今月10日、細川護煕さんが東京都知事選に立候補することが分かった。民主党からの出馬を断り、無所属で出るそう。
小泉元首相と脱原発で歩調を合わせるらしく、12日現在で民主党、生活の党辺りが支持を表明している。
この細川さん。首相経験者である。それも非自民政権。ただ約8ヶ月の短命政権だったし、佐川急便からの献金問題もあったので、世間(少なくともネット)でのイメージは余りよいものではない。まとめサイトなどや2chのスレなどを見ると「無能」の烙印を押されていることが多い。
しかし個人的には細川政権は決して失敗ではないと思っている。この政権が8ヶ月という短い期間で成し遂げたこと、そしてその影響は日本政治史上あまりにも大きい。永遠に続くかと思われた55年体制を崩壊させ、新しい政治的枠組みのルールを組み立て、その枠組みは現在もほとんど変わっていない。その政策の功罪などに判断つけることは現在不可能なため(ある意味未だに細川政権の時代なので)置いておくとしても、少なくとも実行力という意味ではかなり有能な部類であろう。
と、そんな訳で、ここで細川政権の成し遂げたことについておさらいして、まとめておこうってのが今回の趣旨。
沿革
細川内閣は1993年8月9日に発足、1994年4月28日に退陣した 非自民・非共産連立政権。連立したのは日本新党、日本社会党、新生党、公明党、民社党、新党さきがけ、社会民主連合、民主改革連合と凄いことになっているが要は自民党と共産党以外の全ての党派が連立した政権ってことなのでわかりやすい.
なんでこんなことになったかというと、1993年7月18日の第40回衆議院議員総選挙で自民が過半数割れの大敗北を喫したためである。この選挙はそもそも「自民党がずっと政権取ってるけど腐りまくってるよね?自己浄化できそうにないし、政権交代した方が良くない?」が争点だったので、国民の大半が自民「党」に直接「ノー」を突きつけた選挙とも言える。政策ではなく党に「ノー」である。一方細川政権発足時の世論調査(朝日新聞)では内閣支持率71%なんだからたまげたもんである。後で詳しく述べるが、この時の選挙制度は「中選挙区制」であり、この改革は細川政権最大の懸案でもあった。
画像はwikipediaより
過程はどうあれ、細川政権成立によって自民党は結党以来初めて野党に転がり落ち、戦後38年続いた自民党安定優位体制、1ヵ2分の1政党制、つまり「55年体制」が崩壊することとなった。ただ、これだけでは日本政治史に一点「55年体制の一時崩壊」と書き込むだけでたいした影響力はない。自民党が与党に返り咲けば元に戻る。しかし細川政権は点で終わらず線になった。
細川政権は何をやろうとしたのか
細川政権がやろうとしたこと、非自民連立でやろうとしたこと。これを語る上で外せない人物がいる。小沢一郎である。
テキスト
最終更新:2014年01月12日 13:05