女王蜂の理 > 蜘蛛王の檻

「君は、蜘蛛だね」

 だぁれもいない、地下のアトリエ。
今はいないお父さんが、色々な絵を描いたり、彫刻を掘ってみたりしていた、ほんのちょっと肌寒い、石造りのアトリエ。
お父さんがこの家にいた頃に描いていた途中の絵画の掛けられたイーゼル、その上に、そのお兄さんは器用に腰を下ろしている。
まだら模様がとっても素敵な、朱色のスーツを着た、クモのお面を被る人。お面で隠されていない口元には、微笑みが浮かんでいた。

「……」

 わたしは、思わずクスッと笑ってしまった。クモの人が口にした言葉が、おかしくて、おかしくて。

「? 僕は冗談を言ったつもりはないけどな……」

「ううん。わたし、よく虫に例えられちゃうな、って。それが、何だかおかしくって」

「おや、蜘蛛は嫌だったかい? 僕にとって蜘蛛、と呼ばれる事は褒め言葉何だけどな」

「わたしね、ちょっと前まで『女王蜂』って言われちゃったの。わたしの名前のせいかな?」

 ニッ、と、クモのお面の人の口元に、とても強い笑みが浮かんだ。きっと、わたしの冗談、わかってくれたんだ。

「ねぇ、クモのお兄さん。聞いても良い?」

「フフッ、勿論構わないさ。答えられる事なら、力になろう。それに、君の愛くるしさならきっと、この世界の向こう側の『観測者』も、君の問いに答えてくれるよ」

 時折クモのお兄さんは、わたしとは違う方向に顔や身体を向けて、こんな事を口にする事がある。その方向には、いつだって誰もいないのに。

「なんで、わたしは蜘蛛なの?」

「君がとっても悪い子で、とっても賢い子供だから、さ」

 クモのお兄さんの口にする言葉は、いつだって謎めいている。

「蜘蛛の巣って言うのはね、朧げで、よく見えない。だけど、とても強靭なんだ。だからこそ、獲物の虫がよく引っかかる。引っかかったと虫が思った時には、もう遅い。後はもがけばもがく程、糸が絡まり付いて逃げられなくなる、生き地獄さ」

「ちょうちょがね、クモの巣に引っかかっちゃった時って、わたし、とっても面白く感じるんだ」

「優れた感性を持っているね、君は。さて……人はね、蜘蛛の張る巣と、そんな物を張る蜘蛛の性格を指して、狡賢くて、頭の良い人間が張り巡らせる計画を、蜘蛛の巣と言う事があるのさ。そして――人によっては蜘蛛ではなく、『巣』こそが蜘蛛だと口にする者もいる」

「なんで? クモがいなくちゃ、巣は張れないよ」

「その通り!! だけど、それは自然の世界にのみ当て嵌まる法則なんだ。蜘蛛、と揶揄された人間がいて、彼らが張り巡らせた巣がそこにあった時、蜘蛛と巣が逆転する。巣こそが、本体になるのさ。……だけど、君にはその理由が解らないだろう?」

 コクン、とわたしは頷いた。

「人と言う名の蜘蛛の張る巣は、物語(ドラマ)だ。そして、蜘蛛の張る巣全体の主役は、蜘蛛じゃなくなる。蜘蛛に掛かった獲物と、蜘蛛の巣に掛かりに行く勇者/愚者へと視点が変わる。だって、『獲物が掛かるのを待つだけの者』に、視点を移した所で面白くないからね。賢い君になら、解るだろう? 蜘蛛の巣と言う仕掛け(システム)を張った当人が、その仕掛けの中にいなくなるのさ。そして最期には――」

「倒されちゃうんだね」

 パチパチパチと、クモのお面の人が拍手する。「賢い!! 賢い!!」、喜びの声を、上げる彼。

「『蜘蛛の巣は小虫を捕らえられるが、小鳥は逃す』。この世の理の一つだ。巣を壊された蜘蛛の末路は、蹂躙されて殺されるだけさ」

 そこで、蜘蛛のお面の人は、イーゼルから降りて、わたしを見下ろして来た。
とっても背の高い人。わたしの身長じゃ、その顔を見上げる形になる。

「一目見た時から解ったよ。君が『悪』だって事。悪い巣を張って人々を絡め取るだけじゃなくて、絡め取った獲物を逆に動かして、次々に獲物を増やしていく、悪い娘だって事もね」

「わたし、悪い事なんてしてないよ」

 きょとん、と、クモのお面のお兄さんは、口元を開いたまま、わたしの事を見つめて来た。

「綺麗な色に、なりたかっただけ。人の持ってる『色』を、見てみたかっただけ。そうしたら、みんな黒くなって消えちゃったの」

 そう言ってわたしは、近くにあった姿見に目線を移す。いつも通りのわたしの姿。そして、わたしの目にはいつだって、自分の色が見えない。 
そして、今度はクモのお兄さんの方に目線を向ける。不思議な、人だった。姿とか、お面が、じゃない。この人も、私と同じで――色がなかった。

「お兄さんも、わたしと同じなんだね。自分の色がわからない人。自分のことが、気になっちゃう人」

 「だからきっと――」

「仲よくなれるよ、わたし達」

 わたしが、その言葉を口にした、次の瞬間のこと。
一の字になっていたお兄さんの口元が、三日月みたいにつり上がった。「――あきゃ」、お兄さんの口から、そんな言葉が漏れ出た。

「アキャキャキャキャキャキャキャキャキャ!!」

 そして、お腹を押さえて、仰向けに倒れ込んで、子供が駄々をこねるみたいに足をバタバタさせて。
お兄さんは、たっぷり十秒も、笑い続けた。そして、ゆっくりと立ち上がり、わたしの方を見下ろしてくる。

「君は、僕をそう観測した訳か。うん、面白い面白い!! 楽しい、愉しい!! 君の人となりが、僕には解ったぞ!! そして――」

 お兄さんが、歯を見せて鋭く笑った。

「僕の悪としての側面を求めた事も、僕には解ったぞ。アキャ、アキャキャ!! いいぞぉ、マスター。君が僕にそれを望むなら、紡がれた瞬間、この企画が破滅に至る程の巣を紡いで見せよう!!」

 お兄さんが言葉を一言一言口にする度に、お兄さんの身体を覆う色が、変わってする。
クモのお兄さんの身体を覆う色は、わたしの目には灰色に映る。鉛みたいな色になる事もあれば、ネズミの皮の色になることもある。
かと思えば、墨みたいな黒になる事もあり、カラスの羽みたいに黒くなり、鉛筆の粉みたいにキラキラ輝く黒色にもなった。
だけど、白色には決してお兄さんの色はならなかった。灰色と、黒にのみ、お兄さんの色はグラデーションする。
そして、その時になってはじめて、わたしは気付いた。お兄さんの色は、わたしのように見えなかったんじゃない。――『透明』と言う名の色だったんだ、と。

 クモのお兄さんは、大きく背中を反らし、なんの変哲もない天井を見上げながら、何が楽しいのか解らない様な、高いテンションで言葉を投げ掛けだす。

「さぁさぁお立合いお立合い、『Fate/Bloody Zodiac ■■海底都市冬木』なる奇特な世界にお目を掛けて下さる観測者の皆様方!! OPはこれで最後だと言う発言から舌の根も乾かぬ内に、もうこんな物語を投下するこんな書き手に、どうか愛想を尽かさず今しばらく、三~四年ぐらいはお付き合い頂きたい!!」

 今しばらくの期間が、長いなぁこの人。

「物語は未だ始まりの鐘を鳴らさず、プロローグだけが未だ続くこの企画に失望・落胆は抱きましても、どうかそれを直接口に出さずに、生暖かく見守って頂きたい!!」

 クモのお兄さんが、反らしていた背を元に戻し、わたしの事を見下ろす。
お兄さんの顔ではなく、お兄さんの身体から立ち昇る、灰色を、わたしはジッと見つめていた。

「『悪は敗れ去る』。子供も大人も等しくね。そうと知りながら、僕の悪を求めた君を、僕は愛するよ……」

 「さぁ」、と言って、クモのお面と私の目線が同じ高さになる。
クモのお兄さんは、片膝を付いて屈んで、私と同じ目線で話ができるように配慮してくれていた。

「――みっともなく死ぬ事を覚悟しながら、世界も自分も破滅しちゃうような、黒い蜘蛛の巣を一緒に張ってみようじゃないか」

「クモのお兄さん。それで皆、面白い色を見せてくれるかな?」

「勿論!! 蜘蛛の王様として僕も努力するし、君も、女王蜂として一緒に働けば、素敵な色が見える筈サ!!」

「わぁ、素敵!! 一緒に頑張ろうね、お兄さん!!」

 そうしてわたしとクモのお兄さんは、同じようにきゃっきゃと喜び合った
わたしの懐で、やぎ座のカードが、薄く淡く輝いているのに、わたしもお兄さんも、気付くことはなかった。

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最終更新:2017年08月21日 10:36