穂群原学園、三年C組。其処で一人の教師と生徒が向かい合い、机の上にノートと教科書を広げて補習授業を行っていた。
時計の針はもうじき五時を回る。一日の授業はもうとっくに終わり、部活動や委員会と言った特殊な事情がない生徒達は自宅に帰り着いている頃だ。現に遠くの方から運動部の走り込みの音や吹奏楽部の演奏が聞こえてくる以外は、人の声も物音もない。教室の中には、暖かな夕陽が射し込んでいた。
「それで、此処の文法はこう考えてみると解けると思うわ。大事なのは目先の部分だけじゃなくて、ちょっと先の文章も見てみることよ」
「なるほど……よし、やってみるね!」
国語教諭らしい女教師は、ペケの付いた設問に赤マーカーを這わせ、女生徒が理解しかねているらしい文法問題についてアドバイスを与えてやる。答案用紙に記されている点数はお世辞にも良い物ではなかったが、既に間違った問題は半分以上解き直されて、青マーカーで丸が付けられていた。この事から察するに、補習の進みはなかなか順調なようである。
然し――少し前までは、こうではなかった。その事を、女教師は知っている。
今目の前で四苦八苦しながらも一生懸命解き直しを行っている彼女は、言ってしまえば、余り出来の良い生徒ではなかった。だからと言って女教師が彼女を差別した事は一度も無かったが、苦労させられていたのは事実だ。単純に成績が悪い、覚えが悪いだけなら極論時間次第でどうにでもなるが、彼女にはそもそもやる気と言う物が欠けていた。いつもつまらなそうに時間を過ごしている、そんな生徒だった。少なくとも数日前に会った時は、そうだった筈だ。
だが、今の彼女はどうだろうか。自分から積極的に失点した箇所に挑み、自分の説明やアドバイスを真剣に聞き、迷走しながらも自分の力で答えを導き出している。其処には数日前までの彼女には見られなかった、前向きなやる気と明るさがあった。それを見て思わず口元に笑みを浮かべ、女教師は口を開く。
「ねえ、ゆきちゃん」
「ん? なあに、めぐねえ?」
「……最近、なんだか変わったわね」
"ゆき"……
丈槍由紀と言う少女は、まるで別人のように変わった。
そう思っているのは何も、こうして補習を行っている国語教諭の彼女……"めぐねえ"こと、佐倉慈だけではない。
他の教科を担当する教師陣や彼女の担任教諭、果てには以前まで陰口を叩いていた少女のクラスメイト達まで、等しく彼女の変化を認識していた。只、面と向かってその変化を指摘した人間は、正真正銘この佐倉慈が初めてだ。由紀にとって慈は間違いなく一番身近な教師だったが、慈にとっても由紀は全生徒の中でも一際身近な生徒だった。
「えへへ……そうかな?」
変わったわね、と言われた由紀は一瞬ぽかんとしたような顔をして、それから気恥ずかしそうに苦笑してみせた。
その笑顔が既に、以前の彼女には見られなかった要素だ。以前までの丈槍由紀と言う少女は、とてもじゃないが学校生活を楽しんでいる風には見えなかった。特に目立って友達が居る訳でもなく、いつも無気力で退屈そうにしていたのをよく覚えている。そんな彼女を揶揄したり、見下したりする者も決して少なくなかった。
とはいえ、そういった声は日に日に少なくなっている。と言うのも、由紀は此処何日かで驚く程明るくなった。
つまらなそうに過ごしている時間は減り、自分から今までそれ程仲良くなかった人物にも積極的に話しかけていくようになった。明るく愛嬌を振りまく彼女は、早くもクラスのムードメーカー的存在となり始めていると、慈は彼女の担任からそう聞いていた。
それは紛れもなく良い事だ。生徒が、限られた青春の時間を思う存分満喫出来るようになった。その事を喜ばしく思わない人間等、まず居ない。が、それはそれとして。何が彼女を此処まで変えてくれたのか、気にならないと言えば嘘になる。余程良い事が有ったのか、それとも何か大きな転機となる出来事が有ったのか。
無論、後者ならば下手をすると彼女のプライベートに大きく関わるデリケートな話になってくる。慈も気になるとはいえ、好奇心のままにずけずけと質問する気にはなれない。だが慈が何か質問する前に、彼女は自ら話し始めてくれた。学校を楽しめるようになった、少し不思議なきっかけを。
「あのね……夢を見たの」
「夢?」
「そう、夢。とっても――とっても怖い夢だったんだ」
由紀は何処か遠くを見るような目で、教室の窓の向こうに見える、夕焼け色に染まった空を見据える。
物凄く多くの大変な事を乗り越えてきた、或いはそういう物に挑んできた、そんな人物がする目だった。
「当たり前の事が当たり前じゃなくなっちゃって、毎日が危ない事と怖い事だらけ。本当に安全な場所なんて何処にもない。そんな町の中で……友達と一緒に学校で暮らす夢」
「それは……確かに怖い夢ね」
「本当だよ~。でもね、怖かったし不安だったけど、私――」
――今でも、昨日の事のように思い出せる。
「楽しかったんだ。辛いことは沢山有ったけど、皆が居たから楽しかった」
見慣れた街並みのあちこちに彷徨く"かれら"。嘗ては確かに自分と同じ人間だった筈なのに、自我を失った怪物に成り果ててしまった者達。それから逃げ、隠れながら、必死に毎日を過ごしていた。目を背けてばかりの自分を皆が助けてくれて、可愛い後輩も出来た。大変な事は山のように有って、悲しい事も数え切れないくらい有ったけど、それでも皆で過ごした時間はかけがえのない物だったと、丈槍由紀は信じている。
覚めれば段々忘れてしまうのが常で有る筈の、夢。にも関わらず、由紀の語り口には妙な熱が有った。然し慈は、それは本当に夢の話? とは訊かなかった。良かったわねと微笑んで、教え子の成長を喜ぶだけ。そんな彼女を見る由紀の目は、一転して何処か寂しそうな物であった。
「……夢には、めぐねえも出てきたよ」
私も? と言う慈の問いに、由紀はこくんと頷きを一つ返す。
その瞳はやはり寂しげな色を湛えていたが、それを目の前の彼女に悟らせまいと笑顔を浮かべて誤魔化してみせる。
気を抜くと涙で瞳が潤みそうで、気が気ではなかった。
「夢の中のめぐねえも、ずっと私を助けてくれたよ。めぐねえが居なかったら、きっとダメになっちゃってたかも」
「へえ……何だか嬉しいな。先生、ゆきちゃんを助けてあげられたのね」
「うん、いっぱい助けてくれたよ! それでね、夢の中の学校で――」
「こらこら、手が止まってるわよ。後で聞いてあげるから、まずはこのテストを解き直しましょ?」
そう窘められると、痛い所を突かれた、と言うような顔を浮かべて呻く由紀。
数日前までは想像も出来なかったコミカルな動作に、慈は思わずぷっと吹き出してしまう。
幸せな光景だった。教師と教え子の理想的な関係が、黄昏の教室に存在していた。
夢の話を打ち切ってペンを持ち、再び答案用紙に向かっていく由紀と、それを優しく見守る慈。
さあもう一頑張り、と言った所で。不意に由紀が、慈の事を呼んだ。
「ねえ、めぐねえ」
「ん、なあに? 何処か解らない所でも有ったかしら?」
由紀は顔は上げず、ペケの付いた文法問題をじっと睨み付けている。赤マーカーが引かれ、添削された部分に答えを書いては消してを繰り返しながら、彼女は愛しい"恩師"に向けて、その言葉を口にした。それはずっとずっと言いたかった言葉。本当にずっと前から、もう一度で良いからこうして直接顔を合わせて言ってあげたかった言葉だった。
「――ありがとう」
――丈槍由紀と言うマスターは、とっくに全てを思い出している。
自分の世界で何が起きて、誰が居なくなったのか。不良だとか何だとかで誤魔化してきた"かれら"が一体どういう存在なのか。此処は何処で、何をする為に自分はこの見慣れない街で学生をやっているのかも、全部知っている。全てを思い出したからこそ、いつかの日のように無気力な学生として日々を過ごしていた彼女は、"変わる"事が出来たのだ。もとい、"元の自分に戻る"事が出来たのだ。
そしてそれは当然、この幸せで穏やかな日常が偽りだと認識している事に直結する。そう、由紀は知っている。冬木市に暮らす自分の家族も、学校で出来た友達も、……目の前の大好きな"めぐねえ"も。全員、自分の記憶を元に作り出された偽物でしかない。それらは皆、全てが終われば消えてなくなる泡沫の幻影であるのだと。
丈槍由紀の生きる現実は、既に滅びたあの街だ。恐るべき"かれら"が跋扈し、どれだけの人が生き残っているのかも定かではない、あの悪夢みたいな街こそが真実である。
その事を思い出した時、由紀は酷く動揺し、狼狽した。トイレに駆け込んで胃の中の物を全部便器に吐き出したし、その日の晩は一睡も出来ずに布団の中で丸まっていた。自分がこれまで退屈だ退屈だと思って過ごしていた世界が、本当の世界よりもずっと幸せで穏やかな物だと言う事を理解したダメージは尋常じゃなく大きかった。
家族は居ない。生きているのかどうかも解らない。
クラスメイトは居ない。同じく、生死すら解らない。
大好きな"めぐねえ"は――死んでいる。最期まで生徒に尽くし、導いて、その末に"かれら"の一体になった。
現実を受け入れるのは容易ではなかった。
それでも由紀は、これを受け入れねばならなかった。
何故なら、この世界で何もかも忘れて学生生活を送り続けた所で、その末に待っているのは無慈悲な消滅でしかないからだ。そう言う意味では、由紀に選択肢など端から与えられてすらいない。全てを受け止めた上で踏み出す勇気が無ければ、この虚構では生きている事すら許されないのだから。
では、そうしなければ死んでしまうからと言う消極的な理由で、由紀は現実を受け止めたのか? 答えは、否である。彼女にはもう一つ、現実を受け入れる理由が有った。どんな辛い記憶も真実も直視して、心を傷付けながらでも頑張らなければいけないと気付いてしまった。
あの世界で生きていたのは、自分だけではない。もしそうだったなら、自分はとっくに死んでいる筈だ。
いつも自分の周りには仲間が居た。どんな時でも支え、助けてくれる、最高の友達が居てくれた。
由紀は願う。皆を、助けたい。皆で、幸せに生きたい。正しい日常を、元通りの暮らしを取り戻したい。
その願いを自覚した時には、既にやるべきことは決まっていた。当たり前の事をするだけだ。……とても辛く気の重い、だけどやらねばならない当たり前の事を。
(りーさん、くるみちゃん、みーくん、元気でやってる? ――私は今、ここにいます)
由紀の右腕に巻かれた包帯。
周りには火傷をしたと誤魔化しているその下には、三画の刺青みたいな刻印が有る。
見る者が見たなら一瞬で由紀をどうすべきか理解するだろう、とても重大な意味を持つ刻印が。
(……待ってて。必ず――皆のしあわせを、持って帰ってみせるから)
ここは冬木市、穂群原学園。
ここには夢がちゃんとある。
でも、もう夢を見ちゃいられない。
――だからこそ、最後にとびっきりの夢を叶えよう。皆で笑い合って当たり前の時間を過ごす、とても幸せな眩しい夢を。
◇ ◇
「――下らぬな。汝、本当に己の立場が解っているのか?」
月光の射し込む室内に、尊大不遜な女の声が響いた。
その声は幼い少女のようであり、然し老獪な魔獣めいた重みも帯びている。
時計の針は、既に午前零時を回っている。宵と闇の支配した深夜帯は、遥か昔よりまつろわぬ妖かし共の蔓延る時間と相場が決まっている物だ。そして今辛辣な言葉を吐き出したこの少女もまた、そう言う存在に他ならぬ。それも、末端の小妖怪等とは比べ物にならない鬼の中の鬼。欲するが儘に奪い喰らう、人倫の通じない怪物。それこそが、彼女だ。
それに対して暢気に今日学校で有った出来事を報告して微笑んでいると言うのだから、丈槍由紀は実に命知らずな娘と言える。当然、人間やその営みを蔑視する鬼種からはこの通り、冷たく鋭い言葉で切って捨てられる。加え、その声には憚りもなく苛立ちの色が滲んでいた。
「業腹だが、汝は此度の戦に際して吾を呼び出した召喚者よ。大江山の首魁たる吾がどれ程敵を屠った所で、汝が野良犬に咬まれでもすれば全てが水泡に帰すのだ。それとも汝、この吾に無様な敗残者の烙印を刻むつもりか? もしそうならば、吾は汝をこの場で八つに引き裂いてくれようぞ」
「もう、そんなに怒らないでったら。ちょっとお話するくらいいいじゃん。むー」
「……つくづく癪に障る女よな、汝は! 吾が言っているのは、偽りの日常なぞにいつまでも未練たらしくしがみ付くなと言う話だ!!」
結局あの後、補習を終えて由紀が家路に就いたのは午後七時を過ぎていた。言うまでもなく日は既に落ち、街並みは夜の闇に包まれていた。神秘の露出を良しとしない聖杯戦争と言う儀式の主戦場は、基本的に夜となる。此度の聖杯戦争に純粋な意味での民間人は存在しないものの、過度の情報漏洩はルーラーからの処罰の対象となり得るし、風聞で手の内が割れてしまう可能性も有る。故に混沌月海においても、主に戦いは夜行われると言う事に変わりはなかった。
そうなれば必然、夜道を歩く危険性は別な意味で倍増する。魂食い目的のサーヴァントや、マスターである事を見抜いたアサシンの襲撃。そうでなくとも、純粋にサーヴァント同士の戦いに巻き込まれて落命、なんて展開すらザラに有り得るのが聖杯戦争だ。鬼女が由紀に言っているのは其処だった。
鬼は人を理解せず、尊ばない。その命を果実のように喰らい、害虫のように踏み潰す。その例に漏れず、この鬼女も由紀が無惨に死のうが心底どうでもいいと考えている。だが、彼女が死ねば当然、連動して自分も消えてしまう。そうなるとどうなる? 簡単だ。自分は聖杯戦争の敗残者として、他のマスターやサーヴァントの踏み台になる。
それだけでなく、マスターをあっさり殺されて呆けた面を浮かべたまま何も成せず消えた落伍者、と言う烙印まで押されてしまうだろう。嘗て数多の鬼達を従え、首魁として君臨した彼女には耐え難い屈辱だ。にも関わらず、由紀は頑なに普段通りの日常を過ごそうとする。毎朝無意味な学び舎に通い、規範に従って過ごし、暗くなってから帰ってくる。総じて無意味だ、自覚が足りん――鬼女がそう憤るのも、詮無きことと言えよう。
「でも学校を休むのはやっぱり駄目だよ。だって普通、いきなり来なくなった子が居たらそれこそ怪しまない?」
一方で、由紀の言い分も尤もだ。
記憶を取り戻す前までは無気力でつまらなそうに毎日を過ごしていた彼女が不登校になったとしても皆納得かも知れないが、それはあくまで一般生徒の立場での話。由紀のように生徒として学校に通っているマスターが居たとしたら、まず間違いなくいきなり不登校になった由紀に疑いの目を向ける筈。つまりこんな状況だからこそ日常を過ごすべきだと、彼女は思っているのだった。
これに関しては平行線を辿るのも無理はない。そも、現代に生まれた人間の少女である由紀と、真性の鬼の価値観はかけ離れている。人間の日常や規範等総じて下らない自縛でしかないと思っている彼女が、学校に通うと言う当たり前の日常を軽視するのは当然の事なのだ。
「……汝は、吾の事を如何なる者と視ているのだ?」
「そのくらい知ってるよう。サーヴァントの女の子でしょ?」
「違うわ、戯けが。――吾は、鬼だ」
大江山に纏わり名を馳せた鬼種と言えば、高名な民俗学者でなくとも、少し学がある人物ならば名前が浮かぶ筈だ。
大江山に棲まう酒呑童子の部下であるとされ、源頼光率いる四天王の奇襲の際には渡辺綱と刃を交えたと言う悪逆の鬼。
鬼として最高峰の気質を持つ酒呑すら討たれる中で唯一生き残ったとされるその鬼の名は――
茨木童子。
「吾は鬼、汝は人。その道理を履き違えるようであれば、吾は汝の喉笛を掻き切る事に一握の躊躇いもないと覚えておけ。……クク、何しろ吾は大江の鬼達を率いておった首魁でなぁ、従う立場には慣れておらんのよ。敗残者として無様に消えたとなればお笑い種だが、愚かな主を引き裂いて凱旋したと来れば吾の矜持も損なわれぬ。
丈槍由紀。阿呆で愚鈍な現代の童よ。吾が汝に従っているのは、奇跡のような幸運と心得るがいい」
実際の所、彼女は酒呑童子の部下などではない。寧ろ大江山の鬼の首魁として、彼女が存在していたのが真実だ。
彼女こそが大江山に荘厳の御殿を建て、酒呑童子を義兄弟として愛おしみ、一騎当千の魔軍を統率して京で暴虐を振るい、人々を恐怖に陥れていた"荒ぶる鬼"。
丈槍由紀と言うか弱い少女が呼び出してしまったのは、人類の敵――厄災の権化に他ならなかった。
「……バーサーカー、怒っちゃったの?」
だが由紀は、自身のサーヴァントである彼女に親しみを感じた事はあれど、恐れを抱いた事は只の一度もなかった。
誰もが恐怖し震え上がり、小水を漏らしても可笑しくない脅迫めいた威圧をぶつけられても、機嫌を損ねてしまったのかと心配はすれど、茨木童子と言う鬼に対して怯えた様子はまるで見せない。茨木童子は、彼女のそう言う所が気に入らなかった。鬼女の知る女子供と、目の前の由紀の様子が結び付かない。彼女は本当に、友達に接するように自分に話し掛けてくる。非礼と咎めた事も、最早一度や二度ではなかった。
引き裂くのは容易い。然し、聖杯と言う至高の宝物を逃すのは余りに惜しい。それに――今回の聖杯戦争が"異常"である事を、既に茨木童子は認識していた。何かがおかしい。言語化するのは難しいが、此度の儀式は何かが致命的にズレている。其処に不信を抱くよりも、好奇と欲を向けるのが鬼種だ。興味深い、面白い。必ずや黄金の塔なる建造物の頂上に出現する願望器を、この手で掴まねば。
「機嫌悪くしちゃったなら、ごめんね?」
「……汝、吾を煽っているのだな? そうなのだな?」
「そ、そんなつもりはないよぉ! ――あっ、そうだ! ちょっと、ちょっとだけ待ってて!」
言った傍から馴れ馴れしいにも程の有る態度が飛んできて、茨木童子は思わず彼女をぎろりと睨み付けた。
それに慌てた様子を見せながら、何を思ったか鞄の中身を漁り始める由紀。やがて彼女が取り出したのは――綺羅びやかな紙に包まれた、球状の物体だった。
ほう、と茨木は驚く。あれが何か、正確な所は自分には解らない。それでもこの無礼且つ馴れ馴れしい召喚者が、貢物をして自分の機嫌を取ろうとしているらしい事は解った。この娘にも流石にその程度の考えは出来るか、面白い。下らぬ者ならその顔に叩き付けてやるわと、茨木はその口を笑みに歪めた。
「その面妖な煌めき……さては宝石か?」
「え? 違うよ? あのね、これはねえ……」
首を傾げた後、由紀は鮮やかな緑色に煌く包装紙を剥がしてみせる。その下から出てきたのは、茶色い球体だった。
くん、と。茨木童子の鼻が動く。
「――チョコレートって言うの! えへへ、バーサーカーの生まれた大昔には、きっとこんなのなかったでしょー?」
チョコレート。今でこそ知らない者の存在しない菓子の最大手だが、当然、茨木童子が名を馳せた時代にはそんな小洒落た甘味はない。あらゆる物を奪い、喰らってきた彼女も、流石に目の前のこれを食した試しはなかった。興味深げに球体を受け取ると、茨木はひょいと口内に放り込み、咀嚼する。次の瞬間、彼女の目が見開かれた。
「これは……」
美味い。
旨いと言うよりは、美味い。
と言うか、甘い。
「……おい、汝」
こんな物で――こんな物で、吾の機嫌を取ろうとしたのか、この童は。
もう我慢ならぬ。茨木童子は憤りに肩を上下させながら、再び由紀の方を睨み付けた。
あれ、チョコレート嫌いだった? ごめんねえ、と謝る声など、最早耳には入らない。
数秒の間を置いて、茨木は言った。
「これをありったけ寄越せ」
――斯くして丈槍由紀は、茨木童子に引き裂かれる未来を免れたのだった。ちゃんちゃん。
(待っててね――みんな)
由紀は、茨木童子を怖いとは思わない。
寧ろ由紀は、この鬼に感謝すらしている。
彼女の事をありがたいと感じた事は有っても、怖いだとか厭だとか、そういう風に思った事は一度としてなかった。
……何故なら、彼女は自分のサーヴァントとして召喚されてくれた。彼女が居なければ、自分は皆を助けたいと願う事すら許されなかったのだから。
「ねえ、バーサーカー」
「何だ。吾は今忙しい。手短に済ませよ」
「……勝たせてね。お願い」
「阿呆が、誰に物を言っている。この吾が、大江山の茨木童子が、そこな雑兵に蹴散らされる様な三下とでも思ったか」
いつも自信と尊大さに溢れた彼女の言葉は、由紀に勇気をくれる。
「よーし! 頑張ろうね、ばらきー!!」
「ええい、少しは黙――"ばらきー"!?」
夢見る時間は終わった。これからは――正しい現実を取り戻す、戦いの時間だ。
【クラス】
バーサーカー
【真名】
茨木童子@Fate/Grand Order
【ステータス】
筋力B 耐久A+ 敏捷C 魔力C 幸運B 宝具C
【属性】
混沌・悪
【クラススキル】
狂化:B
理性を代償としてパラメータを上昇させる。
……が、少なくとも彼女に理性を失っている様子は見られない。
狂化スキルが鬼としての種族特性と合わさっている為、普通に話が出来るタイプのバーサーカー。
尤も彼女は鬼であり、人間の倫理や常識が通用しない存在――制御出来る保証は、ない。
【保有スキル】
鬼種の魔:A
鬼の異能および魔性を表す、天性の魔、怪力、カリスマ、魔力放出、等との混合スキル。
魔力放出の形態は"熱"にまつわる例が多い。バーサーカーの場合は"炎"。
仕切り直し:A
戦闘から離脱するスキル。
また、不利になった戦闘を戦闘開始ターンに戻し、技の条件を初期値に戻す。
変化:A
文字通り"変身"する。
作中では、少女の姿に変身する場面が存在した。
【宝具】
『羅生門大怨起(らしょうもんだいえんぎ)』
ランク:B 種別:対軍宝具
頼光四天王の一人である渡辺綱に腕を斬られたという逸話を、宝具へと昇華した物。
自身の腕を切り離し、叢原火を纏わせた上で巨大化させ、猛スピードで相手に放ってそれを握り潰す。
見た目は坂田金時曰くロケットなパンチ。あまりにもそのままだが、実際そういう宝具ムービーである。
『大江山大炎起(おおえやまだいえんぎ)』
詳細不明の宝具。
作中の描写を見る限りでは、炎を飛ばす攻撃宝具であると見られる。
魔力消費は其処まで激しくないらしく、十連発するような芸当も可能。
【weapon】
骨刀(無銘)
【人物背景】
平安時代に京の都で暴れ回り、人々を恐怖のどん底に突き落とした鬼。
一般的には大江山を拠点とする強大な鬼・酒呑童子を首領とする酒呑童子一派の副首領として有名である。
ある説では絶世の美少年、ある説では生まれてすぐ歩き出した鬼子、ある説では酒呑童子の息子。
ある説では酒呑童子の恋人である女の鬼というように日本各地で様々な伝承が伝えられている。
酒呑童子や他の鬼たちと共に暴虐の限りを尽くしたが、激怒した帝が平安時代最強の神秘殺しである源頼光と坂田金時ら頼光四天王を討伐のため派遣することに。
毒入りの酒を使った騙し討により一派は壊滅。
茨木も渡辺綱と交戦したが酒呑の首が刎ねられるや否や敵わないと判断し、唯一逃げ延びる事に成功したという。
大江山の鬼の首魁を自称している通り、Fate世界における茨木童子は酒呑童子の配下ではなく、トップはあくまで彼女。酒呑童子は食客となっている。
が、それはあくまで表向きの姿。
実際の彼女は生真面目で小心者、そして負けず嫌いな子どものような性格をしている。
鬼らしく振る舞っているのも、母親からの"鬼が傲慢に振る舞わなくして、誰が傲慢に振る舞うのか"という教えを律義に守っているに過ぎない。
"生き延びる"ということに関しては特に秀でており、逃走の際にした大跳躍は見た瞬間主人公が"追いつけない"と思い至るほどである。
他に鍵開けや音消しの特技も"鬼の中で右に出るものは居ない"と豪語するほど得意であり、変化スキルを持っているので伝承通り人に化けることも可能。
また相手の表情の変化を見逃さない洞察力と、即席のパーティーで作戦を立案出来る頭の回転の速さを持ち合わせている。
【サーヴァントとしての願い】
酒呑童子とまた一緒に暴れたい。
カルデアに召喚されていない彼女は、再度の享楽の日々を求めている。
【マスター】
丈槍由紀@がっこうぐらし!
【マスターとしての願い】
自分達の暮らしを、元に戻す
【weapon】
なし
【能力・技能】
子供っぽい性格の持ち主だが、意外にも高いリーダーシップの持ち主。
変わらぬ優しさから来る着回し、状況に適した判断と機転、地図の読み取りや優れた聴覚――現実を認識した彼女は、それらを意識的に発揮出来る。
【人物背景】
私立巡ヶ丘学院高等学校3年C組、学園生活部部員。みんなからは"ゆき"と呼ばれている。
容姿に違わず子供っぽい性格で、よく笑い、よく走り、よく抱きつく。
学校行事にも誰よりも積極的で、その明るい笑顔は部のムードメーカーとなっている。
――その視界に、もう"彼女"はいない。少女は今、現実を生きている。
【方針】
戦いたくはないが、自分がやらなければいけない事は理解している。
最終更新:2017年06月10日 21:01