――シンと真が一緒に戻って来てから、雪歩は久しく安らかな気分になっていた。
先ほどまでは二人に促されるままに無理をして着いていくことに精いっぱいだったのだが、今は二人が雪歩
の足並みに合わせている。
それは文字通りに歩く速さもそうなのだが、度々切り替わる話題やふと立ち寄った店での会話など、雪歩の
ペースに合わせてゆるやかでありながらも続けられることが多くなったのだ。
しかし、そうして気持ちに余裕ができたことで雪歩の中に複雑な気持ちが再び芽を出してくる。
(シンさんは、真ちゃんのことをどう思ってるんだろう?)
そして、
(私は、シンさんのことをどう思ってるんだろう……)
自問を繰り返しながら、雪歩の心はゆるやかに沈んでいっていた……
「う~ん、そんなに違うのかなぁ。無糖と微糖と加糖くらいしか違いがわかんないや」
「缶コーヒーの違いが分かれば人生観が変わるぞ」
「そ、そんなに影響があるんだ」
「雪歩は苦いのは駄目だったっけ?」
「あ、はい……」
「んー、それじゃこれがいいか。真は?」
「苦手ってわけじゃないけど、ちょっとは甘い方がいいかな」
わかった、と頷きながらシンはカゴの中に三本の缶を放り込む。
あの後、真のお詫びのクレープを食べ終えた三人は喉の渇きを癒すためにコンビニに来ていた。カフェに行く
ことも考えたのだが、今日だけで二度も騒ぎを起こして目立ってしまったので仕方なしに近くの海浜公園で一息
つくことにしたのだ。
お茶好きの雪歩もさすがにクレープの後で緑茶を飲むつもりはないのか、真と同様に選択をシンに任せていた。
(一応、カフェイン低めのものを選んだけど……たいして変わりはないかもなぁ)
などと考えながらもシンはレジに並ぶ。先ほどの500円の損失により被害甚大の財布の軽さに嘆いていると、
ふと背後に気配を感じて振り返る。
「……雪歩? 先に出てもいいんだぞ、俺が払うから」
店の外に目を向けると、真は既に出ていた。真自身も雪歩は付いてくるものだと思っていたのか、こちらを
見て驚いたように目を見開いている。
「えっ!? あ……そ、そうですよね」
自分でも何をしているのか分かっていなかったのか、軽く慌てながら店の外へと飛び出していった。
なにかあったのか? と思いながら前に向き直ると、店員が雪歩が出ていった自動ドアをボンヤリと見つめていた。
「……今のってまさかアイドルの」
「なにも見てないよな?」
「へ?」
「な に も 見 て な い よ な ?」
コクコクと首を縦に振る店員を見て満足そうに頷いて、シンはなけなしの漱石さんを差し出した。
季節の移り変わりを告げる風に、ベンチに腰をかけた雪歩の身体が少しだけ震えた。
「雪歩、大丈夫? もう冬だから、けっこう寒いよね」
「う、うん……」
心配そうに覗き込んでくる真の視線から逃げるように雪歩は顔を逸らす。
今この場にいるのは、雪歩と真だけだった。
公園に着いてすぐにシンの携帯にプロデューサーから電話がかかり、「すぐに戻ってくるから」と言い残して
言ってしまったのだ。
何があったのかは分からないが、「春香がドラム缶で……」というプロデューサーの言葉が漏れ聞こえてきた
ので、いつものことなのだろうと雪歩は考えていた。
「なんか、いつものオフっぽくなっちゃったかな」
「そう、だね……」
……シンと真が今日誘った理由、それに気付かないほど雪歩は鈍くはなかった。
その気持ちは素直にうれしいと思ってはいるし、最初こそいろいろと騒ぎになって落ち着かなかったものの
それ以降は仕事のことを忘れるほど楽しいと思ったのも確かではあった。
しかし、それでも心の奥底に生まれた不安を打ち消すことはできなかった。
今の今まで自信が持てない自分を支えてきた、何度かの成功。かつてシンと真に助けられ、どんなに辛くても
この道を進んでいこうと決めた意志。
そのすべてを覆してしまいかねないほどに、先日の失敗は雪歩の心に大きな影を落としていた。
だが、その根本的な原因を雪歩自身が理解していなかった。
ただ失敗した、ということだけではない。その程度のことならば――それを自覚したとき、決して小さくない
ダメージが雪歩にはあったが――今まで数知れず経験したことだったのだから。
(それじゃあ、なんでこんなにショックを受けてるんだろ……?)
揺れる波をぼんやりと眺めながら、雪歩は考える。
あのときの収録に変わっていたことといえば、初めてのスタジオ、初めて会うスタッフ、初めて歌う曲、
そして、いつもと違いプロデューサーではなくシンが付いていたこと……
「――ねぇ、雪歩」
「えっ?」
突然、真に声をかけられて雪歩は思考を中断させられる。
真は俯きながら手の中で缶を転がしていたが、やがてグッと缶を握り締めると顔を雪歩へと向けた。
「雪歩は……シンのことが好きなの?」
「――――」
その言葉の意味を、雪歩の頭は理解できずに硬直した。
ゆっくりと脳がその内容を咀嚼し、反芻してようやく飲み込んだとき、雪歩の頭の中は真っ白になった。
「え……えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」
自分の口から出たとは思えないほどの声に、目の前にいる真以上に雪歩が驚いていた。
(す、好き!? 誰が? 私が誰を? 誰がシンさんを!?)
絡まったあやとりのように一度は理解したことですら考えがまとまらない。
顔を真っ赤にしてわたわたと奇妙な動きを続けていた雪歩だったが、3分ほど経って耳から煙を出しながら
ぐったりと背もたれに身体を預けた。
「ゆ、雪歩? ボクから話を振っておいてなんだけど、その、大丈夫?」
「あ、あぅぅ……」
やたらと熱っぽくなった思考に目を回しながらも、雪歩は力なく頷いた。
それを見てほっと安堵の息を吐いて、真は先ほどよりも慎重に言葉を選びながら雪歩に話しかける。
「それで、その、さっきの話なんだけど」
「そ、そんなのわからないよぉ……」
反射的に出てきた言葉だったが、その言葉に雪歩は気付かされた。
この前の失敗がここまで響いているのは、それをシンに見られていたからだったのだと。
見られたくなかった、という気持ちはシンのみならず誰が相手でもある。しかし、仮にあの場にいたのが
プロデューサーであったならここまで影響はなかったのではないか、と。
だから彼のことが好きなのか、と聞かれてもそれは分からない。けして嫌いなわけではないのだが、ならば
好きなのだろうかとなると複雑な感情が生まれてしまう。
真はもちろん、プロデューサーや春香たちのことももちろん好きだ。こんな臆病で情けない自分を受け入れて
くれて、共にトップアイドルを目指すかけがえのない仲間であり、恩人なのだから。
しかし、そのどれともシンに対する「好き」という気持ちは違うように思えた。それが恋愛感情であるのかは
雪歩自身にも分からないのだが。
「……そっか」
安心したような、しかし残念でもあるように真は頷いた。その姿を見て、雪歩はふと頭に浮かんだ疑問をその
まま真へと投げかける。
「真ちゃんは、シンさんのことを……?」
「どう、なのかな。ボクもよくわかんないや」
ははっ、と笑って真は上を見上げた。それにつられて雪歩も空を見る。
「シンのことは、好きなんだと思う。けど雪歩が相手みたいな好きって感じじゃなくて、もっとこう、違う感じ
の好きってことなんじゃないかって」
先ほど自分が考えたものと寸分違わず同じ内容に驚きながら、その考えが間違っていないことに雪歩は例えよ
うのない安心感を覚えていた。
まるで今までまったく解けなかったパズルが解け始めたような、そんな安堵。
「だからさ、この気持ちを確かめるためにもボクはもっと頑張っていこうかなって思ってるんだ」
「気持ちを、確かめる……?」
「うん。多分、今のまま考えてもこの答えって出ないと思うんだ。だから、もっとシンと一緒に仕事したり遊ん
だり……そうやってゆっくりでもいいから見つけたいんだ」
少しだけはにかみながら、それでも真ははっきりと自分の意思を告げた。
「それで、もし答えを見つけられたらトップアイドルになった時にドーンと自分の気持ちをぶつけてみる!」
たとえその気持ちが、恋ではなかったとしても。
それが今、自分が高みを目指すことへの活力になっているのだから。
そのことには無限の感謝をしたい、と。
――その言葉を聞いて、雪歩の奥底で何かが震えた。
羨望とわずかな嫉妬、だがそれよりもずっとはっきりと自覚できたものがあった。
「私も……」
「えっ?」
「私も、見つけたい! 私の気持ちを!」
今までずっと目を背けていたものが、真が語ったものと同じであるということを。
臆病で、怖がりで、自分に自信が持てなかった。
だからこそ、この不確かな気持ちをまっすぐに見ることができなかった。
もしこの気持ちが恋であったとしたら、自分はきっと押し潰されてしまうから。
おそらくは一生返すことのできない恩がある相手を、好きになれるほど自分は強くないから。
そして、自分のかけがえのない友達が好きな相手を好きになんてなれないから。
もっとも、最後のものは無意識のうちに考えていたことだったのだが。
(でも……)
真がシンを好きなのではないかと考えたとき、怖くなった。
二人が遠くに行って、自分だけが置いていかれそうな錯覚すらあった。
それがたまらなく嫌だった。少しでもシンから離れてしまうことを拒んでしまうほどに。自分の気持ちもはっ
きりしないというのに。
「……そっか、雪歩も同じなんだ」
「え? う、うん。そう、だけど」
そこで、雪歩はある可能性を失念していたことに気付いた。
真と同じ道を進むということは、真はライバルになるということだ。それもこんな便乗するような形で挑んで。
友達の縁を切られてもおかしくない、そう考えて雪歩は体中の血の気が引く音が聞こえた気がした。
「それじゃあ……」
だが、真は笑っていた。
親指で自分を差し、そして雪歩を指差す。
「ライバルで、友達だね」
「あ……」
――涙が、溢れた。
やっぱり自分はどこまでも臆病で情けなかった。
「っ、うっ……!」
「泣かないでよ雪歩。変かも知れないけどさ、なんか嬉しいんだ。雪歩がボクと同じだってわかってさ」
「うん……うん! まこっ、真ちゃん……あり、ありが、と……!」
本当は謝りたかったのだが、先に出てきたのは感謝の言葉だった。
ずっと背中を押されてきた。ずっと手を引かれてきた。
こんなときですら、だ。
それでいながら、自分を対等に扱ってくれている。
感謝するしかなかった。感謝以外にできることなどなかった。
「……あ、シンが戻ってきた! ほら雪歩」
「う、うん……」
差し出されたハンカチで急いで涙を拭く。こんな顔は見られたくなかった。たとえ何度彼の目の前でこの間の
ような失敗をすることになろうとも、これだけは絶対に見られたくなかった。
「――はぁ、なんで俺まで駆り出されなきゃいけないんだよ。だいたい海に落ちたのは春香のせいで……
って、どうしたんだ? 何かあったのか?」
こちらに背を向けたままの雪歩を見てシンは怪訝な顔をしたが、すぐに真が立ちあがってその手を取った。
「なんでもないなんでもない! さ、次に行ってみよー!」
「は? ってちょっと待て、何が何だか……っていうか俺は自分の買ったコーヒーすらまだ飲んでないんだけど」
「気にしない気にしない、移動しながらでも飲めるし」
「いやだけどな……」
「いいじゃないですか、今日の時間をもっと楽しみたいです」
え? とシンが目を向けると、いつの間にか傍らに笑顔を湛えた雪歩が立っていた。
「ふふっ……シンさん、次はどこがいいですか?」
「いやどこって言われても……って二人して俺を引っ張るなよ! しかも両手!?」
「いーじゃない。よし、次の場所までこれで行こう!」
「な、何!? いくらなんでも目立つだろそれは!」
「でも、それだとシンさんが目立つから私たちはあまり目立たないかも……」
「あ、なるほど……ってそんなわけあるかー!」
「あははっ!」
「ふふっ!」
状況を掴めず二人に振り回されるままのシンだったが、それでも分かったことがあった。
(雪歩、もう大丈夫なんだな……)
屈託のない笑顔を浮かべる雪歩の姿を見て、シンもフッと笑みを漏らした。
「――真、何があったんだ?」
少しだけ気になったのではしゃぐ雪歩に聞こえないように聞いてみると、少しだけ悩んでから真は答えた。
「あえて言うなら、友情かな」
……何があったのかは結局分からなかったが、まぁいいかと苦笑しながら二人にされるがままにその日を
過ごすことにした。
――そして後日、雪歩は改めて収録をした新曲を武器にオーディションに挑んだ。
シンが見守る中、いまだかつて見たことがないほどの好調を見せた雪歩は見事1位を勝ち取り、TV出演を
果たしたのだった……
<エピローグ>
――あなたはいつでも 優しい微笑みくれる
――でも私はドキドキ 不器用 引きつり笑顔
「途中で転んじゃうし、歌詞は忘れちゃうし、やっぱり私穴掘って埋まって……」
「だぁ~! 待て待て! 掘るな埋まるな気をしっかり持て!」
――もしお化粧してお洒落して 背伸びした自分ならば
――この初めての気持ち通じるの? マニュアルで読んだ
――It’s my first stage
「うう……でもでも~」
「ちゃんとしっかり最後まで歌えただろ? それだけでも大した進歩だって思うぞ」
――Love you,love you あなたへの溢れる
――混乱した心 もどかしくて
――Love me,love me 私に気付いたら
――少しだけ意識してください
――It’s my first stage
「……ホントに、そう思いますか?」
「あぁ、でも次は失敗しないようにしないとな」
「そうですね……それじゃあ、今回の反省分だけ穴を掘るだけにしておきますぅ」
「だから! まず掘ることをやめろーーー!」
「……う~ん、シン君もなかなか大変だ」
「うぅ……プロデューサーさぁん」
「大丈夫か? まったく、病み上がりで遠路はるばる事務所に来ることもないだろ春香」
「だって……」
「とりあえず、今日は俺が看病してやるから。ゆっくり休めよ」
「あゔゔ~……ぶろでゅ~しゃ~さぁ~ん!」
「うおっ!? 顔が凄いことになってるぞ!? ほらティッシュティッシュ!」
――Love you,love you 大人のフリをして
――だけどダメ 私は似合わない
――Love me,love me アドバイス 占い
――情報収集 欠かさずしています
――It’s my first stage
最終更新:2009年06月02日 16:30