「ほいっと出来上がり」
目の前に置かれたオムライスからは出来たての熱気が立ち昇り、食欲をそそる香りが
セツコの鼻腔をくすぐる。ザフトの赤服を脱ぎ、妙に様になったエプロン姿の
シンと、料理を交互に見比べるセツコの目は、鳩が豆鉄砲を食らったような、という表現がぴったりである。
「食べないんですか?」
少し不敵な笑みは、初めて出会った頃から丁度1年の時を重ね、シャープな顔立ちと赤いエキゾチックな瞳に
とても綺麗に収まっていた。目の前のオムライスを作った人間と一致しないとセツコは思う。
「シン君…上手なのね…」
セツコの目にも眩しい白いブラウスをケチャップで汚してしまわぬように、シンは彼女の背後に回るとナプキンを巻いてやる。
口元には微かな苦笑を浮かぶ。
「そういうセリフは食べてから言うモンですよ?」
一瞬抱き締められるかと緊張と、シンの腕が回された時の彼の匂いに頬を赤くしながら、
慌ててセツコはスプーンを手に取ると、恐る恐る口に運ぶ。
最初に感じたのは、味がするという喜び。
そして、芳ばしいチキンライスの味に、酸味の利いたケチャップ、ふんわりと甘党のセツコに合わせた甘い卵の味。
思わず目を細めて、その余韻に浸るセツコを見つめるシンの瞳は戦争当時には考えられない程に優しくなっている。
戦後、多元世界ならではの利点を生かした医療技術により甦った彼女の味覚、視覚は現在リハビリ期間にあった。
彼女の生が在る事、自分がそれを今見つめている事、二つの喜びがシンの内を充たす。
シンの料理が食べてみたいとセツコは以前言っていた。
そして味覚のリハビリに付き合わせてもらうよう頼んだのはシン。
双方の利害が一致した訳だが。
(ようはそんな理屈じゃないんだよな…)
MSを操りどれだけの敵機を破壊しようとも、同じ腕で作ったこんな何の捻りも無いオムライスでセツコの笑顔を見れるのだ。
払う労力に比べて得られる満足感の差が桁違いに大きい。
セツコは、本当にもうすぐ20歳になるのかと疑いたくなるほど、相好を崩し、子供のようにオムライスを食べている。
小さな口に、一口ずつ一生懸命に運ぶさまが、彼女の性格と相まって小動物めいていて、シンは微笑ましくなった。
「シン君、とっても美味しいよ~」
「それはなにより」
えへへと笑う彼女に、コチラまで力が抜ける。こんなこと、少し前まではとても想像すらしていなかった。
あの時、自分はメサイアで命尽きる覚悟すらしていたというのに。
オムライスを平らげ、シンの入れた紅茶を息を吹きかけながら飲む姿を見ながら思いを馳せる。
結局シンはセツコのバルゴラを倒すことが出来なかった。
力量では数段上であったのにもかかわらずだ。
殆ど、お互いに限界まで命を奪わぬように戦った結果は、二人仲良くアーガマに回収という結末。
所詮借り物の正義の力では、本当の自分だけの正義を持つ者の前では無力なのだと、炎上するメサイアを
アーガマの医務室から見つめながらシンは痛感した。
傍にずっと付き添っていてくれたセツコに縋りつき、涙を流し、今にして思えば自分が求めていたのは自分自身への救いなのかもしれない。
それが、正義の為、親友の為の戦いの中で死ぬ事だと思っていた。
けれども、泣きじゃくるシンを胸に抱きながらセツコは何度も幼子にそうするように囁いてくれた。
『シン君は一人ぼっちじゃないよ』
『周りを怖がらずによく見てみて。沢山のシン君を心配してる顔が在る事に気付いて』
全くと、今にして思えばほとほと溜め息が漏れる。
何処までもお人好しなこの女性は、自分と戦った男を胸に抱いて泣き止むまで傍にいるのだから。筋金入りだ。
「ん?どうしたの?シン君?」
一心地ついたセツコがきょとんとした翠の瞳を向けてくる。
シンは、腰掛けていた自身の机においてある『ソレ』にふと気付く。
「いえ、セツコさんが如何にお人好しかを思い出してたんですよ」
「お人好しって?」
「こんな俺みたいな奴を引き止めようとするは、医務室で慰めるは、
わざわざこんな本まで探してくるわ……俺じゃなかったら誤解してますよ?」
挙句自分の純潔まで捧げるのだから、当分は危なっかしくて自分が見ていてやらなければなとシンは決意する。
しかし、セツコは、目を点にしてシンを凝視したまま、ピクリとも動かない。
流石に不審に思ったのか、シンは恐る恐るセツコの顔に自分の顔を近づける。
「あの…セツコさん…具合でもわブフッ!!!」
首元にかけていたナプキンがシンの顔に叩き付けられ、シンは一瞬視界を真っ白に覆われる。
ナプキンを取って見ると、セツコは顔を真っ赤にして睨み付けている。
彼女にしては本気の目だ。
「シン…君…シン君は私が単にシン君が放っておけないからそうしたって……止めようとしたって思ってたの?」
「違うんですか?」
「当たり前よぉ!!!どこの世界に単なる好意だけで、その、あの、アレです…その…」
「セックスですか?」
「ハッキリ言わない!!」
何を今更、第一、メサイア戦で、アーガマの医務室で抱き締め慰められたシンは、抱き締めるセツコの甘い体臭と
戦闘の極度の緊張から来る激しい衝動で、そのまま身体を重ねたのだ。
今更恥かしがる事もないだろうにとシンは呆れる。
「シン君は……どうして、私のリハビリに付き合ってくれたの?」
俯きながら尋ねるセツコに、遂に聞かれたかと、覚悟を決めるとシンはよどみなく答える。
「セツコさんの力になりたかったからです。恩人だとか、同情だとか、そういうのじゃなくて、俺が傍にいたいと思ったから」
リハビリは単なる口実でしかなかった。
「それは、その、つまり、シン君は、ええっと…わ、わ、私の事を…」
「好きです。ああ、言っときますけどLIKEじゃなくてLOVEの方です」
「そ、そうなのッ!?」
あっさりと向けられた告白に、セツコは真っ赤になる。
一方でシンは少しの同様も照れも見えない事に、頭が混乱しつつもセツコは不思議に思った。
自分程ではないにしても、彼だってそうとう純情だったはずだ。
「もっとも、俺にそんな資格はないでしょうけど」
「え?」
「この絵本…読んだんでしょ?だったらわかるはずです。
多分俺はセツコさんのように人に優しく生きていくことは出来ない…」
だから、好きではいても、彼女が幸せになれるまでの手伝いをしたい、戦争を終えたシンの目的であり、
自分を救ってくれた彼女への恩返しという隠れ蓑を使ったひと時の夢であった。
「シン君は……シン君は本当に馬鹿よ!!」
手元の絵本に視線を向けていたシンは突然の大声に驚く。
涙を目一杯浮かべたセツコが、スカートを翻しながらずんずんと迫ってくる。
「女の子がね、自分のは、は、初めてを捧げるっていうのはね、凄く大事なんだよ」
息も掛かるくらいの近さでセツコが頬を上気させながら見上げる。
「シン君にとっては勢いでしちゃったかもしれないけど、私は、そ、その、ホントは、ああなってしまうことだって…その
ヤッパリ男の子の部屋に行く以上は覚悟してたの!!だって、そんなの当然でしょ?………好きな人だったらどんなことをしても止めたいし、死んで欲しくない、当たり前のことじゃないの!!」
耳まで真っ赤にしながら、慣れない大声で、セツコの白磁の如き肌は、薄っすらと彼女の中に脈打つ命のように柔らかな薄桃色を浮かべる。
シンは、そんな桃のような甘い香りと桜の花弁の可憐さを持つセツコの姿に目を奪われながら、
言われた言葉を必死に整理していた。
好き
誰が
俺が
それは知ってる
セツコさんも好き
誰を?
俺を
それで抱かれた? え?
それってつまり
両想い 嘘?
マジ ホントかよ!?
「嘘…」
「嘘じゃないよ…」
シンの視界には、セツコがとうとう俯いてしまっているため、彼女のつむじしか見えなかった。
その、あまりにも頼りなさげな仕草に、胸を締め付けられるような愛しさが込み上げる。
そっと、セツコの両頬に手を添えてやると、微かにビクッと両肩が動く。
そっと持ち上げたセツコの表情は可哀想な程に朱に染まり、瞳は涙が溢れる寸前まで潤んでいた。
「これで、やっぱり嘘っていうのは無しですよ?」
セツコは首を振る。泣きそうなのをこらるあまり、上手く言葉が出ないようだ。
自分の鈍さがそうさせている事に罪悪感と、普段は落ち着いた年上の彼女を此処までさせている事への優越感が湧き上がる。
「ヤバイ…嬉しくて泣きそうです…」
そういうと、そっと、その華奢な身体を腕の中に抱え込む。
セツコの香りを吸い込みながら、滲んだ涙をばれぬように拭う。
「言っておきますけど、俺、一度貰ったもんはゼッタイ返しませんから」
「うん、売却不可で…す」
「セツコさん…」
「ん…」
そっと、顔を上げさせると、喜びと幸福感に更に顔を赤くしたセツコがそっと瞳を閉じる。
目尻から零れ落ちる美しい滴を舌で舐め取り、そっと耳元で囁く。
『 』
その言葉に感極まってセツコが泣いてしまう前に、シンは貪るようにセツコの唇を塞いだ。
◆
ねぇ、シン君。
なんですか?
私ね、狼さんが火に飛び込んだあとの羊の事を考えたの。
羊…ですか?
めぇ、めぇって心細く泣いて、涙が出なくなるまで泣いた羊はね、きっと自分も火に飛び込んだと思うの。
どうしてそんな事を?
だって、そうすれば狼も羊も、同じただの一握の灰になれるでしょう?
でもそれって、悲しいじゃないですか。
ううん、そのあと、灰はまかれて、草花が咲いて……そうすれば二人は同じになって命を育めるでしょう。
………そうですね。ええ、きっとそうですね。
最終更新:2008年12月07日 11:15