<千早バースデイネタ~第一章・目が逢う瞬間(とき)~>

<千早バースデイネタ~第一章・目が逢う瞬間(とき)~>

「――ステージのチェック終わりましたー! もうすぐ会場開きまーす!」

 どこからか響いてきた声を聞いて、周囲のスタッフの熱気がさらに増す。
 それはいつものライブ直前の光景なのだが、今回はいつも以上にスタッフ全員に気力がみなぎっているように
も見える。
 それもそのはず、今日は2月25日――如月千早のバースデイライブなのだ。
 裏方ではあるが、だからこそそんな特別な日につまらないミスでライブを台無しにしたくはない。いつものよ
うに落ち着いて、しかしいつも以上に盛り上がる最高のライブを目指して、スタッフの意志は統一されていた。

「……順調みたいですね」
「あぁ、けど安心はできないな。終わるまで何が起こるか分からないのがライブってものだよ」

 そう言って眼鏡の位置を直すプロデューサーの目は真剣そのもので、とてもではないが普段の奇行っぷりが
信じられないほどだった。

 ――まぁ、こんな時までブルマだスク水だなんて言い出すわけがないか。

 もっとも数日前には「推定5万人ファンを増やす番組だ! これを出すしかないな!」グラビアミズギ2を
掲げながら叫んでいたのだが。
 何はともあれ、この場にいるすべての人間が一体になったかのような連帯感、そしてその中に自分がいること
を実感してシンは奇妙な喜びを感じていた。

「さて、と……そろそろ千早を呼んできた方がいいか」
「あ、じゃあ俺が呼んできます」
「頼むよ……あぁ、ちゃんとノックして部屋に入るようにね」
「なんでみんないつも同じこと言うんですか!?」

 いや、自覚がないわけではないのだが。
 それにしたって10回に1回くらいまで減ったんだから……などと考えながらシンは控え室へと向かった。
 ――よくよく考えたら、定期的に胸触ろうとする人に注意されるのはどうなんだ?

 と今さらなことを考えながら控室の前に着く。そういえば秋スぺのときもこんなだったっけ、と思い出しなが
ら扉を叩く。

「おーい千早―、そろそろ時間だぞー」

 ……だが返事はない。念のためもう二、三度ノックをしてみるが、何の反応もなかった。

 ――まさか、

 脳裏をよぎったのは秋スぺの光景。無人の控え室に、開けっ放しの携帯電話だけが残っていたあの控室。
 カギは開いているらしい。迷わず開け放つ。
 千早は――いた。予想に反して。
 しかし、

「千早っ!!」

 彼女の名前を叫びながら、シンは倒れていた少女に駆け寄った。


「――これは、無理だな。今日のライブは中止だ」

 苦虫を噛み潰したような顔でそう告げるプロデューサーに、誰も言葉を返すことはできなかった。
 無理もない。千早は倒れてしまうほどの高熱を出してしまっていたのだ。昨日まで……否、この瞬間まで誰も
気付けなかったことが不思議なほどに。
 とてもではないが歌など歌えるコンディションではなかった。

 ――なんで、なんで今日って日に限って……!?

 痛いほどに拳を握りしめてシンはどこにぶつければいいか分からない憤りを抑え込む。
 悔しいのはプロデューサー、そしてこの場にいるすべてのスタッフも同じだ。
 だからこそ、それだけ待ち望んでいたライブをこんな形で終わらせてしまうのが心残りでならなかった。

「……撤収準備を始めてください。あとは自分がなんとか、」
「まって、ください……プロデューサー」

 そのか細い声に全員の視線が集まる。千早が、ともすればすぐに気を失いかねないような顔で起き上がろうと
していた。

「千早!? 何してるんだよ! 寝てないと!」
「シン、お願いだから少し静かに……プロデューサー、私は歌えます」

 誰がどう見ても信じることができない言葉。だが、そう断言する千早の目にはかつてないほどの力が込められ
ていた。

「……歌えるわけがない。千早、お前も残念なのは分かる。けどここで無理をすれば身体が持たないんだ。下手
をすれば命にだって」
「声が、聞こえるんです」
「声……?」

 そうして静まり返った室内で、シンは聞いた。
 遠くから響いてくるざわめき、どこか楽しげにすら聞こえるそれは、会場に入ったファンたちの声だった。

「あの声が聞こえる限り、私はどんな時でも歌うことができます。お願いです、私に歌を歌わせてください」
「プロデューサー……」

 「止めてください」と言いたかったのか、「歌わせてください」と言いたかったのかは、その声を発したシン
自身すら分からなかった。
 プロデューサーはしばし顎に手を当て、千早の顔をじっと見つめながら何か考え込んでいるようだった。

「……少し、一人で考えさせてくれ」

 そう言って退室したプロデューサーを見送り、シンは改めて千早に向き直った。

「千早、どうしてこんな……」

 その問いかけには答えず、千早はただ優しく微笑みかけるだけだった。

「――みなさん、今日は私のバースデイライブに来てくれて、本当にありがとうございます」

 そう言って頭を下げる千早に、惜しみない拍手と歓声が投げかけられる。

「訳あってライブの時間を短縮してしまいましたが、こうして今日という日を迎えられたことに感謝の気持ちを
込めて精一杯歌います。どうか最後まで聴いてください」

 曲が流れ始め、客席のボルテージが上がっていく。その様子を、シンは客席で固唾を飲んで見守っていた。
 本来ならステージ脇に控えてすぐにサポートに回れるようにしなければいけないのだが、プロデューサーから
客席で見るようにという意味がよく分からない指示を受けていた。

「……始まりましたね」
「あぁ」

 結局、プロデューサーはいくつかの条件を出した上ライブを許可した。
 ライブの時間を半分に短縮すること、身体に負担のかかるような曲を控えること、これ以上の進行は無理と判
断したときには強制的にライブを終わらせること……
 これらを受け入れて、千早は今ステージに立っているのだった。

「我ながら、クビになってもおかしくないな」

 そう言って観念したようにプロデューサーは笑った。
 だがシンは彼を責めることなどできなかった。もし自分が同じ立場であったなら、あの眼差しを見てその願い
を断ることなどできる自信がなかった。
 それきり互いに黙ってステージ上で歌う千早を見守る。
 すでに5曲目、徐々に疲弊していく彼女の姿を見て客席にそれまでと違うざわめきが広がっていく。

 ――これは、マズイ。

 これで騒ぎが起きようものなら、その時点でこのライブはおしまいだ。
 千早もなんとか立ち直そうとしているが、それでも熱は彼女の体力を奪っていく。
 駄目なのか、そうシンが覚悟したとき、ステージの照明が一斉に落とされた。
 まったく予定になかった事態に、シンも周りの観客と同じく動揺していた。

「これは……プロデューサー!?」

 うろたえながらプロデューサーの方を見て、シンはふと我に返る。
 暗闇に慣れた瞳が捉えたプロデューサーは安堵したように口元で微笑んでいた。

「どうやら、間にあったみたいだな」

 その言葉の直後、ステージに光が戻る。その光景に、シンは目を見開いていた。

『みんなーーー! 今日は千早さんのバースデイライブに来てくれてありがとうなのーーー!』
『ここからはサプライズゲストとして、私たちが千早に歌を贈りたいと思います』
『突然のことで驚かせてしまったかもしれませんが、今日はみなさんと一緒に千早ちゃんのお誕生日をお祝い
させてくださいね~』

 ――う、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお……!!

 突如ステージに現れた美希・律子・あずさの三人の姿を見て会場のファンはしばしの間呆然としていたが、そ
の説明を受け納得すると同時に粋な演出だと更なる盛り上がりを見せていた。
 その一方で、何も聞いていない千早も驚きを隠せないまま三人を見つめるしかなかった。

「みんな、どうして……?」

 熱に浮かされながらも口から出たその問いかけに、三人はマイクを切って客席に聞こえないようにして答える。

「……大体の事情はプロデューサーさんから聞いてるわ」
「千早さん、大丈夫? もう限界ってカンジだけど」
「ここまで来ちゃったんだからもう止めはしないけど、その代わり私たちが歌う間は少しでも休みなさい。いいわね?」

 その念押しにただ頷くしかない千早を後ろに追いやり、三人はマイクのスイッチを入れ直して前に進み出た。

『それじゃあ、ミキたちから千早さんに贈る曲をさっそく歌わせてもらうの!』
『私たちが千早と出会えたことに、そしていろんな思い出を作ってくれたことに感謝して』
『精いっぱいの気持ちを込めて歌います。どうか最後まで聞いてくださいね~。それでは、』

『――思い出をありがとう』

「……プロデューサー、いつの間に律子さんたちを?」
「考えてる間にちょっとね。開口一番にどやされたよ、俺がいながら何でそんなことになったのかって」

 そう言ってプロデューサーは困ったような顔で笑う。だがすぐにその笑顔を消して真剣な顔つきへと変わる。

「ここからだと断定はできないけど、千早はせいぜいあと一曲歌うのが限度だろうね。律子たちが上手く間を
置いてくれるのを信じるしかないよ」

 それきり黙りこんでしまったプロデューサーから目を放し、シンは再びステージを見つめる。
 すでに千早の姿はない。一曲というわずかな時間でもその間にできるだけ負担は減らすということなのだろう。

「俺、控室に……!」
「よしなよ。君はここにいた方がいい」
「ここに? なんでです?」
「ま……今は俺を信じてくれ」

 自信に満ちた声音で断言するプロデューサーに首を傾げたが、言われた通りにシンはその場に留まることにした。

『律子、あずささん、それに美希、ありがとう。とてもいい歌だったわ。そしてみなさん、名残惜しいですが
……次で最後の曲です』

 勝手な都合で図らずもファンの期待に背くことになってしまった。だというのに客席からは野次やアンコール
が飛び出すわけでもない。ただただ、真っ直ぐな視線がステージへと集まってきていることだけは感じた。

『――『目が逢う瞬間』。どうか、最後まで聞いてください』

 そして静かに、ラストソングが流れ始めた。

 ――たくさんの人の波 あの人だけは分かる
 ――つないだ指の強さ あの頃の愛が今動き出すの

 ふと、シンは千早の視線を感じた。
 これだけ人がいる中で、なぜ自分を見ているのかは分からない。
 ただその視線を外してはいけないような気がして、シンもまた千早を意識してじっと見つめた。

 ――Ah~揺れる気持ち Ah~奪ってほしい

 不思議な感覚だった。
 周りには溢れかえるほどの人がいるというのに、自分と千早だけしかいないような……そんな感覚。
 しかし、千早の歌声はそこから外へと流れるように広がっている。
 その流れを、シンは何故か感じることができた。

 ――目と目が逢う 瞬間好きだと気付いた
 ――「あなたは今どんな気持ちでいるの?」
 ――戻れない二人だと 分かっているけど
 ――少しだけこのまま瞳 そらさないで……

 そして曲が終わる。会場が暗転して数秒経ち、ようやく周囲から静かなざわめきが広がってきた。

「――シン君、行こうか。千早を迎えに」
「えっ……? あ、はい!」

 プロデューサーの言葉を半ば上の空で聞いていたシンだったが、遅れてその意味を理解して先に進む背中を
追いかける。
 最後に一度だけステージを振り返る。そこに残った雰囲気から未だに鳥肌が立つのを感じて、また今日のよう
なライブを見てみたいななどと考えながら、振り切るようにシンは控室へと向かった。
 控室へ向かう途中で、二人は千早を見つけた。
 壁によりかかるようにして歩くその姿は、すでに彼女が限界を迎えているということが痛いほどに伝わって
くるほどなのに、どこか満足そうにも見えた。

「千早っ!」

 抑えきれずシンは大声でその名前を呼ぶ。その声が届いたのか、辛そうにではあるが俯き加減だった千早の
顔が上がった。

「シン、プロデューサー……」

 そして崩れ落ちそうになった彼女を、慌ててシンは受け止めた。

「う、ん?」
「あ……千早、起きたか?」

 その呼びかけには応えず、千早は寝ぼけ眼を擦りながら逆に質問してくる。

「シン? 私、なんで車の中に……」
「倒れたんだよ、ライブが終わってから控室の前で」
「そう……ごめんなさい、迷惑だったでしょう?」
「いや、別に。思ったよりも重くなかったし」

 その一言で千早はきょとんとした顔になった後、顔を赤くしてわなわなと震え始めた。

「ま、まさか! シンが私を運んで!?」
「あぁ、まぁ……いきなり倒れたから反射的に受け止めて」

 あうあうと呻きながら千早は俯いていく。何をそんなに恥ずかしがっているのかは分からなかったが、ともあ
れシンは聞くなら今のタイミングしかないとなんとなく察して切り出すことにした。

「なぁ千早……今日はなんでこんな無茶をしたんだ?」

 その質問に虚を突かれたような顔で千早はシンを見つめる。その視線を見据えながら、咎めるような口調にな
るのを感じながらもシンは最後まで自分の気になったことをすべてさらけ出すつもりで口を開く。

「いくらなんでも今回のは無茶苦茶だ。確かに今日って日は一年に一度しかない、それにしたってあんな体調で
無理して歌えばどうなるかなんて分かりきってたことだろ? どうしてあんなにこだわったんだ?」

 沈黙。だが間を置いて開かれた千早の口からは、思ってもみなかった言葉が告げられた。

「ようやく、見つけられそうだったから……私のためじゃない、誰かのために歌う理由を」
「千早……?」

 まだ熱が残っているのか、千早は虚ろな瞳でどこかを見ていた。
 どこを、そして何を見ているのかは分からなかったが、シンはただ黙って彼女の言葉を最後まで聴く。

「今日は、それを確かめるチャンスだったから……私の求めていたものが、やっと――」

 そこで、千早は力尽きたようにシンの肩に頭を乗せる。やがて静かな寝息がシンの耳に届いた。

 ――誰かのために、歌う理由か……

 千早はそれを見つけることができたのだろうか? それを聞きたい気持ちを今は抑えて、シンは小さく運転手
に声をかける。

「すいません、できるだけゆっくりでお願いします」

 優しい笑顔が向けられると共にわずかながら揺れが収まった車内にほっと息をつき、シンは穏やかに流れる
夜景に目を向ける。
 地上の星々をぼんやりと眺めながら、自分も求めていたものを手に入れられるのだろうか、そんなことを考え
ていた……




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最終更新:2009年03月30日 12:42
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