1=0.9999999・・・をどうやって教えるか
俺は習った覚えがないが、高校数学で学ぶものとして「1=0.9999999」というものがある。
どうやら小学校算数の難題「分数の割り算」に並ぶ、直感的に理解できないことによる難解さを誇る話であるらしく、
世の数学教師はこれをどう教えるか日々頭を悩ませているようである。
俺自身数学はかなり苦手で、この話を聞いたことはあっても、まあ日常生活には関わらないので無視していたが、
昨日2ちゃんねるのVIPにこの話のスレがあったので、これをどう理解すればいいのか、これをどう教えればいいのか思いめぐらし、
直接的には関係ないが自分にとって重大な結論に至ったのでつらつらと書こうと思う。
まず大切なのは「何故1=0.9999999・・・が定理でなければならないのか」という問から始めなければならないことである。
「1=0.9999999・・・は定理である」のような説明で始めるのはもってのほかだし、上に挙げたWikipediaの記事のように「1=0.9999999・・・をどう証明するか」というのも理解を阻害することになる。
何故なら、1=0.9999999・・・というのは、本来自然に実在しない人為的で抽象的な、実数の概念、10進数の概念、もっといってしまえば数や数学という概念が自然の実在と矛盾しているため、その矛盾をこれまた人為的に無理矢理穴埋めしようとしたものに過ぎないからである。
無理矢理穴埋めするための道具としてあとから作られたものを所与のものとはできないのは当然であるし、人間が生きているのは自然の実在
の世界なのだから、1=0.9999999・・・を直感的に理解できないのは当然である。「直感的に理解できている」と言う奴もいるかも知れないが、間違いなくそれは思いこみか、本来的に直感的に理解できているわけではない。
では「何故1=0.9999999・・・が定理でなければならないのか」をどうやって説明するか?
人間は自然の実在に生きている以上、自然の実在に絡めたらわかりやすい。
そしてここではいわゆる「1=0.9999999・・・の分数を用いた証明」の理屈を利用する。理解しやすいし、実在に還元させやすいからである。
ここに一枚の食パンがあるとする。
この食パンを3つに等分する。
多少の誤差は無視するとして数式で表すと 1÷3=0.333333・・・となる。
そしてこの3つに分けた食パンを俺は腹に収める。
そこで何枚分の食パンを食べたことになるかというと、当然一枚である。
これを数式で表そうとすると、妙なことに 0.333333・・・×3=0.99999・・・ となってしまう。
直感的に見ればおかしい。俺は一枚の食パンを食べたはずなのに、数字上は0.99999・・・枚の食パンが腹の中にあることになる。
これが数学の欠陥である。自然の実在を人為的で抽象的な数字で表そうとしたがために、その数字の表記ルールの限界から、同じものに対して二つの表記法が生まれるのである。
数字の表記法上、実数では0.99999・・・という表記ををそのまま1という表記に書き換えることができない。
そこで「1=0.9999999・・・」という定義を新たに創るしかなくなってしまうのである。
こういう説明になる。
こうすればWikipediaにあるような「一つの小数表示は必ず一つの実数に一対一対応していなければならない」といった思い込みであったり、「どんな実数よりも小さな無限小という量が(それが四則演算や大小関係との間に齟齬を来すとしても)存在するはずである」という期待であったり、極限という概念が理解できない(あるいは単に思い込みだけ)まま「いくら 9 が無限に続いても、そこには最後の 9 というものがあるはずだ」なんて問題を全てすっ飛ばして理解できるようになるはずである。
で、文章能力のなさ故に始めのほうに書いてしまったが、直接的に関係ないが自分にとって重大なものというのいうのは、こういう数字のような「記号」の役割と矛盾である。
自然の実在の世界には、数字なんてものは存在しないし、モノの名前も存在しない。こういうのは人間が勝手に作ったものであり、人間が滅びればそんなものは消滅する。
おそらく、人間はそういう記号を用いたこの世で唯一の動物でであり、この記号によって人間は他の動物よりも遙かに高度なコミュニケーションがとれるし、そのおかげで人文社会科学的にも、自然科学的にも大いに発展することができたんだろう。
ただその一方で、そういった記号を用いることで、人間の頭の中にある、この世界に対する認識というものが、自然の実在とずれる事になってしまった。
記号はあくまで自然の実在を、細かなところを捨て去って、抽象化したものであり、常に自然の実在を完全には反映できていない。
それがはっきりと目に見える形になったモノが「1=0.9999999・・・」という難問である。
科学の歴史というものは、その便利な記号を用いた人間の認識と、自然の実在のズレを埋め続ける歴史なのだと思った次第である。
(2014/07/25)
最終更新:2014年07月25日 18:17