鳴り響くアラートの音がとても遠い。
疲弊しきった精神は唐突な衝撃に抗う術を持たず、あっさりと堕ちて行った。機体が流されているのが解っても、それをどうにかするための動作を行えない。
最も、操縦しても機体が応えられるかどうかの保証も無かった。モニタに表示されている機体状況は全身見事に真っ赤である。
予備パーツや資材が底を付き、満足なメンテナンスも受けられなくなって随分経つ。そんな中でここまで連れてきた――付き合わせた機体。うとうというか、ようやくというか、やっとというか。とにかく限界を迎えたらしい。
内だけでなく外も酷い有様だ。ヒトガタのシルエットこそ保持してはいるが、傷の付いていない箇所が無い程に全身が擦り減っている。掠めたビームは装甲を舐めるように溶かし、当たったビームは装甲を容赦なく抉り取って内部のフレームも侵す。左脚は辛うじて繋がっているだけで、既に千切れかかっている。右手の剣は戦闘の途中でビーム発振機がイカれ、途中から鈍器と化した。左腕に括りつけられた砲は三本ある砲身全部が焼けついてしまってもう銃としての機能を失っている。
開始前の戦力差を考えると、ここまで機体の形を残し――いや生き残れた事が奇跡的ですらあるのだが。敵の数はとにかく多くて、味方の数はとっても少なかった。状況で有利な部分なんて何も無く、生き残れる要素がまるで無い。
ただ年齢に不釣り合いな程に向上した技能、勘、そして搭乗者の能力を発揮しうる程度の性能を持った機体のお陰で、少年は生存の権利を勝ち取った。
敵も味方も誰も居なくなった(死んでしまった)戦場。最初に敵だった方を倒して、味方だった筈のヤツが敵になって、敵だった筈の奴に庇われて、数がどんどん減っていって、そして最後に――裏切った、一番信じていた、(殺したくなかったのに)僚機を撃ち落として。とにかくこの場の戦い(殺し合い)は終わった。
少年は、愛機に揺られて宇宙を泳ぐ。
朦朧とする精神と、ぼやけていく視界。引かれている、と他人事とのように思った。地球の重力に捕まったらしい機体はぐんぐんと進んでいく。
(――ちくしょうが)
生まれ育った惑星が見える。青くない。赤茶色だ。ジェネシスの直撃で地表の大半を焼かれた現在の地球は、青かった頃の面影はまるで無い。あの星に住む生き物は、もう随分減ってしまったと学者が言っていたのを思い出した。当然そこには人間も含まれている。
それでも人は戦争を止めなかった。
あの日、ザフトがオーブに負けた日。戦争はようやく終わったと誰もが思った。けれどもそれは大きな大きな間違いで、もっと酷い戦争の布石でしかなかったのだ。
歪んだ方法で導き出された歪んだ結末は、目に見えぬ歪みをどんどんと溜め込んでいって、そして最悪の形でより大きな歪みとして顕現した。
(何でだよ……)
泥沼なんて生易しいものじゃない。利益の生まない戦いが横行して虐殺が浸透して略奪が常識となった。得るための戦いでは無く、殺すため”だけ”の戦い(戦争)。それが延々と続く。
抗った。無駄だって知ってる。それでも抗った。死ぬ人間を減らすために殺そうとする人間を殺した。助けた人間が今度は殺す側になった。だから今度はそっちを殺した。そんな事をしている間にも世界中で殺して殺されてが増殖していって。
”結果”として。地球にはジェネシスが降り、プラントには核が降った。
数えるには馬鹿らし過ぎる、また数字にすれば呆気無い程度の人間が死んだ。そこでようやく争いは収束の兆しを見せた。だけど少年には解る。人は戦争を”止めた”のではない、”続けられなくなった”から中断しただけに過ぎないのだ。
赤茶色の惑星が見える。
確かに当面は争いは消えるだろう。する余裕がないから。でもまたある程度”増え”たら、あのゴミ(人間)共はまたくだらない戦争を始めるに違いない。喜々として隣人を殺して、そして殺されるに違いない。そう確信できる程度には、少年は人間を見てきた。
もうどうしようも無い。人の根底そのものが狂ったとしか考えられない。無論少年もその一人なのだろう。殺す事に躊躇わなくなってしまったのはもう随分と昔の話だから。
(なあ、何でだよ……何で……)
世界が狂った。
少年も狂った。
世界が狂ったから少年が狂ったのか。
少年は元から狂っていたのか。
そもそも最初から全部狂っていたのか。
わからない。わかりようがない。
ただ一つ解っている事はある。少年の役目は終わったのだ。それが”終焉”でなく”休憩”なのだとしても、争いが消失する限り少年の存在意義は消える。生きていても人殺しとして裁かれるだけ。いやむしろ生きていたら世界の邪魔になるだろう。いや邪魔なものにされるだろう。きっと喜々として排斥される。ゴミクズ共(人類)は八つ当たりの対象を欲しているだろうから。
(何で、こんなとこまで来たんだよ……何で、途中で気付けないんだよ…………!?)
声にならない問い掛けは、生存したすべての人類へ贈ろう。何時まで経っても争いを止めようとしなかった、それ以外の選択肢を選ばなかった連中へ贈ろう。無論――それには少年自身も含まれる。
赤茶けた地球が見える。流れてきた残骸は、プラントの一部だったものだろうか。
結果は望んだものには程遠い。それでも結末までは辿り着く事が出来た。胸の中には溢れんばかりの後悔と怨嗟。手に入れたものは何もなく、辿り着くべき場所もない。
だから。もう終わりにしよう。少年は”出来なかった”。それが答えだ。
手段には困らない。今の機体状況では、摩擦熱に耐えきれ無いだろうから。出来るならば空で散りたい。どれだけ人の心が歪んでも、ただ当たり前の様に存在して翔ける事を許してくれたソラで散りたい。まあ地表まで燃え残って落ちても別にいい。今の地球は核エンジン一つが吹っ飛んでどうこうなったところで大して変わらないだろうし。
(――――…………ああ。もう、いいや)
最後にそれだけ、吐き出すように結論を。
そして少年は戦場の端っこで、とうとう意識を手放した。
少年は結局最後までただ一人の兵士だった。規格外程度にはズバ抜けていても、生涯かけても何も変える事はなく。ただ流れていく世界に翻弄されていただけの個人だった。
だから誰も少年を知らない。誰も少年を覚えていない。かつて少年を知っていた人はもう誰も残っていなくて、それから少年を知った人も死んでいった。少年の存在そのものが、速過ぎる世界の流れに埋もれるように、そう忘れ去られる様に消えていく。
一機のガンダムが、青くない星へと堕ちていく。
その胎内にシン・アスカという名前の少年を乗せて。
流れ星の様に。
――/日々、幻想の地にて/――
その男の子は途方に暮れていた。友達は既に逃げ帰ってしまっていない。たった一人でその場所に居る事の孤独に耐えかねて、男の子は足元の石を蹴った。それで事態が解決する訳もなく、男の子は泣きそうな顔でしゃがみ込んだ。
きっかけは些細な事だ。度胸試しなんて話題になって、挑発に乗ってしまった男の子は一人でこんな――普段なら人が近づかない、近付いてはいけないような場所まで来ているのだから。
ガサガサと草が鳴って、男の子はビクリと肩を震わせて後ずさった。妖怪かもしれないと思い当って、ただでさえ泣きそうな顔を更にゆがめる。
けれど男の子の予想とは違い、茂みをかき分けて出てきたのは人間だった。けれどもこの世界での妖怪は人と変わらない姿をしてるのが常である。男の子は突然の出現に驚いて、尻もちをついて後ろに転ぶ。
「……って子供か? お前こんなところで何やってるんだ?」
真っ赤な瞳を不思議そうに瞬かせ、少年の容姿をした相手が男の子に話しかける。男の子はその真っ赤な目を見て更に怯えたのか、まともな言葉を紡げず、ただあうあうと漏らすのみである。
「おいおい危ないぞ。人間がここらに来るのは。まだ入り口付近だからマシだけどさ」
少年は世間話でもするかのように気さくに話しかけてくる。赤い眼は未だ恐怖の対象であったが、それ以外の容姿や態度が普通だったので、男の子は素直に迷った旨を告げた。
「ふーん……なあ、お前なんか持ってるか?」
その質問の意図が解らずに、男の子は首を傾げる。疑問に思いつつも男の子は服をまさぐり、取っておいた飴玉が一つ残っている事に気が付いた。それを取り出す。
「よし、じゃあ俺はこれをもらおう」
ひょいと、少年は男の子から飴玉を取り上げた。取り上げられてから、男の子はそれが唯一の食糧である事に気付く。また好きな味だったので後で食べようととっておいたものだった。もしかして勘違いしていただけで眼前の少年は悪い妖怪だったのだろうかと、男の子は再度怯えた様子で後ずさる。
けれど少年は赤い飴玉を顔の位置に掲げると、
「これが”報酬”だ。対価を受け取ったからには、俺はお前を家までちゃんと送ってやる責任があるって訳だ」
そんな風に言った。
じゃあ行くか、と少年は何でもない風に言う。男の子は自分が迷った事を思い出した。そもそもここは人が迷う場所だという事を思い出した。ならば眼前の少年がなぜそんな風に言えるのか疑問に思った。
だからお兄ちゃんだあれ、と男の子は問う。その問いに対し、少年は返事を返さずニヤりと笑った。少年は素早く男の子の後ろに回り、脇から手を入れ、男の子を抱え上げる。
「――――ただの”運び屋”だよ。行くぞ、デスティニー!」
その言葉と同時に、少年の背中で赤と黒の色彩を持った一対の翼が大きく広がった。アギトを開けるかのような様相で展開したその翼から、輝く赤光が噴き出した。翼の延長として、鮮やかな光の翼が形成される。瞬間、少年は男の子を抱えたまま、ふわりと浮きあがり――地を這うように飛翔した。景色が吹き飛ぶように流れていく。重力の鎖を推力によって断ち切る。その速度に男の子は慌てふためいた。
「舌噛むなよー」
輝く翼を見た目とは裏腹に繊細に操作しながら、少年はあくまで呑気に言い放つ。文字通り瞬く間に森を抜ける。そこからはぐんと上昇して”空”へ。泳ぐように翔けるのは赤く輝く光の翼。
男の子は、その日初めて空を飛んだ。
///
流れ着く場所。
流れ着いた場所。
今居る場所。
それだけ。
///
「とまあそんな事があったんだ」
「つまりそれが納品が遅れた理由だと」
「いやー何事もなくてよかったよかった。見つけるのが遅れてたら妖怪のエサだったかもしれないしな」
「………………」
「何事もなくてよかったなー、うん……本当よかっ……」
「……………………」
「――申し訳ありませんでした」
ガゴンと音を立てながら頭をテーブルに擦り付けた。シンの眼前に座るのは肩口辺りまで伸びた金髪と、洋服に身を包む少女。
一見すると普通の少女。けれど彼女は魔女で、人形遣いだった。その人形遣は呆れたように溜息を吐き、それから優雅にカップを傾けて紅茶を啜る。
横の方からは金属で金属を打ち付ける音が響いてくる。たぶんデスティニーが上海人形にズタズタにされているのだろう。音の感じからして今48HIT位だろうか。
「いいわよ、一日遅れ程度。別に気にしてないから。納期こそ設けたけど特別急いでいる訳では無いし」
「……じゃあ納期設けるなよ」
「何?」
「何でもありませんです」
頭を下げたままの小さな小さな呟きだったが完全に聞こえていたらしい。更に頭を木製のテーブルにゴリゴリと擦りつける。頭を上げろと言われたので素直に従った。
「ところで探してきたはいいけど、それ何なんだ?」
大まかな外見と取扱及び持ち運びの方法だけ知らされたモノ、つまりは”運んで”来た荷物を指刺しながら聞いてみた。結局何で必要なのか聞いていない事を思い出したからだ。
「教えてもいいけど、長くなる上に専門用語の連続になるわよ?」
「ああじゃあいいや。聞いてもわかんないし、時間の無駄は俺の敵だ」
シンから聞いて来た癖にアッサリと撤回した事で、人形遣い――アリス・マーガトロイドが更に表情の呆れを濃くした。
「話を戻すけど、報酬はどうすればいいかしらね」
「あー、なんでもいいぞ。今別に何にも困ってないから」
椅子に体重をあずけて、ぶらぶらと身体を揺らしながらシンは返答する。シンの現在の職業はわかりやすくいうと”運び屋”である。これをここまでもっていってくれとか、これを誰々に届けてくれとか、誰々を連れてきてくれとか、とにかく何かを運搬して報酬を得る、そんな感じだ。
職業ではあるが、ガッチリ儲けるためにやっているか――といえばさっぱりそうではない。ぶっちゃけると道楽なのだ、”コレ”は。勿論生活の為の糧を得る目的もあるので、必要な物があればそれを要求したりする。けれどそれらが最低限のラインでクリアされていると正直報酬とかどうでもよかったりする。
「あー、ちょうどいいのがあったわね」
アリスが呟くと同時に、部屋の中に無数に居る人形のうち一体が小さな袋を持ってやって来た。自律して行動しているように見えるソレだが、実際はアリスが操っているらしい。
シンから見るとデスティニーみたく勝手に動いているようにしか見えないのだが。
「何だコレ?」
「珈琲の豆。貴方好きだったでしょ、珈琲」
「うわ本当か!? サンキューアリス!! 久し振りだなあ!」
「……大袈裟ね」
思わず歓声を上げてしまった。基本必要以上のものは要求する気が無いので、嗜好品の類は滅多に手に入らない。手に入れようとしていないから当然なのだが。
人里の店に行けば手に入るが、仕事がら常にあっちへこっちへ飛びまわっているし、そもそもシンは現金を持っている事が滅多に無い。
食糧はその辺で適当に調達する。衣服は古着を仕事の報酬として譲ってもらったのがほとんど。住処はガラクタの寄せ集め、ただ滅多に帰らないから寝床は地面かコクピットの中が常だ。”こっち”に来てからは、”向こう”では使う機会の滅多になかったサバイバル技術が随分と猛威をふるっている。
「……あ、でもいいのか? 今回は納期から一日遅れちゃったんだけど」
「だから気にしてないって言ったでしょ。ちゃんと物を持って来たんだから対価は払うわ」
「じゃありがたく……さてと」
渡された袋を愛用の肩掛けカバン(拾った物を直した)の中に放り込んだ。それから立ち上がる。
「もう行くの?」
「ああ。次の仕事探さないとな」
「……貴方、本当じっとしてないわね」
「じっとしてるの性に合わないんだよ。身体動かしてる方が落ち着くんだ」
「へえ、そう」
ものすごい興味無さそうな顔で生返事をされた。聞いて来た癖に。まあアリスの態度が素っ気ないのもいつのも事である。むしろシンの嗜好を覚えてもらっている分、最初に比べれば凄い進歩ですらある。
「という訳で何かどっかで人手欲しいとか聞いてないか?」
「知らないわね。何時もみたいに適当に飛び回ってればいいんじゃない?」
「それもそうか……おーい、行くぞデスティニー」
推定89HITのコンボを喰らい最終的にクリティカルヒットで壁に埋め込まれたと思しきデスティニーへ声をかけた。
デスティニー。それはシンの乗っていた機体、モビルスーツの名前だ。そして現在の相棒で――眼前で壁に埋まっている”ソレ”の名前でもある。今はちょっと掌に乗せるのに手頃なサイズになってしまっているが、間違いなくシンが乗り続けたモビルスーツと同一の存在だ。何かMSの大きさに戻そうと思えば普通に戻せるし。
ただ何で通常時がこんなマスコットキャラみたいな事になってしまった、いや”なれるようになった”のかはこっちに来て一年近く経過した今現在でもさっぱり謎である。
「そういやコイツだったなあ、っと……!」
「何が?」
壁にしっかと埋め込まれてしまったデスティニーを力の限り引っ張りながら呟いた。
『あ、ちょイタイイタイフレーム曲がっちゃう! もうちょい優しくひっぱってくださいませんか!!』的なオーラをマスコット化された愛機が発している気がするが、気のせいだろう。デスティニー喋れないし。たぶんシンの勘違いだ勘違い。
あとてめえのフレームは特殊PS製だからそう簡単には曲がらねえよ。
「いやアリスと知り合ったキッカケってコイツだろ」
「……そういえば、そうね」
ちなみに絡まれたキッカケとも言う。
デスティニーが壁から抜けた。まるでデフォルメプラモデルみたいなデスティニーは、自由になると自分からシンの頭の上へふよふよと飛んでいき、そのままボスッと乗っかる。
「いててててて、こら刺すな、アロンダイトで人の頭を刺すな、いてててて」
とまあこんな風に。
喋りこそしないが、デスティニーは確かに自分の意思を持ち、勝手に行動している。故に眼前の少女と知り合うキッカケとなったのだ。
アリス・マーガトロイド。七色の人形遣い。
彼女の目標は完全に自律行動可能な人形を作る事。現在も無数に存在してせっせせっせと家事をしている人形達は、素人のシンから見れば既に自律行動しているように見える、だが実際はアリスが操っているらしい。特別手をかけた人形でも一定期間ごとに命令を入力し直す必要があるのだとか。
と、そんな目標を持つ彼女だからこそ、主人であるシンですら読み切れぬ行動――つまり完全な自律行動(好き勝手やってるだけとも言う)の可能なデスティニーの事を知って黙っている筈もなく。向こうから接触してきたのがシンとアリスが知り合った最初だ。
シンも愛機がこんな小生意気なプラモになってしまった理由はむしろ知りたかったので、実際渡りに舟。調べたいというアリスの要求を承諾して、しばらくデスティニーを預けた訳だ。ただデスティニーが無いとシンは無力、つまり自衛手段が消失してしまう。だから交換条件としてしばらくこの家で厄介になっていた。確か期間は数週間ほどだっただろうか。まあ結局デスティニーの”中身”をアリスでは解析できず、シンは再度デスティニーを連れてあっちへこっちへの放浪生活へと戻った訳だ。
ただそれが発端となって、アリスを頼ったり、またアリスの方からも稀に仕事を頼まれたりとそんな繋がりが出来たのである。
「うーん……思い出してみると随分昔の事だなあ」
「そう? まだ一年も経ってないわよ」
「もう一年”も”経ってるんだよ、俺の主観だと」
「あらそう……ところで貴方。一年経ったのに結局何処にも落ち着かないわね。外来人で、帰らない類なんだから普通は人里にでも落ち着きそうなものだけど」
「落ち着く必要が無いからな。常に動いてるし」
「速く動く生き物ほど早死にするらしいわよ」
「……その理論だと天狗連中が短命になるような気がするんだけど。ま、特別長生きする気はあんまり無いから別にいいや、じゃあ」
ドアノブに手をかけた、アリスの方を軽く振りかえる。そう言う事で、と別れの挨拶を言おうとして。
「邪魔するぜ!!」
すんげー勢いで開いたドアに叩きつけられて、そのままドアと壁でサンドイッチの具の如くプレスされた。漏れ出たのは潰れた悲鳴。ちなみに頭の上に乗っていた筈のデスティニーは何時の間にか退避していて、シンを見下ろせる位置でふよふよと浮いていた。
ざまあ。
うるせえぞこの野郎。
長年死線を共に潜ったりとかでしっかりがっつりと培われた信頼関係は、もはや言葉を介さずとも視線だけで互いの意志の疎通を可能とするのだった。どうもさっき強引に引っこ抜いた事を根に持っているらしい。
「――っでええええええええいい!!!!」
それはさておき。
現在進行形でシンをプレスしていたドアを力の限り叩き返した。いきなり”ドア”が動いた事に驚いたのか、ドアを跳ねのけた人物が驚きの叫びを上げる。
「おお、ドアが勝手に動いたぜ……って何だシンかよ。お前こんな所で何やってんだ?」
「ああはいはい! どうせ此処にいた俺が悪いんだろうよ!」
「何だ何だ、いきなり何を怒ってるんだお前は?」
ドアを開けた人物、金色の髪をした少女は何事かと言った様子で首を傾げている。服は白と黒の二色だけ。抱えた箒に尖った帽子。まるで”魔法使い”のようなわかりやすい格好。とはいえ実際彼女は魔法使いなのだから正解である。
霧雨魔理沙――”普通の魔法使い”。
「何を怒っているかってそりゃお前が勢いよくドア開けた所為で俺は顔面を強打、」
「客の私は茶を所望するぜ!」
「聞いちゃいねえ……」
何時の間にかシンの頭上に戻っていたデスティニーが『まあ気にすんなよ』って感じで、シンの頭をポスポス叩いていた。
///
「そうかもう一年になるのか。時間ってやつはあっという間だな」
ミルク入りの紅茶を啜りながら魔理沙が感慨深げに呟いた。
「ああ、何だかんだであっという間だったなあ……」
さっきもらったモノを淹れ――つまり珈琲を飲みながらシンが返答した。
「……何でこうなってるのかしら」
ストレートの紅茶を啜りながらアリスが小さく呟いた。
三人で向かい合うように、それぞれ思い思いの姿勢を取りながらそれぞれ茶を啜る。正確にはシンだけ珈琲だが、お茶をしているという意味なので間違ってはない。
「よく考えたら俺豆貰っても淹れようがなかった。なんで飲んでいくことにした」
「客である私が茶を飲むのは当然だぜ」
「………………」
アリスは色々と諦めたらしく、それ以上何も言わなかった。シンはとにかく大分久し振りに口にした珈琲を満喫する事にした。向こうでは毎日のように飲んでいたが、こっちに来てからは珍しくなってしまった。というか普段は水の確保すら難しい時もある訳で。
「……慣れたなあ、俺も」
「何がだ?」
「”ここ”の生活……そういえば俺がこっちで最初に会ったのって魔理沙だったっけか」
「へえ、そうだったのか。そいつは初耳だ」
「言ってないからな。あの時は森を数日彷徨い続けた後で餓死しかけてたような」
「随分顔色が悪いと思ったらそういう理由があったのか」
「おまけにその後どっかの白黒の箒の端に引っかかって空高く運ばれるわ、よりにもよって高く上がった後に真っ逆さまコースだわ……何か懐かしいな、最初の頃は特に」
「ああ、あったあった。確かに懐かしいぜ。落ちたと思ったらいきなり飛び上がって来たんだよな」
「そうそう。初めてデスティニー使ったから加減が解んなかったんだ。そんで勢いあまって空気の薄い層まで行っちゃって、また落ちたんだよな俺」
「さすがの私もあの時お前が何をしたいのかさっぱりだったぜ!」
「まあ何かしたくての行動じゃないしな! 無我夢中ってやつだよ!」
HAHAHAHA! と珈琲と紅茶片手に談笑するシンと魔理沙。アリスは何故そんな話題で盛り上がるのかいまいち理解できず、理解できなかったので溜息すら放棄した。
「確かに慣れたみたいね。といっても私はあまり貴方に会ってないからわからないけど」
「そりゃ俺あっちこっち行ってたからな。アリスともこの前の依頼受けるまで随分会ってなかったし」
「そもそも依頼したのも偶然会ったからだしね」
「そういえば私も普段お前の姿は見かけないな。最初に会った後は、季節の変わり目にちょくちょく見かけるくらいか?」
「一応本拠地? はここ(魔法の森)に在るんだけどな。ほらあっちにズドーンと行ってカーンって曲ったら辺にあるガラクタ集めて小屋みたいにしてあるヤツ」
その場所はシンがこの世界に来た時の”スタート地点”である。愛機と一緒に様々な残骸がいくらか流れついていたので、それらを組み上げて無理矢理小屋の様な物を作ったのだ。当初は拠点にするつもりだったが、結局一年の間で数回位しか使わなかった。
「どっちかっていうとカーンって行ってスコーンって曲った感じがするぜ」
「そうか? まあどうでもいいや。それでも魔理沙は結構会ってる方だと思う。アリスと別れた後はしばらく森には来なかったし」
「私の家に居たのは大体春頃よね。その後は?」
質問を投げかけている割にアリスの顔は至極どうでもよさげだ。興味があるというよりは暇つぶしや気まぐれの類での問い掛けなのかもしれない。
「何だ、お前アリスの家に居た事あったのか」
「互いの利益の一致でな、数週間くらいだったような……」
「その位ね。貴方の人形を解析できなかったのは残念だわ、私の目的に相当なヒントになりそうなものなのに」
「前も言った気がするけどさ、デスティニーは人形というか機械の類じゃないのか」
河童に目を付けられてバラされそうになった事もあったし。
「あら、中核に魔導的な概念が存在しているのは確認済みなのよ。貴方が良いのならまた解析をさせてほしいモノね。今ならもう少し進められそうだし。住居位なら対価として提供するけれど?」
その提案に数秒だけ思案する――結論は早く出た。
というか結論なんて最初から出ているのだが。
「……んー、屋根のある生活は魅力的だけど遠慮しとく。やっぱり常にあっちこっちへ空飛んでいられる生活の方がいいや」
「おかしなヤツだな、空位好きに飛べよ。許可がいる訳じゃあるまいし」
椅子をぎしぎし鳴らせながら魔理沙が呆れたように言う。確かにその通りだ。別に住まいがあっても空を飛んでいけないというルールは無い。
ただアリスの目的がデスティニーである以上、今の様に四六時中飛び回るのは不可能だろう。シンはデスティニーが無ければタダの人間である。
///
~秋頃の永遠亭~
「――貴方、肉体の強化措置とかは受けてないのよね?」
「だからですね、俺の身体が頑丈なのはそういう風にコーディネートされてるからで」
「いいえ、徹底的な改造手術位の規模よ。骨格に金属仕込むくらいの」
「あの八意先生。俺の身体って……?」
「…………………………いえ、受けて無いのならいいのよ」
「何ですかその返し! 気になるじゃないですか!! 疑惑があるならハッキリ言ってくださ……ちょっ、目を逸らさないでくださいよ!!」
タダの人間である。たぶん。きっと。おそらく。
頭の上で舟を漕いでいるデスティニーが重く感じる。気の所為だと思う事にした。その方が精神衛生上よろしそうだし。ていうか何でコイツ元々ロボなのに寝るの。
さておいて。
今現在の、人からの頼み事を遂行するためにあっちへこっちへ忙しなく飛び回る生活をシンはとても気に入っているのだ。晴れた日や風が柔らかい日に飛ぶのはとても気持ちがいい。頼まれ事を遂行しているのだから大抵の相手(客)は喜んでくれるし。
それに何より仕事の様相を呈する事で”理由”になるし。
「…………ま、今の俺は仕事が趣味だからなあ」
「真面目な奴だぜ」
「いいや。俺の場合は趣味が仕事なんじゃなくて、仕事が趣味だからな。どっちかっていうと楽しむためだけにやってる訳だから、ちゃんとしてる人に比べりゃ不真面目かもな」
「まあどっかのサボリストよりはマシだからいいんじゃない?」
「小町さんの事か…………うわ、すげえ話がズレてる。えーと、ああそうそう。ここ出た後……大体春の終わりから夏の終わりにかけては紅魔館で家事手伝いしてた」
「お前そんな事してたのか、道理で本を借りに行ったら見かけたような気がした訳だぜ」
「成り行きでな。後お前は借りるって言葉を一片辞書で引いて熟読してこい」
凄い勢いで墜落して門番を轢いて出迎えに来たメイド長に徹底的にノされる――という酷い流れな成り行きではあったが。まだデスティニーの制御に慣れていなかったせいだ。
「でも結局居着かなかったと」
シンの指摘は魔理沙に当然の様に無視された。最初から聞き入れられるとは思っていないから別にいいのだが。
///
~夏頃の紅魔館~
「メイド長、午前の部の洗濯と、料理の仕込み、後AブロックからHブロックまでの清掃終わりました。指示お願いします」
「よろしい。じゃあ引き続き夕食の仕込みとIブロックからNブロックの清掃を」
「了解。後仕事多過ぎて俺倒れそうです。労働基準法って知ってます? ていうか知れ」
「知らないわね。若いんだからこの位でへばらない」
「というか妖精メイドって人手が居る筈なのに俺とメイド長しか働いてない気がするんですけど何ですかこの不思議な現象は」
「その辺りは気にするだけ無駄。さあ働いて働いて」
「……シン・アスカ、働きまーす! ドちくしょう――!!」
「元気ねえ」
///
「何か性に合わないから都合いいとこでキリ上げて暇貰った。一応働く気があるなら改めて雇い直すとはいわれてるけど……正直御免だな。あそこは忙し過ぎる」
「貴方の性には合いそうなものだけどね。ここに居た時に頼んでもいない家事や要らない小言を散々やってくれたのは誰だったかしら?」
「お前は研究に没頭してると不精過ぎるんだよ……」
それまでの興味無さげな様子から急に、からかいというか何かしらの悪意の籠ってそうな微笑。返答は意図せず苦々しいものになっていた。
確かにここに居た時は要らない世話を延々とやっていた気がする。何せ来た当初なので色々と不慣れだったのだ。アリスだって今でこそ”魔女”という存在を理解しているが、
来た当初はどう見ても人間にしか見えなかった訳で。
「………………うわぁ」
当時を思い出して何か妙にそわそわというか、落ち着かない気分になって来た。何やらアリスの笑みが深くなっている気もする。まるで恰好の獲物を見つけたとでもいいたげに。
事情を知らぬ魔理沙はきょとんとしていたが。
「ま、まあそう言う訳で! 夏終わるまでは紅魔館に居ました! はいこの話終わり!」
「まあ終わらせたいならそれでいいけどもね」
アリスが呆れたように頭を振りながら呟いていた。
聞かなかった事にする。そして昔の記憶を脳の奥に押し込む押し込む。
「? まあいいぜ。その後から今みたいに運び屋始めたのか?」
「いや。その後は秋の途中まで永遠亭」
「永遠亭って何でまたそんな場所に」
「入院」
「は?」
魔理沙の問いに対し、シンはからっとした笑顔でさらっと返答した。答えを言ったにも関わらず、魔理沙の顔に浮かんだ疑問が深まる。ついでにアリスの方も何事かといった感じでシンの方を見ていた。
「――――――鬼に絡まれて大怪我したんだよ」
最終更新:2009年12月20日 22:49