「俺みたいな由緒正しいクラシックな商人にとってのかき入れ時、つまり、繁忙期って奴はこれで終えたって訳だ」
およそ元の生物が何であるのか理解が出来なくなる程崩された、デフォルメのへたくそなカエルの仮面を被った、黒髪の男が言った。
ハートのマークが刺しゅうされた白いセーター、緑色の長ズボン。そして、黒色のショートカット。
体格と服装だけを見れば、何処にでもいる普通の男であった。ただ、被った仮面で表情を隠されている事が、彼の神秘性、と言うものをより駆り立てる。
手元でカードを弄ぶ青年は、数m隔てた先で、不機嫌そうな表情と雰囲気を隠しもしない男を、仕方がなさそうに見つめている。仮面の奥では、苦笑いが浮かべられているのだろうか。
「すまなかったな、キャスターの旦那。アンタには随分と速く書け速く書けってケツ叩き過ぎちまった。後は、パブロの奴が上手くやるまで、俺達も休もうや」
カエルの仮面の男から、キャスターと呼ばれた、シャドーストライプの柄が見事なベージュのスーツに、ストライプのネクタイを巻いた、
紳士然とした黒髪の男性は、やはり、緘黙を貫いている。目の前の男とは、話す事など何もない、とでも言う風に。
「おいおい、そこまでご機嫌斜めかい、先生。そりゃあ、確かに、この数日間はアンタにキツい労働を強要させたかもしれないが、その分の休息は――」
「物書きの俺に、執筆以外の労働をさせた事もそうだ。魔力が回復すると言う、馬鹿みたいに不味い肉を振る舞った事もそうだ」
外見に違わぬ、ヒステリックな声音。お気楽そうな、カエルの仮面の男とはあらゆる点で正反対の性格らしい。
紳士の声を受け、「あー……」と、歯切れの悪い言葉を漏らすカエル仮面。思い当たるフシが、あるようだった。
「あの肉は確かに、味の方はバッドでな。悪かった、次からは塩胡椒を用意しておく――」
「だが、俺が本当に気に喰わないのはな、マスター」
ジロリ、と言うオノマトペでもつきそうな、鋭い瞳で仮面を射抜くキャスター。それに、仮面の男は動じる素振りも見せなかった。
「俺を、こんな戯けたイベントに呼び寄せた事だ」
「聖杯戦争の事か?」
「それ以外に、何があると言う」
馬鹿を蔑むような瞳で、キャスターは更に言葉を続ける。
「俺の生涯は、啓蒙と警鐘の為に動き回る人生だった。時に筆を取り、時に辞書を作り、時に科学に手を伸ばし、時に予言をして見たり。色々な事に手を伸ばし、俺は、一つの解を得た」
「へぇ!! 偉大なる先生の辿り着いた解だ!! 気にならない訳がない、是非教えて欲しいな。ホラ、このSSの前の読者も気になってるぜ!!」
「――宇宙は、人に飽いたと言う事だ」
楽しげな空気を発散させていた、カエルの仮面の男から、その空気が消えた。仮面の奥の表情を、窺う事は出来ない。
「神は死に、神を産む宇宙も、既に人を見放している。何らの加護も与えない。後は、そう、運命の河を崩壊と苦痛、死に向かって流されるだけでしかない」
紳士の目線だけは、ずっと、カエルの仮面の方を睨めつけていた。
「意志の強い努力がなくば、人は、怪蛇の流れに呑み込まれ、破滅に向かうだけ。俺は、それを散々主張して来た筈なのに、あの死者を出す力だけは一丁前の大戦は二度も起きた。原子爆弾は二度も落とされたばかりか、奴らは反省もしないで今もポンポン同じ爆弾を作る始末。俺が人生を賭して主張して来た事は、届いてなんかなかったんだ」
捨鉢ではあるが、何処か強い意思が秘められ、何処か哀しげな声音だった。
自分の人生は無駄ではなかったと思う一方で、何の意味もなかったところが確かにあった。そうと認めざるを得ない男だけが発せられる、悲痛な声。
キャスターの瞳には、確かなる怒りと、哀切、そして、諦観が渦巻いている事を、仮面の男は見逃さなかった。
「俺は人に期待していない。破滅の坂を、好きなように転がっちまえば良い。その様子を座とか言う下らん席で眺めているつもりだったのに……貴様は、俺を呼び出して、聖杯戦争の片棒を担がせようとする」
「不服かい?」
「悪事の片棒を担がせようとする事もそうだ。だがそれ以上に、俺に再び希望を見せようとするお前の性根に腹が立つ」
「希望。ホープ、か。本当にそう思うか?」
「お前は意図的に、聖杯戦争にも乗らなそうな奴にも、そのカードを配っただろう」
言ってキャスターは、カエルの仮面の男が弄っている、十二星座の刻印されたカードを注視する。
仮面の男と紳士のキャスターは、キャスターの宝具の力を以って、この不思議のカードをありとあらゆる世界にバラ撒いて来たのである。
仮面の言った、繁忙期、と言うのは正に、このカードをアトランダムに鏤める作業に他ならなかった。
「下らん配慮はよせ。人を見棄てたこの俺に、人の温かさを見せようと世話を焼いたのだろうが、その手には乗らん。人は何処までも、闘争と破滅を愛し、自滅に魅入られた生き物だぞ」
「かもな」
仮面を抑え、男は言った。
「キャスターの言う通り、人類って奴は何処までも愚かで、放っておいても自滅しちまう生物なのかも知れない。だが、そんな性分の奴が『全て』じゃない」
「全体の一割しかいないのかも知れないぞ」
「全部がそうだ、と断言しないんだな。キャスター」
そこで、ピクッ、と紳士は反応した。
「アンタの悲観する様な人間の方が、きっとこの世界には多いのかも知れない。だが、そうじゃない本質の人間が、一割でもいる。それだけで、この世界は救われる余地があるってモンじゃないのかな?」
「……」
「多分アンタも、心の何処かでそうと信じていたからこそ、パブロの御遣いにあくせくする俺を手伝ってくれたんだろ? 推測だが、アンタは心の何処かじゃ、人間は今でも、やり直せるって信じてる。そうだろ、キャスター?」
そこで仮面の男は、己の背後に目線を送る。
非常に大きいスケールをした、精巧な光る金属の枠に収められた、象牙と透き通る水晶体、そして、ニッケルで構成されたマシーンであった。
凄まじく精緻な構造をした、用途も何も皆目見当がつかないその何かは、一目見ただけでは、機械は機械でも、大英博物館辺りに丁重に保管されている、
国宝、或いは重要文化財としか思えない、過去に何かに使われたがその使い道が想像出来ない、美術品に足を踏み入れている何かとしか思えない。
二人は、このマシン(宝具)を使って、時を超え、世界を超え、あらゆる世界に十二星座のカードをばら撒いて見せた。
使うだけで尋常ではない魔力を消費するこれを、カエルの男の持っているアイテムで無理やり魔力回復させ、何度も何度も使用して見せたのである。
「……本当に、そう思うか?」
「ん~……まぁ、な」
後頭部を掻きながら、カエルの仮面の男が言った。
「お前に現実って奴を教えてやる為さ。若きマスターくん」
皮肉っぽく、そのキャスターは言った。
それが照れ隠しである事は、彼のマスターだけではない、誰の目から見ても明白な事だった。このキャスターも、そしてマスターも。人の善性、と言うものを心の何処かで信じたがっている男達なのであった。
最終更新:2017年06月07日 00:32