ソフィア王国

歴史

 嘗てレオネッサ帝国と大陸西方を二分したフェンタジネット朝ランシア帝国の正当なる後継国家。ランシア王国は世界暦1573年の市民革命によりランシア共和国と名を変え、市民革命を逃れたフェンタジネット家は出自であるランシア南部の最大都市ソフィアを中心に分離、ソフィア王国と名乗った。しかし世界暦1614年、フェンタジネット家本家ソフィア=フェンタジネット家と分家クラリッサ=フェンタジネット家は対立、クラリッサ=フェンタジネット家は封領クラリッサを拠点に独立を宣言、フェンタジネット内乱が起こる。ソフィア家は先の市民革命によりかなり弱体化しており、ハリッサの戦いでクラリッサ軍に敗北。クラリッサ家の独立を承認、世界暦1615年、クラリッサ王国が成立するに至り、ソフィア家の衰退は益々明確なものとなった。
 それから300年の時を経て、世界暦1902年~1905年にかけて繰広げられた大陸西方の戦役と呼ばれる大戦争にも参戦せず、政治改革もなかったソフィア王国は未だに封建的な傾向の強い化石国家と呼ばれる状態であった。1915年からソフィア王国国王に即位したメロヴィクスは人格、能力共に平凡で、政治にも特に興味がなく、その全てを寵臣達に委ねていた。寵臣達は国王の権威を背景に人民を苦しめ財を蓄え肥え太り、その屋敷に美女を侍らせ優雅に暮らしていた。しかしその振る舞いは人民に、軍に、国王の弟クロヴィスに嫌悪され忌み嫌われた。寵臣達の周辺には邪なへつらい者ばかりが幅を利かせ、有能なものは遠ざけられた。国王メロヴィクスの周辺にも寵臣達の子飼の役人ばかりが侍った。政治の腐敗と王国の内政は混乱を極め、世界暦1926年の王国における疫病の蔓延は国民の4人に1人を死に至らしめた。そしてそれに何の対応も取らぬ王国政府にクロヴィス、軍の不満が爆発、反乱が発生した。反乱は、全く即座に成功した。へつらい者ばかりで固めた寵臣達の周辺は全く役に立たず、寵臣とその臣下は悉く捕えられ斬首された。
 反乱に成功し、王国を支配したクロヴィスは1928年兄メロヴィクスを退位させ自らが王に就任した。彼は武断的に周囲の反対を押し潰して内政改革を進めた。資本主義経済の導入や議会を開設した。彼の試みはある程度成功した。が、しかし当初、王党派に資金を提供していた富豪ピエールは議会が作られると、選挙に立候補した多くの者に金品や美女を送って懐柔、秘密裏に議員達を支配下においていた。政治は富豪の思うがままとなった。これに対してクロヴィスは危機感を覚え、富豪の排除を図るが失敗。廃位させられた。富豪ピエールはソフィア家の分家であるソフィア=リア=フェンタジネット家を懐柔。リア家当主クロードの嫡子であるエドワードを国王に据える。そして当主クロードを密かに毒殺、暗殺して完全にソフィア王国を掌握した。
 身の危険を感じたメロヴィクス、クロヴィスは親戚関係にあるレジーナ王家のレオネッサ王国を頼る。そしてクロヴィスやクラーラを王と、王女と慕う軍人達と密かに通じ、クーデターを起した。しかし、富豪ピエールの影響力を知らぬ軍人等は、議会の決定に従い、又或いはピエールに懐柔された軍人達の言葉を信じ反乱軍と戦った。こうして短期間でのクーデターは失敗に終わり、ソフィア王国が再び2分される戦いを繰広げる事となる。

首都

ソフィア

王朝

フェンタジネットは世界暦201年からある歴史ある名家である。しかしランシア帝国の崩壊を決起にクラリッサ家の分離、リア家、ソフィア家の対立と離散が相次ぎ、その影響力は微々たる物でしかない。しかし1700年の歴史を誇るフェンタジネットはその伝統を脈々と受け継いでいる。

政治



住民

ランシア民族が殆どを占める。近年の悪政と内乱により国民は経済的に困窮しており、政治に携るものにたいする反発を強めている。

言語

ランシア語

地理


軍備

徴兵制。嘗ては10個軍を有する陸軍と空軍を誇っていたが、今日王党派と議会派に別れて内戦を続けている。尚、ソフィア王国陸軍の「軍」規模は3個師団であり、之は一般に軍団規模であるが、ソフィア王国軍では軍団が存在しないため、3個師団で軍と表記されている。

ソフィア王国軍の軍装


イメージテーマ曲

ソフィア王国王党派のテーマ

ソフィア王国議会派のテーマ

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最終更新:2011年10月24日 21:46
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