでるマットの揺れも大きいわね」
不安要素は挙げればきりがなかったが、プロデューサーのところから戻ってきた春香の顔は真剣そのも
のだった。
「あ、はじまりました!」
渇いた発砲音と同時に春香をはじめとしたアイドルたちが一斉に駆け出した。
傍から見ても水面に揺れるマットの上はかなりバランスが悪そうに見えるのだが、意外なことに春香は
危なっかしい足取りではあるが順調に上位に食い込んでいた。
「凄いな。いつもみたいに「どんがらがっしゃーん!」ってなるかと思った」
「春香は本番に強いらしいから……そういえば重要な場面で転んだことはないわね」
「…………。それってつまり、いつもプロデューサーといるときに転んでるのは演技……」
……何故か異様なプレッシャーを感じたのでその先をシンが告げることはなかった。
というよりも明らかに冷たい視線を感じたので反射的に目を逸らしていた。
しかし、
「は、春香さんっ!?」
やよいの叫び声にシンを含め周囲の視線が一斉に春香へと向けられる。アンバランスに揺れるマットの
上で、トップに躍り出たものの今にも落ちてしまいそうな春香の姿があった。
「春香!?」
「大丈夫、これは春香の計画どおりよ」
沸き立つ周囲の中、ただ一人冷静に春香を見ていた千早は語る。
「事前に律子からアドバイスを受けたのよ。余裕があれば危なそうな演技をしてみるといいって」
「それって……」
どういうことだ? と聞こうとしたシンだったが、すぐにその意味に気が付いた。
春香の様子に気付いたカメラマンの一人が近づいていく。落ちるにせよ落ちないにせよ、番組として
盛り上がるシーンになることは確かだ。
(そうか、この瞬間は春香の独壇場……!)
カメラを独占し、アピールの邪魔も入らない。
もちろん順位も重要ではあるが、競技中にどれだけ注目を集めるかも大事なことである。
それだけテレビに映る時間が増えるのだから当然な話だ。
そして今、春香はその瞬間を掴み取ったのだ。
(――来る!)
後続がギリギリで追いつくか追いつかないかという位置と、カメラのアングル。どれを取っても完璧なポジ
ションだ。
かろうじてバランスを取りながらも春香の顔がゆっくりとカメラの方へと向く。
そして、
――のヮッ☆
「はわっ!? ひ、光りましたっ!」
「あの光は超時空シンデレラの……っていうか、顔だけカメラ向いてて視線がどっか行ってないか?」
「春香の目線の先、プロデューサーがいるわね」
やよいは純粋に驚き、シンは呆然としながらも春香の様子を確認するように説明し、千早はそれを呆れ
果てた声で補足した。
そのまま数秒ほど止まっていた春香だったが、さすがに限界が来たのかついに足を滑らした。
「へ? わひゃあ!」
――ドボーン!
……結局、春香はある意味でとてもおいしい瞬間を独占できたのだった。
「まぁなんだ、欲張りすぎたよな春香は。いろんな意味で」
「うぅ……あんなにがんばったのになぁ」
いやその頑張ったところが問題だったわけなんだが、と言おうとしたシンだったがかろうじて思いとどまっ
た。誰だって蛇が出てくると分かっていて薮を突きたくはないだろう。
「で、次はやよいの番か。何に出るんだ?」
「水上パン食い競争ですっ!」
「……プールでやる必要があるのかその種目は」
おそらくは誰もが一度は考える疑問を口に出しながらシンはプールへと目を向ける。
コース自体は先ほどの水上かけっこと似たような作りではあったが、幾分かマットは固定されており、コー
スの半ばほどでパンが吊るされている。
小柄なやよいではあるが、パン食い競争は単純に足の速い者が有利という競技ではない。効率良く
パンを咥えることができなければならないからだ。
つまり、やよいでも充分に勝算がある競技ではあるのだが……
「まことさん! 特訓しましょー!」
「は?」
いつもながらあまりにも突拍子もない提案にシンの目が点になった。
「だから特訓です! 私ぜーったいに一番になりたいんですっ!」
「おいおい、まだ時間はあるんだからそんなに張り切らなくても……」
「う~、でも身体がウズウズして落ち着かないんですよ~」
なだめられて少しは大人しくなったものの、やよいはそわそわするのかどうも落ち着かないようだった。
こういう機会があまりないせいか、どこかはしゃいでいるように見える。
それに気付いたシンは、思わず苦笑を漏らした。
「まったく……仕方ないな、わかったよ」
「ホントですか? やったー!」
「今さら足を速くなんてできないし、大事なのはバランスを崩さないことだな。だからこうして……」
そうして手取り足取り指導をしていると、周囲からクスクスと笑い声が聞こえてきた。
「可愛いわねぇ、まるで姉妹みたい」
「頑張りやの妹と面倒見の良いお姉さん、ってとこかしら?」
「…………」
「シ……まことさん? な、なんで泣いてるんですか?」
「なんでもない、なんでもないんだ」
何か大事なものをなくしながらもしっかりと指導を続けたシンの甲斐もあって、やよいは他のアイドルを
大きく引き離し一位を勝ち取った。
「やよいはいいなぁ、どうせ私なんか……」
「春香、そんなに落ち込まないで。次で挽回しましょう」
「ここまでうまくいくとは思わなかったな……やよい、おめでとう」
「うっう~! これで今日の食費が浮きました~!」
うっ、と涙を隠す三人とは対照的に、やよいは太陽のような笑顔を浮かべていた。
最終更新:2010年11月09日 15:22