001
阿良々木暦を光だとすれば、私はきっと影なのだろう。
そう、影――私は、阿良々木という光に対する暗い憎悪の影であり、それは逆に言えば、阿良々木という光がなくては存在出来ないほどに弱くて脆い存在なのだ。
そんな自分が嫌になる――嫌いになる。
それほどまでに、私は阿良々木の存在に依存している自分が嫌いだし、それ以前に阿良々木が嫌いだ。
大嫌いだ。
阿良々木の優しさを、正義感を、思いやりを――あいつの全てを、私は嫌っている。
地球上に人類が誕生してからこれまでの間、この世にあった嫌いの全てを掻き集めて積み上げてビルを建てたとしても、私の阿良々木に対する嫌いの一軒家には到底及ぶまい――この嫌悪感は、最早私のアイデンティティとなっている。
私の阿良々木に対する憎しみは、最早私自身の構成物質なのだ。私の体は水三十五リットル、炭素二十キログラム、アンモニア四リットル、阿良々木への悪意百キロで錬成されていると言っても過言ではない。
この憎悪を失えば、きっと私は私でなくなってしまうだろう。空気の抜けた風船や、黄身の無い卵のようになってしまうに違いない。これまで私は、普通の人間ならばやりがいや目標や幸福などを原動力にして乗り越えるのであろう逆境や惨劇に直面しても、それら全てを『阿良々木よりはマシだ』と思い、あいつを呪う事で凌いできたのだから。
私はこれからも未来永劫阿良々木を嫌い続けるだろう。結婚式で花嫁がする誓い以上の決意を持って、ここに誓ってやっても良い。
私は、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、阿良々木を憎み、阿良々木を呪い、阿良々木を恨み、この命ある限り、阿良々木を嫌うことを誓う。
この思いがある限り、きっと私はどんな困難だって耐えていけるだろう。
002
先ほど自分自身を影に例えた私だが、そんな私は黒い人型の影のような何かに、襲われていた。
『襲われていた』と過去形なのは、それは既に済んだことだからである。私を襲った影の化物は、私の元に現れたサーヴァントによって、一瞬で一蹴された――いや、彼の戦闘スタイル的には、一蹴というより一殴と言うべきだろうか?
サーヴァント、ランサー――ギリシャ神話においては、ボクシングと剣術の名人として語られている英雄、『ポルックス』。
それが、私の元に召喚されたサーヴァントの真名である。性格が悪くて捻くれいて卑屈な私には、勿体無いくらいのビッグネームだ。
彼の鋼鉄の義手と傍目から見て鍛えられているのがよく分かる筋肉を以って放たれた槍のような拳撃は、影の化物の胸に鋭く命中――次の瞬間、影の化物は細かな黒い粒子と化し、黒紫の塵を残して消滅したのであった。
「ほっほぉ! 見ろよマスター! この塵、結構な魔力が含まれてるぜ!」
影の化物を殴り倒したポルックスは、つい数秒前まで精悍な顔つきで戦っていたのが嘘みたいに陽気な顔と口調で話しながら、塵の一部を掬い上げた。
菓子を買ってもらった子供のように(家庭内暴力でめちゃめちゃだった家で育った私にはそんな経験なんて皆無に等しいが)喜んでいるポルックスは掬った黒紫の塵を口に放り込み、食べた。
彼が顎を動かすたびにジャリジャリという音が此方まで響いてくるが、口内は痛く無いのだろうか?――さておき、そんなわけで私は聖杯戦争の参加者として選ばれ、サーヴァントとしてポルックスを召喚し、謎の影の化物との交戦を終えたのであった。
そんなわけでと言っても何も、全く意味が分からないだろうが、それは私が一番言いたいことである。
阿良々木が幸せになったのならば、それ以上に幸せになってやると意気込んでいた矢先に、戦争への参加という理不尽な目に遭うとは。
私の不幸もここに極まれりと言ったところか。
そもそも魔術の催しだとかいうオカルトなイベントに私が巻き込まれる時点で聖杯戦争の主催者の判断力に疑問を抱かざるを得ない――私は魔術師でも無ければ、何かしら戦争に役立ちそうな優れた技能を持っているわけでもないのだ。どうせ戦争に放り込むならば、あの憎っくき阿良々木にして欲しかったものである。
つい最近まで引きこもってた私の身体能力は、酷く脆弱だ――きっと、体育会系の部活に入っている中学生相手にも勝てないだろう。
ワンパンチでノックアウトされてしまう。
戦争で戦えるはずもない。
こんな戦う前から終わりきっている私の元に召喚されてしまったことを、ポルックスはきっと不満に思っているだろう。
「んなわけあるもんか。無力で魔力も殆どないマスターを守りながら戦うなんて、寧ろ英雄の腕が鳴るってもんだぜ!」
そんな風に、ポルックスは鋼鉄の義手から無機質な金属音を鳴らしながら(文字通り腕が鳴っている)、自虐的になった私を慰めた。
「あー、だが、アレだな。此度の召喚にあたって不満な点が全くないってわけじゃあない。一つある。それもかなり不満な点だ」
「なにかしら?」
「兄貴がいない事だよ」
兄貴? と一瞬不思議に思った私だが、次の瞬間には納得がいった。
カストール――ポルックスの兄である。
カストールとポルックスは、ギリシャ神話で共に数多くの冒険を制覇した兄弟であり、彼らの仲の良さは一緒に星座――ふたご座――として夜空に描かれているほどだ。
それほどまでに絆が強いにも関わらず、聖杯戦争で召喚されたのがポルックス一人だけなのは、彼からすれば甚だ不満な事なのだろう。
「そうなんだよなあ〜! オレ達(ジェミニ)が二人一緒に召喚されないなんておかしくねえか? 鞘の無い剣や弓の無い矢みたいなモンだぜ!」
文句をぶつくさと呟きつつ、ポルックスは二摘み目の塵を口に放り込んだ。
兄弟姉妹なんて居なかったどころか親とおよそ絆なんて呼べる物を育めず、友人関係も言わずもがなだった私からすれば、ポルックスとカストールの絆は未知のものだった。羨ましい。
そんな風に自分が召喚したサーヴァントにすら嫉妬の念を抱いてしまう自分が、ほとほと嫌になる私であった。
いっそ自殺でもしてみたい気分だ――もしもここで自殺なり、あるいは戦死なりしてしまったとして、元の世界で誰かがそれを知るだろうか?
きっと誰も知る事はあるまい。あの何でも知っていそうな委員長、羽川翼でもだ。
この冬木市とかいう街で私が死んだとしても、それを知る人物は誰一人いないのである。
精々、行方不明として、元の世界でほんの少しの期間騒がれ、そして瞬く間に忘れられるのだろう。
あの阿良々木も、それを機にまた私を忘れてしまうだろう。あいつは無責任が擬人化したかのような男なのだ。間違いない
それは、実に不快な事だ。嫌な事だ。嫌いな事だ。
何度も私を忘れた阿良々木が、またのうのうと私を忘れるのは、想像するだけで発狂してしまうほどに我慢のならない事なのだ。
だから、私は生きて勝ち抜かねばならない、この聖杯戦争を。
生きて帰って、普通の学校生活を送って、まともな人間へと更生して、そして――幸せになって、阿良々木を見返してやるのだ。
その為にも、私はここで死ぬわけにはいかない。
見てろ阿良々木。
今はほんの少しだけ寄り道を余儀なくされている私だが、必ず元の世界に戻ってみせる。
「ははっ! なんだか良い面構えになったじゃねえかマスター! オレを呼んだばかりの頃とは大違いだぜ!」
ジャリジャリボリボリという咀嚼音を鳴らしながらポルックスは言った。
「オレとしても、マスターがそういうやる気を見せてくれると働き甲斐があるってもんだぜ!」
「ランサー、私を元の世界に帰らせてね。絶対に――絶対よ」
「おう! マスターの頼みを聞いてやんのがサーヴァント――英雄だ! マスターが元の世界に帰りてえんなら、聖杯戦争を勝ち抜いて、キッチリ元の世界に帰らせてやるさ!」
ランサーはニカッと歯を見せて笑うと、三摘み目の塵を口に放り込んだ。
【クラス】
ランサー
【真名】
ポルックス
【属性】
混沌・善
【ステータス】
筋力B 敏捷B 耐久A 魔力C 幸運A+ 宝具EX
【クラススキル】
対魔力:B
【保有スキル】
神性:A
神々の王、ゼウスの息子であるポルックスの神霊適性は最高クラスである。
兄のカストールと共にコンビサーヴァントとして召喚された際はCランクまで下がるが、此度の聖杯戦争ではカストールの死の直後の頃が色濃く出た状態で召喚されている為、普段通りの神性ランクを有している。
また、雷神ゼウスの力を受け継いでいるポルックスはスキル『魔力放出(雷)』を獲得している。
神々の加護:A
ゼウスやヘパイストスからの加護。
危機的な局面において優先的に幸運を呼び寄せ、ポルックスの行動の成功率を上昇させる。
彼の幸運ステータスの高さはこのスキルによるもの。
また、下記の宝具『槍/雷霆にて滅べ、我が兄の仇(スピアー・ケラウノス)』を発動する際、ゼウスからの魔力の大幅な支援が発生する。
拳闘術:A+++
ボクシングではギリシャ神話の大英雄ヘラクレスと渡り合えるほどの腕前を持つポルックスのこのスキルのランクは、最高峰を誇る。彼にとって、一軍隊を潰す事など、拳が二つあれば余裕なのだ。
ゼウスの雷とヘパイストスの炎――二つの属性の魔力と共に放たれるポルックスの拳は、ただ純粋な拳闘技術だけで対人魔拳の域まで達している。
ポルックスが拳での戦闘体勢に入った際、彼の筋力・敏捷ステータスに『+』が二つ追加される。
【宝具】
『神の子よ、永遠であれ(ポリュデウケース)』
ランク:B 種別:対人(自身)宝具 レンジ:- 最大捕捉:-
ゼウスの息子であるポルックスには神の力が宿っており、その最たるものが不死性である。
彼の体には不死の力が備わっており、如何なる攻撃を受けても無効化する。
だが一定ランク以上の神性(あるいはそれに類するスキル)を持つ相手には、この効果が無効化されてしまう。
神性(あるいはそれに類するスキル)がランサーと同等以上のAランク以上であればこの宝具の防御を無効化でき、それ未満の神性(あるいはそれに類するスキル)ではダメージが削減される。
その他、神造兵装による攻撃ならば神性(あるいはそれに類するスキル)を持たない者でも通じる。その際のダメージ数値は神造兵装のランクによって変動する。
『炉炎鉄拳(ナックル・ヘパイストス)』
ランク:A 種別:対人宝具 レンジ:- 最大捕捉:-
ヘパイストスから与えられた鉄の義手。一種の神造兵器。
鍛治神にして炎の神でもあるヘパイストスによって作られたこの義手は、炎の性質を持ち、魔力を消費する事で炎を噴出し、纏わせる事も可能。
また、ポルックスの現在のクラスはランサーである為、この拳の貫通力はAランク未満の防御スキル・宝具を突破出来るほどに高い。
『槍/雷霆にて滅べ、我が兄の仇(スピアー・ケラウノス)』
ランク:A(EX) 種別:対軍宝具 レンジ:50(∞) 最大捕捉:100
ポルックスがイーダースとリュンケウスとの戦いにおいて、戦死した兄、カストールの仇を討つべく槍でリュンケウスを刺し殺したエピソードと、その後、イーダースが投げた岩塊が命中して昏倒したポルックスを守る為にゼウスが天から雷霆を落とし、イーダースを殺したエピソード。この二つが混ざった結果生まれた宝具。槍の形をした黄緑色の雷で現れる。
この槍はゼウスの権能の現れであり、並々ならぬ神性を有する。
この宝具は普通に槍として使うのは勿論、一振りすれば、それに呼応するかのように天から雷霆が範囲内に降り落ちる。
また、真名解放をすると、槍を構成する雷(ゼウスの力)が極限まで高まり、極細のレーザービームと化して、敵めがけて放たれる。神の権能が極限まで高まったこの攻撃のランクは、カッコ内まで上昇する。全宇宙すら破壊できるゼウスの力に等しいこの一撃から逃れるのは不可能であり、どこまで逃げようと――たとえ、固有結界や異次元に逃げ込もうと、この雷霆は対象者を必ず貫くだろう。
このように非常に強力な宝具だが、ランサー曰く、自分にとってこの宝具よりも鉄の義手で繰り出す対人魔拳のボクシングの方がよっぽど強く、よっぽど使いやすいらしい。その言葉の真偽はさておくとして、彼がこの宝具を好んで使う事はあるまい。何せ、この宝具はランサーが溺愛する兄の死のエピソードに由来しており、つまり、彼のトラウマの再現のようなものなのだから。
【人物背景】
ギリシャ神話において、カストールと共に名前の知られる英雄。
ゼウスの息子であり、ヘパイストスから義手を授かり、ケイローンの弟子であった彼は神霊たちから受け取った技術・能力を駆使して、兄と共に数多の冒険を成し遂げた。あの英雄達の船――アルゴナウタイにも乗船していた事もある。
剣の達人にしてボクシングの名人であるポルックスだが、それ以上に着目すべき点は彼がゼウスの息子であるが故に獲得した、神の不死性である。
神の子であるが故に不死身のポルックスと人間の子であるが故に定命のカストール――この決定的な違いにより、彼ら兄弟はイーダースとリュンケウスとの戦いで死に別れる事になった。
神話においては、カストールの死後、ポルックスは神に願ってカストールに自分の命の半分を譲与し、そのおかげで彼ら二人は交互に天界と地上を行き来し、神として人として生活するようになったと語られている。
この兄弟愛に満ちたエピソードが神々の心を打ち、星座に昇華された物が、十二星座の一つとして知られる『ふたご座』である。
また、このエピソードで完全な神霊から格落ちした事で、ポルックスはサーヴァントとしての召喚が可能になった。
通常ならば、ポルックスはカストールと共にコンビサーヴァントとして召喚されるはずであり、彼が単体で召喚されるのはかなりの異例である。というより、星座としても二人一緒に空に描かれているカストールとポルックスの絆は非常に強固なものであり、そんな彼らの片方だけを単体で召喚するのは殆ど不可能と断言しても良い。
仮にポルックスを単体で呼び出すにしても、セイバーかライダー、バーサーカークラスのサーヴァントとして現界するはずだと思われるだろうが、それは全くの間違いであり、兄を失った直後のエピソードの宝具を携えている彼だからこそ、単体で召喚でき、そしてランサークラスとしての召喚が可能となったのだ。
彼を兄と共に呼び出していたら、それは即ちギリシャ神話に名高い歴戦の英雄を二人も呼び出した事となり、余程マスターが無能で無ければ、召喚時点で彼らの勝利は確約されたものとなっていただろう。ちなみに老倉育はどうしようもない無能である。
【特徴】
蒼色混ざりの緑髪を無造作に短く切ったようなヘアスタイルの青年。瞳は紅。
鍛え上げた筋肉を見せつけるように薄いタイツのような生地をしている、脇下まで開いた黒のタンクトップ。下にはジャージと鎧を足して2で割ったような特殊なズボンを履いている。
【weapon】
『殴り砕け、鉄の拳(ナックル・ヘパイストス)』、『槍/雷霆にて滅べ、我が兄の仇(スピアー・ケラウノス)』
ポルックスは剣の達人としても知られているが、ランサークラスとしての召喚にあたり、剣は座に置いてきた。
【マスター】
老倉育@〈物語〉シリーズ
【能力・技能】
数学が得意
【人物背景】
『終物語(上)』から参戦。彼女はこの巻からシリーズに初登場しているので、この巻さえ読めば、把握は十分。アニメ化もしているので、そちらでの把握も可能。
しかし、後日談にあたる『愚物語』に収録されている短篇『そだちフィアスコ』は地の文が育視点であり、彼女の屈折した内面がよく分かるので、そちらも合わせて読むのもオススメ。
【星座のカード】
ふたご座
【マスターとしての願い】
生還。自分の幸せは自分で叶える。
最終更新:2017年08月08日 09:41