<千早バースデイネタ~第二章・まっくら森の歌~>

<千早バースデイネタ~第二章・まっくら森の歌~>

 ――気付けば、私は森の中を歩いていた。
 とても、とても暗い森。木々の一本一本まで黒く染まっているように見えてしまうほど、まっくらな森。
 どこへ続くとも分からない林道を、無意識の間にも動き続ける脚に導かれるままひたすらに歩き続けていた。
 ……その足が、唐突に止まる。
 目の前の暗がりに陽炎のように幻影が浮かんできた。
 真っ黒な服に身を包んだ大人たちと、その中に混じった少女の姿があった。

 ――ねぇお母さん、なんであの子はあんなに狭い箱に入れられなくちゃいけないの?
 ――千早……
 ――出してあげてよお母さん。起こしてあげないとかわいそうだよ。
 ――お願い、お願いだから……もう何も言わないで。
 ――お母さん……?

 震える手で抱きしめられながら呆然とする少女の姿を最後に映像は終わった。暗がりの向こうには、さらに
道が続いていた。
 再び、私の足が歩き出す。私の意思とは無関係に。
 しばらく進んで、また止まった。目の前に現れた幻影には、寝巻き姿で扉の影から部屋の中を覗き込む少女が
いた。

 ――……なんであの子から目を離したんだ! 一番近くにいたのはお前だろう!?
 ――ごめんなさい……
 ――さっきからそればかりじゃないか! 謝るくらいならなんで、なんであのときに……!
 ――ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……

 ……怒った父の声と、泣きながら謝り続ける母の声。
 そしてそれを眺めていることしかできない自分。
 何が起こっているのかをあまり理解できていなくて、それでも家族からとても大切なものがなくなってしまっ
たことだけは分かって……
 この日から、私の家は笑顔とは無縁の場所になった。
 影が消える。そしてその先には、先の見えない道。

 ――これは、私の……

 拭い去ることのできない過去。忘れ去ることのできない傷痕。
 何故今さらこんなものを見てしまうのかは分からなかったけれど、そんなことを考えている間にもまた次の幻
へと足は進んでいく。
 ……そこからしばらくは足が止まることはなかった。
 代わりに、まるで車窓の風景が流れるかのように過去の記憶が流れていく。
 もはや顔を合わせば喧嘩しかしなくなった両親、それを何とかしようとしてどうすることもできなかった自分、
そしてそのまま月日ばかりが過ぎて、昔の明るさが幻のように消え去ってしまった家族……
 そして――私はすがるように歌を始めていた。
 あの子が好きだと言ってくれた歌だから。みんなに笑顔をくれるあの子の笑顔が見ることができる歌だから。
 コンクールでいくつも賞を取った。初めて会う人からも、歌を生業としている人からも評価された・

――それでも、家族に笑顔が返ってこない。

 もっと歌わないと……あの子が笑ってくれない。
 もっと上手く、技術を磨いて、どこの誰からも、世界中の人にも認められるような歌でないと。
 もっと、もっと、もっともっともっと……

 ――っ!?

 急に止まった足に過去に遡っていた思考が戻ってくる。
 そして、また目の前にかつての記憶が映し出された。

 ――部長、またあの子来るんですか?
 ――あの子? あぁ、1年の如月さんのこと?
 ――新入部員の癖に部長にまで突っかかってきたじゃないですか。あの曲はこう歌うべきだ、とか偉そうに。
 ――それは……でも確かに彼女の言うとおりに歌った方がよくなったし。
 ――でも生意気じゃないですかあの子。自分の方が歌をよく分かってるんだ、みたいな態度で……
 ――…………
 ――はっきり言ってあの子が来てから合唱部の活動が楽しくないんですよ。私だけの話じゃなくて、みんなに
とっても。部活なんてお遊びみたいなことなのになんであんなに馬鹿みたいに真剣に……っ!?
 ――如月さん!?

 そこで、また映像が途切れる。
 合唱部にはこの日から顔を出した覚えがなかった。部の方でも幽霊部員になっているはずで……
 元から求めているものが違うのだから、この結果は当然のこと。それでも私にとってこの出来事は、心の大事
な部分を傷つけられたような気分だった。

 ――……他の誰にも、歌のことなんて分かるわけがない。

 そんな独りよがりな考えで、自分から拒絶した。
 クラスメイト、先輩、本当に歌を届けたかった家族すらも知らないうちに。
 そして、方向性を見失った。
 どうすればもっと歌の技術を上げることができるのか?
 どこで歌えばあの子にまで歌を届けることができるのか?
 ひとりで悩んで悩んで悩み尽して……出た答えはひとつだけだった。

 ――765プロダクション……

 歌で、アイドルの頂点に立つ。
 そんな年頃の女の子のような、それでも真剣に考え抜いた上であの場所に足を踏み入れた。

 ――ほう、君が如月千早君か。歌に自信があると聞いたが、少し聞かせてみてくれないかね?

 雑居ビルの三階という、お世辞にも立派とは言い難い場所。
 それでも歌をうたう内に真剣味を増していく高木と名乗った社長の顔を見て、私は初めて味わう手応えにいつ
も以上の調子で歌いきっていた。

 ――素晴らしい! 君のような子が来てくれるとは社長冥利に尽きるというものだ。世界のどこまでも歌を
届けたいという君の夢、それにできるかぎり我々も尽力しようじゃないか。

 そうして私は、アイドルという道を踏み出した。
 ……家族には、何の相談も報告もしなかった。


 プロダクションに入ってから程なくして、私にプロデューサーがついた。

 ――君が如月千早かい? 俺は君のプロデュースを担当することになった……

 初めて顔を見せた私のプロデューサーは、酷く引きつった笑みを浮かべていた。後になってそのときのことを
聞いてみると、「暗い部屋でクラシックを聴いてたから……ちょっと変わった子だなと思ってさ」と苦笑混じり
に答えてくれた。
 ……部屋を暗くすることで聴覚を敏感にさせる、ということを説明したときは苦笑だけが返ってきた。
 最初の印象はだらしなさそうな人だったけど、何度かレッスンやオーディションを共にこなしていく度に的確
な指示や真摯に仕事に取り組んでいる姿勢を見ることができてその評価は早くも改めることができた。
 もっとも、未だによく出る悪い癖、スケジュール管理の甘さはどうしようもないものにまでなっているけど。
 そんな日々を過ごしながら、私の出会いも少しずつ増えていった。

 ――あのー、ひょっとして如月千早ちゃん……ですか?
 ――そうだけど……あなたは?
 ――やっぱりそうだった! あ、ごめんなさい。私は春香、アイドル候補生の天海春香です!
 ――候補生?
 ――あ、違った。今度デビューが決まったんで、私もアイドルです!
 ――そういえば、プロデューサーがもう一人担当するアイドルができたって言ってたけど……
 ――はい! 私のことです! これからよろしくお願いします!

 そのとき握った手の温もりを、私は今も覚えている。
 目立つ技術があるわけではないけど、歌が好きだという気持ちが心に沁み渡るような歌声を持つ彼女。
 あまりにも馴れ馴れしく接してくるものだから、いつの間にか名前を呼び捨てで呼ぶようになっていた。
 どんなに失敗をしても挫けず、諦めず、笑いながら突き進む彼女に、私は初めて覚える感情があった。
 今にして思えば、あれは嫉妬だったのだと理解できる。
 彼女の歌には、私が失ってしまったものがあったから。

 ――あの~……ちょっとお尋ねしたいことがあるんですけど、ここは765プロダクションでしょうか?
 ――は、はい。あの、あなたは?
 ――まぁ、ごめんなさい。名乗りもせずに……私は、三浦あずさと申します。
 ――三浦、あずささん……
 ――うふふ、今度ここでアイドルをやらせてもらうことになりました~。ひょっとして、あなたも?
 ――はい。如月千早です。
 ――きさらぎ、ちはやちゃん……はい、覚えました~。これからよろしくね、千早ちゃん。
 ――…………
 ――あの~、何か気になる事でも?
 ――い、いえ! その、普段何を食べているのかと。
 ――?

 どこか危なっかしい鈍そうな人、それがあずささんを初めて見たとき思ったことだった。
 実際にその通りな人ではあったけど、その綺麗な歌声と羨ましいほどのスタイルは、私にはあらゆる意味で
衝撃的だった。
 それ以上に、あの警戒心が解かれるような温厚な性格は姉のいない私にとってはとても新鮮だった。
 久方ぶりに、穏やかな気持ちであの子のことを思い出してしまうほどに……


 それからも、私の出会いは増えていった。
 少し意味が分からないところもあるけど、親身になってサポートしてくれた音無さん。慣れない私にどこから
知ったのかアイドルのイロハを教えてくれたのは仕事を始めてからとても助かった。
 私よりも先にアイドルとして活動を始めていた真と萩原さん。最初は萩原さんに怖がられたけど、真が間に
立ってくれたおかげで今では普通に接することができるようになった。
 高槻さんと水瀬さんもそれからしばらく後でアイドル候補生として出会ったけど、何かと私に張り合ってくる
水瀬さんを高槻さんがたしなめることが多かったような気がする。それも最初だけだったけど。
 律子とよく話すようになったのは、亜美と真美がデビューすることになってからだった。事務員兼任を継続し
てアイドルになって、さらに二人の面倒も見なければならなくなったと愚痴混じりに相談されたこともあった。
 そして……

 ――あ、いたいた。おーい千早!
 ――はい? なんですかプロデューサー。
 ――ちょっと紹介したい子がいてね。こっちだ。
 ――…………
 ――この人は……?
 ――シン・アスカ君だ。訳あって君たちのマネージャーをすることになった、らしい。
 ――らしい、とは?
 ――うーん、それが俺もよくは知らないんだ。社長と小鳥さんは何か知ってて雇ったらしいんだけど……まぁ、
何にせよ人手が増えるのはいいことだ。年も近いし仲良くやっていこう。
 ――……よろしく。
 ――え、えぇ……こちらこそ。

 突然現れたその人は、理由は分からないけど不機嫌そうにしていたのを覚えている。どこか近寄りがたい空気
もあって、自然と私は距離を置いていた。彼が765プロに来て、いろんな顔を見せるようになってからも……
 それは初めて会ったときに自分と似た何かを持つ彼が、だんだんと感情を取り戻していくように馴染んでいく
様を見て不快感を感じていたからかもしれない。そんな考えに至るのも今になってからでその時は思いつきもし
なかった。
 そして――これは初めて会った時から感じていたことだけど――、彼を見ていると自然とあの子のことを思い
出してしまうことも原因の一つだったと思う。
 だから、彼から近づこうとすることがあっても私はそれを避けていた。
 自分が見失ってしまったものを取り戻すチャンスだったのに、私は目を逸らしていた。
 そのときからさらに酷くなっていった両親を見て、最初の気持ちに気付きたくなかったから。そのときには
もう、諦めてしまっていたから。
 もはや何の期待も持てはしない父と母と、私自身に……

 ――嘘だ。

 ならば何故あのとき、ただ通り過ぎていった公園に目を留めてしまったのか?
 仕事を終えた後で、あの場所で歌を歌ったのか?
 探しにきた彼にも気付かず、ひたすらに夜空に歌い続けたのは……

 ――あ……

 新たな幻影にふと足を止める。
 秋スぺに向けての活動が始まった頃の私と――シンの姿。
 こうして話す機会が増えると、自然と気が楽になっていったことを思い出す。
 プロデューサーが事故に遭った後、家族を亡くしたと告白した彼に自分のことを話そうとしたこともあった。
 美希に背中を押され、彼のことを意識し始めた。
 月の下で、私の歌を好きだと言ってくれた。
 そして、そして……

 ――っ!?

 唐突に、足元が水に変わってしまったように地面へと吸い込まれた。
 ただでさえ暗闇に包まれていた森から、一切の光が差し込まない闇の中へ。
 そして周りに浮かびあがったのは、無機質な言葉の数々。

 ――離婚
 ――誰と暮らすかは好きに……
 ――仕方なかった
 ――私が悪いわけじゃ……
 ――わかってほしい
 ――何もかも忘れて……

 ……断片的にしか思い出せない。だけど家族の情も何もあったものではないものだったことだけは覚えている、
諦めと自己弁護だけの文字の羅列。
 よりにもよって本番の直前に、私の手からすがっていた最後の藁が千切れてしまった。
 あとはひたすらに流されていくだけ。もうどこにもいたくはなかった。すべてを投げ出して遠くへ消えてしま
いたかった。
 せめてあの子の傍に行けたなら、この声は届くかもしれない……そんなことまで考えていた。
 だけど、

 ――……光?

 天から、淡く光る羽根がゆらゆらと舞い降りてきた。
 ゆっくりと沈んでいく身体は自由に動かせなかったけど、ただひたすらにその羽根を掴もうと手を伸ばす。
 ようやく指先に触れたそれから、声が溢れてきた。

 ――千早!

 その出会いの数々が、どれだけ大切なものだったのかに気付かされた。

 ――千早ちゃん!

 こんなにも近くにあったのに、どうして気付かなかったのかと悔やんだ。

 ――千早さん!

 逃げだしてしまうところだった。かつて私の手の中にあったもの、零れ落ちてしまったものとは別のものだけ
ど、それと同じくらいにかけがえのないものから。かけがえのない人たちから。
 さらに手を伸ばす。その羽根を届けてくれた人に向かって。
 もう離さないから。もう二度と離したくはないから。

 ――――千早っ!

 その手を掴んだ瞬間、周囲の闇が祓われた。
 ――辺り一面に差し込む光。
そして私の目の前には、ぎこちないけど優しく微笑む彼の姿が……

「――千早? おい、千早」

 まどろむ意識の中で聞こえてきた声に目を開けると、シンが私の顔を覗き込んでいた。
 場所は車の中。窓の外へ目を向けると、すでに事務所の前で停まっていた。

「私、また眠って……?」
「仕方ないさ。立てるか?」

差し出された手をしばらく見つめて、少し恥ずかしさを感じて頬が熱くなるのを自覚しながら自分の手を重ね
る。しっかりと握られた手に軽く引っ張り上げられると、思っていたよりも自分の身体に力が入らないことによ
うやく気付く。踏ん張りきれずにふらついた上体を、支えてもらうことでなんとか保つことができた。

「っと。まだキツイみたいだな」
「少し……でも、もう大丈夫よ」

 そっとシンの手をどける。不安定ではあるけど、一人で歩けるくらいまでにはなった。

「今日は最後まで、迷惑をかけてばかりね……ごめんなさい」
「もういいって。一応は無事に終わったしな。けど本番はこれからだぞ、大丈夫か?」

 そう、今日という日はまだ終わらない。
 事務所の扉を開ければ、そこにはきっといつも騒ぎを巻き起こす賑やかな仲間たちが待っている。
 こんな私に、居場所をくれたかけがえのない人たちが。
 私が倒れたことも忘れていつも以上に盛り上げるはず、そう考えてみると今の疲れもどこかへ飛んでいってし
まいそうな気分になった。
 そして――

「……ん? なんだよ千早」
「ふふっ、別になんでもないわ」
「?」

 怪訝な顔をして、彼は事務所の扉に手をかける。ほんの少しだけコートの内ポケットの中に入ったものを気に
かけながら。
 さっき支えられた時に少しだけ見えてしまったけど、気付かないフリをしておこう。
 きっと一生懸命探してくれたものだろうから。

 偶然、必然、奇跡、運命、どんな言葉でもかまわない。
 私がみんなと出逢えたこと、それを心から感謝したい。
 だから今日は、最後まで笑顔でいようと決意して、私は彼に促されるまま扉をくぐる。

「――ただいま」

 いろんな花が咲き誇る中、私の口元にも小さいけれど確かに花が咲いていた。





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最終更新:2009年03月30日 12:46
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