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花火傷

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花火傷
 葉間からアスファルトに落ちた陽光が、ゆらゆらと揺れている。
 年に数度しか訪れなくなった故郷。かと言って、足を踏み出す毎に汗が噴き出すような坂道では郷愁に浸る気にもなれない。ジーンズでなくスカートをはいてくるべきだったと舌打ちをする。
 盆を幾分か過ぎての帰省は両親に文句を言われたが、仕事の都合とはいえ、これ以上暑い時期に戻らなくて済むのは少しだけありがたかった。それでも『せめてあと三日早ければ夏祭りに行けるのに』なんて母は食い下がったが、どちらにせよこんな田舎の小さな祭りに行こうとは思わない。
 抱えたボストンバックを担ぎ直して坂を登りきると、一直線に道路が伸びていた。それを囲むのは植樹ではなく、ただ無造作に茂っている木々。あとはペンキのはげかかった道路のセンターラインと、倒れかけたバス停。横を通り過ぎる車の音もなく、ただ蝉の声だけが溢れている。数年前までは見慣れていた光景、それがどこか非日常的な風景に見えて、ほんの少し寂しくなった。
 汗を吸った髪が頬に張り付き、そこで思考は中断された。家まではあと半分の道のり。年々体力が落ちているのは自覚していたが、ここまでとは流石にショックだった。バス停のベンチにボストンバックを放り投げ、腰を下ろす。懐から煙草を取り出し、やたらと晴れた空に煙を吐いた。
 二本目の煙草に火をつけようとした時だった。視界の隅に誰かが座り込んでいるのに気がついた。長袖のシャツにロングスカート、肩まで伸びたウエーブのかかった髪、この暑いのにどうかしてるんじゃないかと目を凝らしてみると、その横顔は見覚えのあるものだった。
「なにやってんだか」
 つけかけた煙草を箱に押し込み、両膝を軽く叩く。少し重い自分の体を立たせると、わざと足音を立てながら彼女へと近づいていった。道脇の林間にかがみ、目をつぶったまま彼女は動かない。その前には少し荒れた地面と、花束が二つ置かれていた。
 二つの影が重なる頃、ようやく彼女はこちらに気がついたようだった。目を少し丸くした後、ゆっくりとその場で立ち上がる。久しぶりと言葉を交わした彼女の顔は高校時代とあまり変わっていなかったが、どこか元気の無いようにも見えた。
「せっちゃん、今頃里帰り?」
「そ。仕事の都合でずれこんじゃってね、三日だけ」
「大変そうね」
「今の時期はそうでもないよ。大学生は羨ましいけどね」
 そうやって笑い合いながらも、足元の花束が気になっていた。花も地面の傷もまだ新しい。どうやって切り出そうかと思っていたら、彼女はその視線に気がついたのか、眉尻を下げてぽつりと言った。
「……これね、三日前の祭りの日に事故があったらしいの」
「私の知ってる人?」
「知らないんじゃないかなあ。私もこないだ一度だけ会っただけだったし」
 そっか、と小さく呟いて、私はその場で膝を折る。顔も名前も知らないので何に祈っていいか判らなかったが、これも何かの縁だと思い、そっと手を合わせた。
「……ありがとね」
 そんな私の背中に向かって、ぽつりと彼女は言った。
「なんであんたが礼言うのさ」
「なんとなく、かな」
 相変わらず人がいいんだから。胸中でそう呟きながら、立ち上がって木に背中を預ける。うつむいた彼女がまだ何か言いたそうにしていたからだ。
 少し潰れた煙草を取り出し、火をつける。どこか遠くで飛行機が飛んでいく音が聞こえていた。
「その日ね、彼と待ち合わせしてたのよ」
 彼女の言葉を反芻しながら、何の事かと考える。多分その日とは祭りの日で、彼とはここで事故にあった誰かなのだろう。会ったのは一度だけと言っていたから、合コンかナンパか、そういう経緯だろうか。
「花火が上がる頃に、裏参道の途中にある駐車場でって。断ったんだけど、絶対行くからって」
 なんとまあ、運の無い話だろうか。
 ドラマとかじゃ、もうちょっと進展した間柄で起こる話だろう。序章で終わってしまってどうするのか。重たい何かが沈殿していくのを感じながら、なんて声をかけたものかと思案する。
「でもね、結局私行かなかったの」
「……祭りに?」
「うん。だからさ、私の事なんか忘れて成仏して下さいって言ってたの」
「そっか……あんたもさ、あまり気にしすぎない方がいいかもね」
「うん。私も、忘れるつもり」
 そう言って、彼女は悲しそうに笑った。
 いい加減短くなった煙草を携帯灰皿に押し付けると、彼女の背中をぽんぽんと叩いた。色々と溜め込むのはよくないと、そう思ったからだ。
 いつまでも変わらない故郷の景色、だがそれは、ただそう見ようとしていただけだった。何も起きず、何も変わらず、そんなものはどこにも無い。私に関係あるなしに関わらず。
 その時ふと、違和感を感じた。ならば人はどうなのだろうか。
 人がよくて、頼み事を断れない。そんな彼女が待ち合わせに行かず、そして忘れると言った。何かがおかしい、そう思って見つめた彼女の首元には、小さな赤い痣が見えた。
(……火傷?)
 じっとりと汗ばんだ肌に浮かぶそれは、見覚えのあるものだった。昔彼氏につけて怒られた――しかし、それは。
「どうかした?」
「ん、ああいや、そろそろ一回家に戻っとかないとって思って」
 表情に出さないように努めながら、改めて彼女の姿を見る。暑い中、汗をかきながら着ている長袖とロングスカート、待ち合わせに行っていないと言った訳、忘れてという言葉の意味。
 そこまで考えた所で、頭を振って思考をやめる。推測にしか過ぎないし、今考えてもそれは詮の無いことだ。
 ベンチまで戻り、重いボストンバックを抱え上げる。もう一度花束に視線をやって、静かに祈った。誰だかは知らないけど、まあ、とりあえず。
「今日これから時間ある?」
 体は疲れていたけれど、そう彼女に声をかけた。高校時代を思い出すようにしながら。
「大丈夫だけど」
「そ。じゃあカラオケでも行こう」
 そう言うと、彼女はきょとんとした顔をしていた。
「せっちゃん嫌いじゃなかったっけ?」
「……下手なだけよ」
 何かを思い出すようにくすくすと笑う彼女を見ながら、私はむすっとして頭をかいた。こういうのは不本意なのだけれど、まあ仕方ないかと息をついて、空を見上げた。
 馬鹿みたいに晴れた空には、一本の白い筋が走っていた。やがては消えて、そこにあったとは誰も気がつかない。全ての傷痕がそうとは限らないけれど、やれる事はやるのが信条だ。
 そんな事を思いながら、田舎道を歩く。荷物はやたらに重いけれど、足が動か無くなった訳ではないのだから。

<了>

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