一口に戦争と言っても、様々な物がある。何も銃弾や砲弾、焼夷弾に戦闘機等、物騒な兵器を持ち出してこなくとも、戦争は様々な形で容易に発生する物だ。それは色恋沙汰であったり、純粋な技能の競い合いであったり、知識を溜め込んだ者同士の新理論の開発合戦であったり。人類の祖先がこの世に生を受けてから今に至るまで、一体幾つの戦争が発生したのかを誰も知らない。誰も、数えられない。それ程までに、戦争と言う概念は世の中にありふれているのだ。
そしてその理論で行くならば、今まさに、男は戦争に身を投じていた。噎せ返るような熱気の満たす部屋の中は、然し気温調節自体は適切に行われているにも関わらず、真夏の密室のように息が詰まる。それはひとえに、中で戦いを繰り広げる者達が極限まで意識を集中させている為だった。全神経をある者は指先に、ある者は目に集中させて、この小さな戦争に没頭している。彼らには大義が有った。決して負けられない理由が有った。
「……汗」
「はい」
速やかな応答の後、全身を露出の少ない防護服やマスクで覆った若い女が、大体似たような装いに身を包んだ黒髪の男の額に浮いた水滴を清潔なタオルで拭う。汗を拭くと言う簡単な行為すら自分でやっている暇はないくらい、彼は今重大な作業を行っていた。ほんの僅かな気の緩みが取り返しの付かない喪失に繋がる、精密機器めいた正確さが要求される作業を。
手にしているのは新品のメスだ。基本的にメスと言う刃物は、市井で売っている凡百の包丁やナイフとは比べ物にならない程切れ味が高く、靭やかな刃物である。細かい操作がし易いように緩やかなカーブの付いた銀刃は、手を僅かに触れただけでも皮膚が切れてしまう程に鋭利だ。逆に言えばそれだけの鋭さがなければ、ヒトの病巣を切開する役割は務まらない。
周囲のスタッフが固唾を呑みながら自分の役目を果たすことに腐心する中、最も重大な役を担う彼は、その中でも一際冷静沈着だった。最低限の緊張はしているのだろうが、それでも身体に強張りや失敗を恐れた震えがない。どんなに優れた医者でも大きな手術となれば身体が僅かに震える物だと言うが、彼にはそれがなかった。それはまさしく、この男が超の付く優秀な外科医である事の証左であった。
淡々と、粛々と、メスが開かれた患者の胴体に潜り込んでいく。やるべき事は分かり切っているのだから其処に動作の淀みは存在しない。かれこれ手術は数時間に渡って続いているが、それでも彼は一瞬とて集中力を切らさずに今この時を迎えている。最も経験の浅いスタッフは、思わずその姿に憧れの念を抱いた。
切るべき箇所を切り、繋ぐべき場所を繋ぎ、処置に欠陥がない事を確認してから開いた胴を閉じる。全身麻酔が効いて静かに眠りこけている患者の顔色は健康そのものだ。その体温を確認しても、やはり目立った異常はない。安堵の空気が立ち込め始める中、やっと医師(ドクター)たる彼はマスクを少し下げ、口許を外気に露出させた。
「終わりだ。ご苦労」
その言葉が、この"小さな戦争"の終幕の合図だった。敵は、病。それと戦うのは、人類。
此処は市内で最も大きく、膨大な数の入院患者を抱える大学病院。風邪を拗らせた、手足の骨を痛めた等の軽い症状で入院している者もあれば、中には当然明日を生きられるかも定かではない重病を抱えて入院している者も居る。そしてそうした人物の多くは生きる為に病魔の排除を望み、こうして大きな手術を受ける。
本日七時間にも及ぶ大手術の対象となったのは、心臓疾患を患った十代後半の若者だった。一見すると特に危なげなく処置が完了したように見えるが、彼が受けたのは失敗の危険が当たり前に存在するれっきとした難手術だ。勤務歴の長い医師でさえ受けるのに難色を示し、ベテランのスタッフでも普段の数倍の緊張を強いられる、本来であればこんな辺鄙な地方都市で行うべきではない難行。
だが、手術は無事成功した。目的は恙なく達成され、後顧の憂いも断ち、今後も最低数年は通院必須となるだろうが、それでも件の若者がこの疾患を原因に命を落とす可能性はかなり小さくなった。医師の世界全体で見れば小僧と呼ばれてもおかしくない若き外科医の手で、憐れな青年の命は救われたのだ。
◇ ◇
処置が終わり、患者の家族に成功した旨を伝えると、彼らは涙を流しながら医師たる男に感謝した。
貴方のお陰だ、貴方のお陰で息子の命は救われた。ありがとう、本当にありがとう――そんな感謝の言葉に、医師として当然の事をしたまでですと苦笑しながら謙虚な答えを返し、その場を後にする。然し患者の関係者の視界から外れた途端、医師の顔は誇らしさや達成感とは無縁の物に変わった。
それは自嘲するような、自分自身に呆れ果てたような、そんな表情。
人間誰しも自分が可愛い。自分が物凄い難行を成し遂げたなら、喜びのままについ自分を褒めてしまう物だ。それはごく普通の事であり、何もおかしな事ではない。されど、
夏目吾郎と言う医者には一切、そうした人間らしい喜びは見えなかった。それどころか、何故こんな事をしているのだろうと、自分が誰かの命を救った事実さえ否定している風に見える。
「子供かよ、オレは」
夏目吾郎は知っていた。この世界の真実と、此処に生きる人々の真実を。だからこそ、自らの非合理的極まる行動の数々に呆れと苛立ちが止まらない。――彼は医者だ。医者とは知識とメスで人の命を救い、その者を死や破滅から遠ざける職業。故に誰かの命を救う上で全力を尽くすのは、至極当然の事である。
夏目自身、其処に異論はない。彼はどんな簡単な手術でも決して手を抜く真似はしないし、散漫とした気持ちでメスを握る医者は疑いようもなく屑だろうとすら思っている。……が、それはあくまで生きた人間が相手の場合に限った話だ。
この冬木市に、本当の意味で"生きている"人間がどれ程居るだろうか。精々数十名が良い所だろう。所詮この世界はこれから行われる"戦争"の為に用意された試合場であり、選手として選ばれた者以外はその誰もが戦いを彩る為のオブジェクトでしかない。其処に、人間の生命は存在しないのだ。有るのはプログラムされた人格と、同じくプログラムされた生命反応のみ。全てが終われば泡と消え去る、淡い幻影以外の何物でもない。
それをわざわざ長い時間と労力を費やして延命させ、感謝を貰って何になる? 答えは、何にもならない。少なくとも夏目はそう思っていた。
何度も何度も同じ事を考えてきたと言うのに、どうして自分は無意味な救いを繰り返してしまうのだろう。医師の誇り等、願いの為に他の命を踏み越えると決めた時点で捨て去った筈なのに、何故この期に及んで茶番劇に現を抜かしているのか皆目解らない。自分の為に人を殺す、この世から消滅させる、許されざる蛮行への免罪符とでも言うつもりなのか。
「……だとしたら、オレもつくづく救えない屑野郎に落ちぶれたもんだ。いや、そもそも元からか?」
うはは、と乾いた笑い声を無人の回廊に響かせながら、夏目吾郎は屋上へ続く階段を登る。
白衣の下から覗く右手には、医師にあるまじき赤々とした刺青が覗いていた。勿論こんな物が見付かった日には、二重の意味で大変な事になる。間違いなくお上からはお叱りを受けるだろうし、自分と同じように"戦争"に参じた正真正銘の生きている人間に見られれば最悪一発で破滅だ。前者は未練を断ち切る意味では悪くないような気もしたが、流石に職を失った状態で戦争に臨むのは気が引けた。
今のところは上手く隠し通しているが、今後はどうやって隠していこうか。そんな益体もない事を考えて気を紛らわしながら、屋上へ続く扉を開き、無限に広がる夜空の見下ろす野外へと踏み出した。空気が旨い。身体の隅まで冷たく透き通った空気が浸透して、疲れが幾らか薄まるような錯覚を覚える。プラシーボ効果様々だ。
「――終わったのかい、仕事は?」
「……ああ。流石にあれだけの大手術ともなると体力を使う。今日はぐっすり眠れそうだよ」
屋上には、先客が居た。尤も、時間が時間だ。当然、気晴らしに外に出てきた入院患者等ではない。
いや――それ以前に、彼女の身なりを見れば誰もが外部の人間である事を一目で理解するだろう。或いは幽霊扱いをされてもおかしくはないかもしれない。それ程までに、その少女は浮世離れした装いと出で立ちをしていた。少なくとも現代に於いては、コスプレイヤーか人外のモノとしか認識して貰えないだろう姿だ。
上質な絹を思わせるきめ細やかな白髪に、宝石みたいな深紅の瞳。頭の背部には大きなリボンが一つ付いており、サイズは小さくなるものの毛先の方にもそれが確認できる。衣服は白のカッターシャツともんぺのようなズボンで、その各所に本物の護符が貼り付けられている。特にズボンは、指貫袴の形に酷似していた。見る者が見たなら、それが貴族の生まれでなければまず身に纏えない超の付く上等な袴である事が見て取れたろう。
「お前でも手を焼くくらいの難行だと聞いてたが、随分あっさり終わったんだな。拍子抜けだったか?」
「まさか。聞いてた通りの難手術だったよ。ありゃ確かに、此処の人材じゃ荷が重いだろうな。オレみたいな新参者が見事に成功させちまったもんだから、先輩風吹かしてたジジババ共はやけ酒の一杯でも呑みたい気分だろうさ。うはははは」
「ふーん。私は医者の世界はよく知らないけど、良かったじゃないか。もっと嬉しそうにしたらどうだ、お前の腕が認められたんだぞ?」
「そんな大した物でもねえよ。……オレはまあ、アレだ。前に何度か、もっと悪夢みたいな有様の心臓を診た事があるんでな。そっちで慣れてたもんだから、今回はその経験が活きて上手くやれたってだけだ。自慢するような事じゃない」
それに、と夏目は付け加える。
その口許は、やはり自虐的な笑みを湛えていた。
「結局、どれだけ上手くやろうが全ては無意味だ。オレが此処で費やした時間も労力も、無駄以外の何物でもない」
「そんなもんかねえ」
「そんなもんだ。人形相手の練習と何も変わらないだろ、こんなの」
あくまで無意味と譲らない夏目に、少女は面倒臭い男だなあ此奴と、ぼんやりそんな感想を抱いた。
"戦争"……もとい"聖杯戦争"の参加者の証である刻印、令呪を持つ夏目吾郎と親しげに語らうこの少女は、当然冬木に生きる有象無象の人形達とは訳が違う存在だ。更に言えば、彼女は夏目のように『鉄片』を手にし、この地に招かれたと言う訳でもない。呼び寄せられたモノであると言う一点に関しては、彼女も夏目と同じでは有るのだが。
彼女は、夏目吾郎によって呼び寄せられた存在だ。召喚された、と言った方が通りは良いかもしれない。即ち、夏目と言うマスターに使役されるサーヴァント。彼が聖杯を手に入れる為に他のサーヴァントと戦い、それを蹴散らす事を使命に持つ人外の存在。――焔纏いし、不死の鳥である。
「……そう言えばずっと気になってたんだけどよ、おまえって不死身なんだろ?
オレは聖杯戦争関連の話に其処まで詳しい訳じゃねえんだが、"死なない"存在ってのは、そもそも英霊の座に登録される事自体ないって話じゃなかったか? それともオレが知らないだけで、何かおまえを殺す手段みたいなのが実はあったりするのかよ?」
「あー、それね」
若干重い空気が漂い始めた所で、夏目は前々から気になっていた疑問を彼女にぶつける事で話題の転換を試みた。
実際、この白髪の少女がこうしてサーヴァントとして此処に居るのは妙な話なのだ。
彼女は、"不死者"である。長命だとか何らかの逸話の比喩表現だとかでは断じてない。彼女は生前、とある一件をきっかけに死と言う概念の外側を生きる存在となった。老いることはなく、怪我をしても常人の何倍もの速度で傷が癒え、更には極論魂さえ残っていれば肉体がなくなっても即座に再構築して復活出来る。つまり、彼女は滅びると言う事を知らないのだ。そしてそれは必然、彼女が英霊の座に登録されていない事を意味していた。
正規の人類史にも、彼女と同じような理由で英霊の座に居ない人物は少なからず存在する。例えば影の国の女王・スカサハ。例えば、アヴァロンに幽閉された事で死する運命から弾き出されてしまった花の魔術師・マーリン。彼女も存在の格や規模こそ違えど、彼らと似た事情を抱える英霊に他ならない。
然し、彼女は確かに今此処に、サーヴァントとして存在している。霊体化も問題なく出来るし、少なくとも今の所はそれで何か行動に支障が出た試しはない。問題は、現界してから今日に至るまで一度も戦闘を行っていない事なのだが――其処についても、多分大丈夫だろうと少女は考えていた。
「はっきり言うと、そこんところは私にもよく解らん」
「分からん、ってお前な。其処はきちんと把握しておいてくれないとこっちとしては不安なんだが」
「仕方ないだろ、解らない物は解らないんだから。こちとらいつも通りに朝を迎えて、昼になって、夜になったと思ったらいつの間にかお前に召喚されてたんだよ。聖杯戦争なんて聞いたこともないってのに頭の中にはバッチリ知識が入ってるし、混乱したのは私の方なんだぞ。
だから、まあ……あれだよ。多分私の召喚のされ方はお前に近いんだ、吾郎。私は切符は貰わなかったけど、その代わりに脈絡もなく突然聖杯から召喚されたって訳。傍迷惑な話だよ、全く」
確かにな、と夏目はそれに同意する。
自分は聖杯戦争に乗る事を決めた身だからまだ良いが、あの召喚の仕方ではまず間違いなく、戦う気がないのに巻き込まれてしまう不運な者が出て来るだろう。眼前の彼女も、サーヴァントかマスターかと言う違いこそあれどそれと似ている。不死者なりに普通に暮らしていたら、突如知識だけ与えられて聖杯戦争なんて剣呑な儀式の場に放り出されるなんて、まさしく傍迷惑としか言い様のない話だ。
「でも、本当に良いのかよ? 意図せず巻き込まれたってんなら普通、とっとと抜け出して帰ろうって話にならないか?」
「退屈凌ぎと思えば、これはこれで悪くない。聊か過激すぎるきらいは有るが、それはそれで気力が湧いてくるからな」
「何の気力だ?」
「そりゃ当然、生きる気力だよ」
夏目は屋上の手摺に背を凭れさせながら、内ポケットから取り出した煙草に火を点ける。
病院は言うまでもなく全面禁煙だ。屋上での喫煙も、褒められた事では決してない。
「自分のしぶとさは私自身よく知ってる。たとえ負けて消滅したって幻想郷に帰るだけだ、何も問題ない。それに」
「それに?」
「仮に私が滅ぼされる事が有ったとしても、それはそれで悪くないからな。蓬莱人なんて言っても、所詮其処までの奴だったってことさ」
マスターがマスターなら此奴は本当に信用出来るのかと疑念を抱いてもおかしくない台詞だが、夏目としては彼女のそんなドライな部分も含め、やり易い相手と言う認識だった。寧ろ従者として礼を尽くされる方が落ち着かなくて扱い難い。その点この不死者――蓬莱人の彼女は、実に話していて落ち着く相手であった。
百害有って一利なしと糾弾される、有害物質のしこたま詰まった紫煙を吐き出して、夏目は彼方の方を見据えた。冬木を囲う球状結界の、その彼方。曰く最後の二組まで主従の数が減った時、結界が消え、"黄金の塔"なる建造物が出現するのだと言う。そして塔の頂上に、万能の願望器は降臨するらしい。
静寂が流れた。十秒だったかもしれないし、一分はお互い黙っていたかもしれない。先に口を開いたのは、夏目だった。
「なあ、ライダー。一つ聞いてもいいか」
草臥れた老人のような、人生の酸いも甘いも知り尽くしたが故の疲れ切った声。
ん、と声を出した彼女……サーヴァント・ライダーの方を、夏目吾郎は振り向かない。
今はまだ何もない冬木の外を見据えたまま、大分短くなった煙草を指で挟んでいた。
「死なないってのは、どういう気分なんだ」
「……そりゃまた、今更な話だな。どうしたんだ、急に?」
「仕事柄、どうしても人の生き死にに関わる場面は多いんだよ。自分で言うのも何だけど、オレは外科医の中では腕の立つ方だと自負してる。それでも、尽くせる限り完璧に処置したって、どうしても救えない命が有る。現に沢山有ったよ、これまでな。人はいつか死ぬ、必ず死ぬ。それをよく知ってるからこそ、気になるんだよ。
教えてくれよ、ライダー。"終わりがない"ってのはどんな気持ちなんだ? 生きて、生きて、生きて――何の不安もなく生きて、病む事も突然命が終わる事もない。当然寿命もないから、いつか訪れる結末に怯える必要もない。そう言う生涯ってのは、やっぱり快適なのか?」
「まさか」
ライダーは、その問いに即答した。馬鹿な事を言うなと、子供の妄言を笑い飛ばす大人のようにあっさりと、終わらない人生を否定してみせた。
「退屈だよ、死なない生ってのは。何せ老いない、朽ちないのは身体だけだ。精神はどんどん擦れて行くし、現に私も昔と今じゃ随分性格が変わった自覚がある」
「……そうか」
聞かされた夏目の声は、どこか残念がっているようにも、納得しているようにも聞こえた。
本当の所は果たしてどちらなのか、ライダーには解らない。只、きっと両方なんだろうと彼女は思う。夏目は心の何処かで死と言う概念から切り離された生涯が幸福である事を望んでおり、同時に、そんな歪な生涯で幸福を味わえる筈がないと冷めた考えも持ち合わせている。実際の所、それは当たっていた。彼は今落胆しつつ、安堵している。本来絶対に重なる訳がない感情が、彼の頭の中で奇妙に両立しているのだ。
「……お前の願い事。何となく今まで聞いてなかったけど、流石に今ので解ってしまったぞ」
「へえ?」
「お前、"終わった"誰かを引き戻したいんだろ」
夏目は答えない。ライダーから彼の表情は見えないが、彼は今、悪戯がバレた子供のような顔をしていた。
またやや暫くの沈黙が有ってから、「よく分かったな」と苦笑混じりに夏目は返す。それから彼は、ゆっくりと語り始めた。自分の過去、失敗、願い。人を救う使命をかなぐり捨ててでも引き戻したい、ある女の話を。
「何しろ見ての通りの二枚目だ。オレは昔、とびきりいい女と結婚しててな」
――夏目吾郎と言う男の人生は、一言で言えば"勝ち組"の方に分類出来る。
顔良し、頭良し。何か複雑な身の上な訳でもなく、虐めに遭うような性格はしていない。犯罪に手を染めるなんて馬鹿な真似はせず、適度に遊んで適度に将来設計を組みながら、誰が聞いても羨むような順風満帆の人生を歩んできた。
そんな中、彼が出会った一人の女。二人は馬が合い、高校生の頃から付き合い始め、大学卒業と同時に結婚した。医学の道に進んで間もない忙しい時期には、暖かい食事を作って待ってくれている彼女の存在がとても大きかった。大変な事は山のように有ったが、それでも夏目はあの頃の時間を幸せだったと断言出来る。
そして当時の彼も、そうだと信じて疑わなかった。生きている限り人には誰しも終わりが有り、その長さは一定ではない。生命の歯車が狂う時はある日突然やって来る。その事を知らないまま、阿呆面を提げて毎日を過ごしていた。
「死んだのか」
「死んだ。突発性拡張型心筋症――なんて言っても分からねえか。難病だよ、それにやられてな。頑張って持ち堪えてたんだが、やっぱり駄目だった」
妻を亡くした後も、夏目は医者を続けてきた。
聖杯戦争の舞台に踏み入るまで一度も、メスを置く事はなかった。
「それから色んな事が有った。助けた命も沢山有るし、助けられなかった命も沢山見てきた。
……此処最近は暫く厄介な女の子にかかりきりでな、オレから見ても悪い冗談みたいな容態だったんだが――よりによって其奴にべた惚れした、昔のオレみてえな馬鹿なガキが出てきた。大人気ない嫌がらせも随分したのに、あのガキ、とうとう最後まで諦めなくてな。オレの方が根負けしちまった」
「……で、それからけったいな鉄片に触れてしまったと」
「そう言う事だ。あれさえ掴まなければ今頃、オレは海外で敏腕ドクターの名を恣にしてたんだがな」
夏目は、馬鹿な少年を止められなかった。
夏目がどれだけ嫌がらせをしても、突き放しても、現実を思い知らせても、彼は何度でも起き上がってきた。
彼は、昔の夏目吾郎等ではなかった。それよりもっと強く、前に進む足を持った勇者だった。
敗者は潔く去るのが流儀。夏目は当初から話の来ていた海外への渡航を受ける事にし、彼と彼女の下を離れる事にした――その矢先の事だ。書類整理をしている時、偶然小さな鉄の欠片に触れた。それこそが、『鉄片』。電脳の冬木市への入場切符。願いを叶えると言う、甘い誘惑。
「彼奴が死んでから何年も経つ。なのにいざ願いが叶うって言われると……諦めきれなくてなあ。
もしも願い事が一つ叶うならなんて妄想、それこそ何百回もして来たんだぜ。今なら流石にオレも大人だ、馬鹿げた答えは口にしないと思ってたんだが――オレは本当、我ながらどうしようもない男だよ。何せ未だに未練たらたらだ。抱いちゃならない感情だと解っちゃいたが、それでもやっぱり無理だった」
「…………」
「オレは聖杯に頼りたい。……どんな汚れた奇跡に縋ってでも、彼奴を、小夜子を、取り戻したいんだ」
「……泣くなよ、いい大人が」
「馬鹿野郎、誰が泣くかよ。オレぁもう三十近いんだぞ」
あれ程勇ましく執刀していた敏腕ドクターの背中は、小刻みに震えているように見えた。
その姿はまるで打ちひしがれ、一人部屋の隅で丸まって泣く、思春期の子供か何かのようで――
「良いよ、やってやる。どうせ最初からそのつもりだしな」
それを受けたライダーは困ったように、小さく笑った。
「サーヴァント・ライダー。真名を、
藤原妹紅。お前が奇跡を願う限り、私は不滅の炎でそれに応えてやる」
"死"に奪われた男と、"死"を奪われた女。
全ては終わりを巻き返す為。何年も前に訪れた一つの結末を、数年越しの奇跡で覆す為。
「格好つけやがって……でも――そうだな。頼む、ライダー。オレにもう一度だけ、"間違い"をさせてくれ」
「了解だ。生憎こちとら、間違う事は人一倍得意なんでね。何せ存在からして間違いだらけさ」
半分の月が見守る贋作の街にて、彼らは輝く炎の戦徒となる。
【クラス】
ライダー
【真名】
藤原妹紅@東方Project
【ステータス】
筋力D 耐久EX 敏捷A 魔力B 幸運D 宝具C
【属性】
中立・中庸
【クラススキル】
対魔力:D
一工程(シングルアクション)による魔術行使を無効化する。魔力避けのアミュレット程度の対魔力。
騎乗:D
騎乗の才能。大抵の乗り物なら人並み程度に乗りこなせる。
【保有スキル】
不死:A+
文字通りの不死、不滅の存在である。
ライダーは通常のサーヴァントの何倍もの自己再生能力を備え、決して完全な形で滅ぼすことは出来ない。
だがこれはあくまで"生命として"は死なないというだけで、肉体としての死やそれに伴う痛みや熱などは普通のサーヴァントや人間と全く同じように感じる。ただ裏を返せば彼女は単純な不死殺しでは殺されることがなく、不死殺しをぶつけるにしても魂レベルで効果を及ぼす物でなければ通用しない。
また、彼女のように『蓬莱の薬』を服用することで後天的に不死者となった存在を、『蓬莱人』と呼ぶ。
戦闘続行:A
往生際が悪い。
瀕死の傷でも戦闘を可能とし、決定的な致命傷を受けない限り生き延びる。
妖術:A
彼女はかつて妖怪退治を生業としていた為、様々な妖術を高い水準で身に付けている。
主に炎を操る形で使用するが、その他にも御札や陰陽術といった対妖怪の様々な術を駆使することが出来る。
宝具でこそないものの、その火力は極めて高い。
魔力放出(炎):B
武器・自身の肉体に魔力を帯びさせ、瞬間的に放出する事によって能力を向上させるスキル。
このスキルは前述したスキル『妖術:A』の影響によるものである。
ライダーの場合主に放出した魔力は飛行時の加速や攻撃の火力増加に用いられる。
【宝具】
『死なない程度の能力(リザレクション)』
ランク:C 種別:対人宝具(自身) レンジ:- 最大捕捉:1
不死なる蓬莱人、その"復活手段"が宝具として昇華されたもの。
自分の肉体が死亡した時、生き残った魂を起点に任意の場所で新しい肉体の再生・再構築――文字通り『リザレクション』を行うことが出来る。この際マスターに掛かる負担は単に復活するだけならばまだ連発できるレベルのものだが、復活位置が離れていればいるほどそれが膨れ上がっていく。
Dランクまでであれば他人の陣地や結界の内側にもこの宝具で侵入を果たすことが可能。但し心象風景・固有結界への侵入はそのランクに関わらず不可能。
この宝具が何らかの理由で使用できなくなった場合、ライダーは復活することが出来ず、そのまま聖杯戦争の舞台から消滅することになる。
【weapon】
妖術
【人物背景】
迷いの竹林に住む不老不死の蓬莱人。
かつて蓬莱の薬を服用して不死者となり、それから幻想郷に行き着くまでの間、孤独な流浪生活を送る羽目になった。
その性質上、ライダーは死ぬことがまず無いため聖杯戦争には召喚できない。今回の彼女も英霊の座から呼び出されるのではなく、彼女の住まう土地――幻想郷から直接召喚されている。言ってしまえば、イレギュラーな存在の一人。
【サーヴァントとしての願い】
聖杯に興味はないが、吾郎の願いを叶えてやるのは吝かでもない。どうせ死なんし、帰るだけだし。
【マスター】
夏目吾郎@半分の月がのぼる空
【マスターとしての願い】
小夜子の蘇生。もう一度だけ、オレは間違う。
【weapon】
特になし
【能力・技能】
天才と呼ばれる程の卓越した医術の腕を持つ。
【人物背景】
かつて愛する女を亡くし、それから一人の少女といけ好かない少年に出会い、彼らの奇跡を見届けた男。
【方針】
戦闘はライダーに任せつつ、自分は情報収集に徹する。
最終更新:2017年06月10日 21:02