文才無いけどキーボード叩く
嘘の砂
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嘘の砂
『ハイヒールはやめておいた方がいいぞ』
地方の派出所への転属命令を伝えた後、最後に上司がそう付け加えたのを思い出していた。何から何まで嫌味ばかりの男だったが、その言葉だけは唯一役に立ったと実感する。かといって、感謝する気にはなれないが。
背中に入った砂の感触に思考は乱され、あの禿頭の回想はそこで途切れた。まあ、この炎天下であの顔を思い出すのは健康上良くなさそうだし、丁度いい。
帽子越しに頭をかき、視線を上げる。初めて見た地平線は、感動よりも恐怖や絶望といった形容が似合いそうな情景だった。
一歩踏み出すごとに靴底が頼りない地面に埋まっていく。髪も服も肌にへばりつき、口の中はざらりとした感触に満ちていた。
見渡す限りの砂、舗装されていない道路、日陰などはどこにもない。行き先を告げただけで乗車拒否をしたタクシーを思い出す。後でたぷり抗議の電話をかけてやるつもりだったが、どうやら考えを改めなければならないらしい。
視界の端には、相変わらず小さな建造物の群れが見えていた。先ほどよりも大きくなったようにも思えるし、逆に小さくなったようにも見える。ため息をつきながら、それでも歩き続ける他に道は無かった。
砂に埋もれた街。私の新たな勤務地は、そんな場所にある。
「警察官に必要なことはなんだと思う?」
勤務初日、柏木と名乗った新たな上司は私にそう訊ねてきた。
「真面目さ、でしょうか」
広げたスポーツ新聞から視線を外す気配の無い彼に、私は迷わずそう答えた。彼の口の端には笑みが浮かんでいる。ごまかしなのか、苦笑なのか、判別がつかない。あるいは本当に可笑しかったのかもしれなかった。
「あー……、そりゃごもっともな事だがな、あんま神経質すぎるとああなるぞ」
彼の向けた視線につられ、部屋の隅を見やる。かたかたと一定のリズムの音が聞こえていた。極力見ないようにしていたそこでは、レインコートを着た神経質そうな女性がキーボードを一心不乱に叩き続けている。
「今日は非番だが、彼女ともう一人吉田って男がいる。俺とそいつらがお前さんの新しいお仲間ってわけだ」
砂に囲まれた街、そこにある個性豊かな派出所が、私の新たな職場だった。風通しは良く、備品の全てが砂にまみれている。
「で、さっき言った質問の答えだがな」
新聞をめくりながら、彼はそう言った。警官としての心得の事だろう。てっきり新人の性格を見るテストのようなものだと解釈していたが、正解があるとは思えなかった。
「なんですか?」
「嘘をつかないことさ。この街では特にな」
「どういう事です?」
「降るんだよ、砂が」
砂ならずっと降っているじゃないか、窓を見ながらそう思う。
「昔からこの土地には古い言い伝えがあってな。この街で誰かが嘘をつくと砂が降るんだよ」
「変な迷信ですね」
「俺も最初はそう思ったが、本当の事だ。少なくとも住民は妄信している」
新人への訓示かと思ったが、それにしてはなんだか子供じみていた。だとすればこの土地独特の信仰なのだろうか。
「じゃあ嘘つきばかりなんですね、この街は」
「余所とそんなに変わらんよ。寧ろ『どちらかと言えば正直者』が多い」
言い回しに妙なものを感じたが、その違和感を確かめる前に、なにやら文字の書かれているたすきが差し出された。
「……『嘘をつかない強化週間』?」
「今週のこの街の目標だ。それをつけてパトロールに行ってくれ」
頭痛を感じてこめかみに手を添えた。かたかたかたと、どこからか音が聞こえている。
人は日常に対して常に変化を求めている。だが実際は夢想するだけで、激変して欲しいと思っている人間がどれだけいるだろうか。少なくとも私は、こんなものは求めていなかったはずだ。
舞う砂塵のせいで視界は悪い。パトロールをするのはいいが、悪人に私の姿は見えているのだろうか。そんな事を考えながら自嘲する。
一回りして感じた事だが、街の基本的なつくりは他とそれほど違わなかった。ビルは並んでいるし、コンビニだって点在している。だが地肌そのままの道路にはアスファルトが見えず、通り過ぎる車もジープが多い。砂漠の街というよりは、突然砂に埋まった街といった印象を受けた。
更に違和感を感じさせるのは、そこらにあるポスターや看板だった。うたい文句にどこか威勢が無いのだ。
例えば。
『店員には不評だったが、店長はうまいと感じた新メニューが登場!』
『結局は店にとってお得なポイント倍増セール実施中!』
『日本を変える力はありませんが、それなりには頑張る○○先生に清き一票を!』
などなど、どちらかと言えば正直な広告が立ち並んでいる。これほど好感を覚えない正直さも珍しいが。
馴染むのには随分と時間のかかりそうな街だ。そう呟きながら、派出所に戻ることにする。勤務中にアルコールが欲しいと思ったのは、警官になって初めてのことだった。
歩く事は昔から好きだった。だから肉体的な疲労は少ない。しかし精神的な疲労はどうしようもなかった。ふらふらと壁に手をつきながら、ようやく見えた派出所に安堵する。
その時ふと、入り口のところに小さな人影が見えた。どうも入るのをためらっているように見える。まあ中には中年男とレインコートのキーボード女しかいないのだから、痛いほど気持ちは分かった。実際今朝の私も、中を覗いて固まったのだし。
赤いランドセルを背負ったその少女に近づき、なるだけ優しく声をかけた。疲労を顔に出してはいけない、そ
う自分に言い聞かせる。
しかしこちらを振り返った彼女の顔は、今にも泣きそうな顔をしていた。
「どうしたの?」
「……自首しにきたの」
思いがけない言葉に呆気にとられてしまっていた事に気がつき、慌てて笑顔を浮かべ直す。
「どうしたの? お姉ちゃんに教えてくれないかな」
「……嘘をついちゃったから」
それくらいで捕まらないわよ、そう言い掛けた所で『妄信的』と住民を評した上司の言葉を思い出した。逮捕までは行かないまでも、なにかしら罰を与える風習があるのかもしれない。
だけど、この小さな少女は勇気を振り絞ってここに来た筈だ。その気持ちをむげにする訳にはいかない。
「……大丈夫よ。正直に話して、そして反省しさえすれば捕まったりはしないから、ね?」
そっと頭に手をのせると、小さく頷くのが見えた。
「パパがね、サンタさんはいるって言うの」
口をつきかけた「え?」という言葉を飲み込みながら、それならば自首ではなく通報ではないのかと思う。第一いないと言われたと相談するのが普通で、これじゃあべこべじゃないのか。そんな事を考えていたら、転勤の原因になった『内部告発』という単語が脳裏をよぎった。
『嘘のままの方がいい事の方が多いんだよ』そう言っていた前の上司の困った顔を思い出す。今の私は、あんな顔をしているのだろうか。
「――あなたのお父さんは」
後ろ頭をかきながら、そっと声を出す。
「嘘なんかついてないわ。だからね、大丈夫」
「……でも、クラスの友達は、いないって言うの」
「サンタクロースが存在しないって確かめた人はいないわよ。それにね」
ざあざあと砂塵の舞う音が聞こえる。小さな頭を撫でながら、それに負けないように言葉を続けた。
「サンタがやってくるのは、あのじいさんを信じている子供の家だけよ」
そんな風に勤務をこなしながら、一週間がたった朝の事だった。
「今日も砂がよく降るなあ」
お茶を運んできた私に向けてなのか、それとも独り言なのか、窓の外を眺めながら柏木はそう呟いていた。
「仕方ないですよ。嘘をつかないでいられる人間なんて、いないんですし」
生きていくためには嘘が必要だ。全てを認めることは出来ないが、それでも社会や経済、そして心は嘘によって危ういバランスをとっている。
公明正大であるためには、結局のところ口を閉ざすしか方法は無いのかもしれない。
「……なんの話だ?」
感傷に浸る私に、そんな質問が投げかけられた。彼はいつものようにスポーツ新聞を広げたまま、怪訝そうな目で私を見ている。
「なにって、嘘をつくと砂が降るって話ですよ。初日に教えてくれたじゃないですか」
「あー……」
奇妙な声を上げながら、彼は逡巡するように虚空を見上げる。そして何かを思いついたのか、口の端をにやりと歪めた。
「そりゃ砂が降るわけだ」
かたかたかたと、リズムに乗った音が聞こえる。
私はとりあえず、彼の机に置きかけた湯飲みを振り上げていた。
<了>
地方の派出所への転属命令を伝えた後、最後に上司がそう付け加えたのを思い出していた。何から何まで嫌味ばかりの男だったが、その言葉だけは唯一役に立ったと実感する。かといって、感謝する気にはなれないが。
背中に入った砂の感触に思考は乱され、あの禿頭の回想はそこで途切れた。まあ、この炎天下であの顔を思い出すのは健康上良くなさそうだし、丁度いい。
帽子越しに頭をかき、視線を上げる。初めて見た地平線は、感動よりも恐怖や絶望といった形容が似合いそうな情景だった。
一歩踏み出すごとに靴底が頼りない地面に埋まっていく。髪も服も肌にへばりつき、口の中はざらりとした感触に満ちていた。
見渡す限りの砂、舗装されていない道路、日陰などはどこにもない。行き先を告げただけで乗車拒否をしたタクシーを思い出す。後でたぷり抗議の電話をかけてやるつもりだったが、どうやら考えを改めなければならないらしい。
視界の端には、相変わらず小さな建造物の群れが見えていた。先ほどよりも大きくなったようにも思えるし、逆に小さくなったようにも見える。ため息をつきながら、それでも歩き続ける他に道は無かった。
砂に埋もれた街。私の新たな勤務地は、そんな場所にある。
「警察官に必要なことはなんだと思う?」
勤務初日、柏木と名乗った新たな上司は私にそう訊ねてきた。
「真面目さ、でしょうか」
広げたスポーツ新聞から視線を外す気配の無い彼に、私は迷わずそう答えた。彼の口の端には笑みが浮かんでいる。ごまかしなのか、苦笑なのか、判別がつかない。あるいは本当に可笑しかったのかもしれなかった。
「あー……、そりゃごもっともな事だがな、あんま神経質すぎるとああなるぞ」
彼の向けた視線につられ、部屋の隅を見やる。かたかたと一定のリズムの音が聞こえていた。極力見ないようにしていたそこでは、レインコートを着た神経質そうな女性がキーボードを一心不乱に叩き続けている。
「今日は非番だが、彼女ともう一人吉田って男がいる。俺とそいつらがお前さんの新しいお仲間ってわけだ」
砂に囲まれた街、そこにある個性豊かな派出所が、私の新たな職場だった。風通しは良く、備品の全てが砂にまみれている。
「で、さっき言った質問の答えだがな」
新聞をめくりながら、彼はそう言った。警官としての心得の事だろう。てっきり新人の性格を見るテストのようなものだと解釈していたが、正解があるとは思えなかった。
「なんですか?」
「嘘をつかないことさ。この街では特にな」
「どういう事です?」
「降るんだよ、砂が」
砂ならずっと降っているじゃないか、窓を見ながらそう思う。
「昔からこの土地には古い言い伝えがあってな。この街で誰かが嘘をつくと砂が降るんだよ」
「変な迷信ですね」
「俺も最初はそう思ったが、本当の事だ。少なくとも住民は妄信している」
新人への訓示かと思ったが、それにしてはなんだか子供じみていた。だとすればこの土地独特の信仰なのだろうか。
「じゃあ嘘つきばかりなんですね、この街は」
「余所とそんなに変わらんよ。寧ろ『どちらかと言えば正直者』が多い」
言い回しに妙なものを感じたが、その違和感を確かめる前に、なにやら文字の書かれているたすきが差し出された。
「……『嘘をつかない強化週間』?」
「今週のこの街の目標だ。それをつけてパトロールに行ってくれ」
頭痛を感じてこめかみに手を添えた。かたかたかたと、どこからか音が聞こえている。
人は日常に対して常に変化を求めている。だが実際は夢想するだけで、激変して欲しいと思っている人間がどれだけいるだろうか。少なくとも私は、こんなものは求めていなかったはずだ。
舞う砂塵のせいで視界は悪い。パトロールをするのはいいが、悪人に私の姿は見えているのだろうか。そんな事を考えながら自嘲する。
一回りして感じた事だが、街の基本的なつくりは他とそれほど違わなかった。ビルは並んでいるし、コンビニだって点在している。だが地肌そのままの道路にはアスファルトが見えず、通り過ぎる車もジープが多い。砂漠の街というよりは、突然砂に埋まった街といった印象を受けた。
更に違和感を感じさせるのは、そこらにあるポスターや看板だった。うたい文句にどこか威勢が無いのだ。
例えば。
『店員には不評だったが、店長はうまいと感じた新メニューが登場!』
『結局は店にとってお得なポイント倍増セール実施中!』
『日本を変える力はありませんが、それなりには頑張る○○先生に清き一票を!』
などなど、どちらかと言えば正直な広告が立ち並んでいる。これほど好感を覚えない正直さも珍しいが。
馴染むのには随分と時間のかかりそうな街だ。そう呟きながら、派出所に戻ることにする。勤務中にアルコールが欲しいと思ったのは、警官になって初めてのことだった。
歩く事は昔から好きだった。だから肉体的な疲労は少ない。しかし精神的な疲労はどうしようもなかった。ふらふらと壁に手をつきながら、ようやく見えた派出所に安堵する。
その時ふと、入り口のところに小さな人影が見えた。どうも入るのをためらっているように見える。まあ中には中年男とレインコートのキーボード女しかいないのだから、痛いほど気持ちは分かった。実際今朝の私も、中を覗いて固まったのだし。
赤いランドセルを背負ったその少女に近づき、なるだけ優しく声をかけた。疲労を顔に出してはいけない、そ
う自分に言い聞かせる。
しかしこちらを振り返った彼女の顔は、今にも泣きそうな顔をしていた。
「どうしたの?」
「……自首しにきたの」
思いがけない言葉に呆気にとられてしまっていた事に気がつき、慌てて笑顔を浮かべ直す。
「どうしたの? お姉ちゃんに教えてくれないかな」
「……嘘をついちゃったから」
それくらいで捕まらないわよ、そう言い掛けた所で『妄信的』と住民を評した上司の言葉を思い出した。逮捕までは行かないまでも、なにかしら罰を与える風習があるのかもしれない。
だけど、この小さな少女は勇気を振り絞ってここに来た筈だ。その気持ちをむげにする訳にはいかない。
「……大丈夫よ。正直に話して、そして反省しさえすれば捕まったりはしないから、ね?」
そっと頭に手をのせると、小さく頷くのが見えた。
「パパがね、サンタさんはいるって言うの」
口をつきかけた「え?」という言葉を飲み込みながら、それならば自首ではなく通報ではないのかと思う。第一いないと言われたと相談するのが普通で、これじゃあべこべじゃないのか。そんな事を考えていたら、転勤の原因になった『内部告発』という単語が脳裏をよぎった。
『嘘のままの方がいい事の方が多いんだよ』そう言っていた前の上司の困った顔を思い出す。今の私は、あんな顔をしているのだろうか。
「――あなたのお父さんは」
後ろ頭をかきながら、そっと声を出す。
「嘘なんかついてないわ。だからね、大丈夫」
「……でも、クラスの友達は、いないって言うの」
「サンタクロースが存在しないって確かめた人はいないわよ。それにね」
ざあざあと砂塵の舞う音が聞こえる。小さな頭を撫でながら、それに負けないように言葉を続けた。
「サンタがやってくるのは、あのじいさんを信じている子供の家だけよ」
そんな風に勤務をこなしながら、一週間がたった朝の事だった。
「今日も砂がよく降るなあ」
お茶を運んできた私に向けてなのか、それとも独り言なのか、窓の外を眺めながら柏木はそう呟いていた。
「仕方ないですよ。嘘をつかないでいられる人間なんて、いないんですし」
生きていくためには嘘が必要だ。全てを認めることは出来ないが、それでも社会や経済、そして心は嘘によって危ういバランスをとっている。
公明正大であるためには、結局のところ口を閉ざすしか方法は無いのかもしれない。
「……なんの話だ?」
感傷に浸る私に、そんな質問が投げかけられた。彼はいつものようにスポーツ新聞を広げたまま、怪訝そうな目で私を見ている。
「なにって、嘘をつくと砂が降るって話ですよ。初日に教えてくれたじゃないですか」
「あー……」
奇妙な声を上げながら、彼は逡巡するように虚空を見上げる。そして何かを思いついたのか、口の端をにやりと歪めた。
「そりゃ砂が降るわけだ」
かたかたかたと、リズムに乗った音が聞こえる。
私はとりあえず、彼の机に置きかけた湯飲みを振り上げていた。
<了>